今まで通りの学校①
太一は階段を上がって一番奥の自分の部屋とされた部屋の扉を開ける
(とりあえず…)
放り投げたままのランドセルを開いて連絡帳を取り出す。時間割りを確認して要る要らないを分ける。
今日は必要のない教科の教科書を部屋に備え付けの棚に入れる。
(あと、時間はどれだけだろうか)
前の家も時計はなかったが、用意して貰えるなら早めにいただきたい。
(ワガママ、かな)
この家に来てから早々、自分の価値観が揺らいでいる。
少しの贅沢は人を狂わせるものだ。もっと、と求めてしまいそうになる。
(…この家は生きやすいのか、否か…)
やはり達観している太一はつくづく思った
◇◆◇
太一が学校に行くと聞いてリビングで思い悩んでいる明霞
(…あんな場所、タイチはどうして行くんだろウ)
明霞はほんの少しだけ学校に行ったことはある。
ただ、日本語が覚束ないこと、親の身元が公になっていなかったこともあって虐められた。
その結果、人と関わるのを拒み、引きこもりになった。
はずだが
「明霞ぁ、部屋あがんねぇの?」
「ここに居ちゃいけないノ?」
「物珍しくて落ち着かねぇ」
紅華が気だるそうに言う
自分が一番思っている
「学校行きてえなら自分で出来るっしょ?」
明霞が考えていたことをいとも簡単に言い当ててくる紅華
「…そうだネ」
「きっかけがないってか?」
「…気持ち悪い、紅華姐姐。考え読み取るのヤメテ」
「気持ち悪い、ね。ありがと」
「褒めてナイ」
「あと、私はコウカ」
「…慣れなイ」
学校に興味は沸いている。けど、確信がない。行って楽しいと思えると思えない。
「きっかけとか、理由とか、なんでもいいだろ。捏造はお得意では?明霞さん?」
挑発するような言い方をする紅華
(紅華姐姐もちょっと変わった気がスル)
なんだか楽しそうだな、と明霞は思う
「邪魔なら二階に居るヨ」
「そうは言ってねぇよ」
「パソコン弄ってくル」
「はい、いってら」
適当に見送られて明霞は階段を上る
(…紅華姐姐は鋭くてやりづらい)
明霞は心の中で呟く
初めて会ったときからそうだった。
やる気がないように見えて、活力がないように見えて、結局それは多分装いでしかないような。
不思議な人だ
階段を上って一番手前の自分の部屋のドアに手を掛けようとしたとき不意に一番奥の部屋に目が行く
(タイチの部屋になったんだよね)
ほんの少しの好奇心で一番奥のドアをノックする
はい、と簡素な返事が返ってくるので少しだけドアを開けて顔を覗かせる
「あ、明霞…」
「うん、今忙しイ?」
「ううん、全然。どうかしたの」
「あー、、えっト」
抑揚のない、まさしく棒読みな問いかけに明霞は少し怯む
「…タイチはなんで学校行くノ?」
「なんで、って言われてもな…」
「行きたくなイ、って思わないノ?」
「それは、うん。思わないよ」
「どうしテ?」
少し考えるような困っているような顔をする太一
面倒なことを聞いてしまったかな、と明霞も申し訳なくなる
「どうしてって………行かないより、行った方が得になることが多いから、かな」
「…?」
悩みに悩んで太一から出てきた答えは明霞には若干難解だった
「学校は勉強の基礎知識を学ぶところだから。これから社会に出たときの一番のベースになる」
「……でモ、他の人がいル。私はクラスの子、好きじゃなイ」
「人に好かれるために行くわけでもないし…僕も友達は居ないし。人との距離の取り方を学ぶんだよ」
「距離の取り方…」
「嫌な奴と無理に関わる必要ないと思うよ。…まぁ学校なんて個性潰して集団行動をさせるような場でもあるけど。それも世間を生きるためには必要なことだし仕方ないよね。表面上、仲良くしてる風に見せればそれでいいんじゃない」
明霞には難しい言葉ばかりに聞こえた
本当に同い年なのだろうか。なんなら自分の方が数日早く生まれているのに。
「…タイチは、大人だネ」
「僕みたいな奴がこんなこと言うと大人は生意気だって言うんだよ」
「私には、私よりモずっと大人に見えルよ。ごめんネ、急に変なことに聞いテ…」
「ううん」
じゃあね、と言ってドアを閉める
閉めたドアに明霞は寄りかかる
(タイチは、頭がいいんだ。私とは、違うんだ)
少しだけ、悔しかった。
◇◆◇
(今の受け答えで良かったのだろうか)
太一は悶々としていた
学校に行く意味も意義も今のところはっきりとしない。
漠然と思ったことを口に出した、完全なる付け焼き刃だ。
間違ってはいないと思う。だが、合っているとも思わない。
そもそも、明霞が学校に行かない理由をはっきりとは聞いていない。今の話を聞くに人間関係が主な気がする。
(難しいな、明確な答えがないって)
それぞれの理由があるだろう
太一だって元はと言えば学校に行く理由など家に居たくないから、だ。
何も言えた口でない。
(偉そうだったかな…)
ただ言ったことを反芻して一人反省会をしていた。
言葉とは、時に治癒で時に凶器である。
伝わり方が一度違えば、どちらにだって成り変わる。なんとも操りづらい万能なものである。
考えれば世の中、そんなものいくらだってある。
言葉などという人の感性に左右されるものじゃなく、その気になればそれなりに人を殺せるものもある。
包丁、フォーク、ヤスリやハンマーなどの工具、薬や食べ物、水だってそうだ。
ただ、そんな分かりやすいものじゃなく、言葉という身近で曖昧なものだからこそ、殺傷力が高い。
(…日本語、難しい)
こんなことを日頃から考えている太一も太一だが、そんな傍若無人なことを平気でやっている集団の家に転がり込んでいるということを忘れてはいけない。
気を抜いたら、殺される。
(…だめだ、考えすぎている。辞めよう)
太一は切り替えは得意な方である
適当に教科書をペラペラとめくって予習することにした。
◇◆◇
(そろそろ時間かな)
美辰がリビングの時計を見つめて7時20分を指していることを確認する
「太一呼んできます」
「おー」
「もうそんな時間かぁ、俺も準備しやな」
紅華はソファから延びた声、音弥はのそっとダイニングの椅子から立ち上がりながら言う
美辰もダイニングの椅子から立ち上がって階段に向かおうとするが、一つ釘を刺したくなった
「紅華さん」
「なに」
「あんまり年下虐めちゃだめだよ」
「…このオカンめ」
悪態を吐かれるが、まあ釘を刺しただけである。
改めて階段に向かう
階段を上って、手前の部屋に一瞬目をやる
(…いつものことでは、ある、けどさ)
二階に上がってから降りてきていない少女を思いながらも一番奥の部屋に向かう
「太一くーん、時間~」
ノックをしてドア越しに声をかける
ドアの向こうからはーい、と返事が聞こえるのでとりあえず待つ
ガタガタっと音がしたあと、ドアが開く
「ありがとうございます」
「おう。じゃ、行くか」
ランドセルを背負った少年と二階の廊下を渡る
階段を降りる間際、微かな視線を感じたことに美辰は自分の成長を感じていた
終わり時を見失った挙げ句、続きます。