それぞれの変化
いくら、感情が他人に伝わりづらい仏頂面の子供でも
子供は子供だ。
(ずっと、耐えてきたんだな)
「美辰ちゃん、泣きすぎよぅ」
羽衣が困ったように笑いながら美辰の背中を撫でる
「だって…だってぇ、うぅっ、」
「もぅ、どっちが年下なのよぅ」
慰められているとさっきから困った顔をしている人から声をかけられる
「なあ、これどういう状況なん?」
「あら、音弥ちゃんおはよぉ」
「おっす」
「今ねえ、家族が増えたのよ」
片目をぱちっと閉じてウインクをする羽衣
「はぁん?よくわかんね。とりあえず仲間増えたってことやんね?」
「そうよ~」
朗らかに言う羽衣をはね除けて後ろにいた音弥に美辰が抱きつく
「音弥さあん……」
「おうおう、どうしたんや美辰ぅ。おまえの泣きっ面はええから飯作ってぇな」
「薄情者ぉ!」
美辰は涙でベトベトの顔を拭いながらキッチンに向かう。
(あ、そうか)
すでにキッチンに焼かれた食パンが置いてある
今は泣きじゃくっている太一が焼いたんだろう
「音弥さん、これでいいすか?」
「なんそれ?」
「太一が焼いたやつ」
「太一ぃ?ああ、そこの坊主か。旨かったらなんでもええわ」
「んじゃこれ食ってください」
「はいよー」
音弥の前にトーストを置く
「なにが乗ってんのや?これ」
「マヨと砂糖」
「うわカロリーぃ」
「俺食った」
「ほなええか」
(ホントに紅華さんそっくりだな)
仲間内では姉弟説が浮上している
話し方が標準語なら言ってることもさほど変わらないだろう
「なあ、今何時?」
「六時過ぎです」
「んー、これ以外とイケるな」
話を聞いてるのかいないのか分からないのも紅華似だ
「今日は何時からなんですか?」
「何時やっけなぁ?」
「えぇ…」
「午前中に終わるよ。今日はおっさん来んねろ?」
「そうですよ。あと、それ本人聞いたら殺されますよ」
「そないに心狭かったんか、あの人」
のんきに笑っている音弥
(この人が殺されても俺は知らないふりしよう)
この人の行く末が災難でないことを祈る美辰であった
◇◆◇
(あー泣きすぎてしまった)
止めどなく流れる涙をなんとか止めた
「すみません、取り乱しました」
「なんだ、もう終わりか。子供っぽくてよかったのに」
けらけらと笑っている紅華
太一がふと横を見ると知らない男の人が太一が焼いたトーストを頬張っている
「…あの」
「あーアイツ?古井音弥。おい、クソガキ、お前の紹介してやったぞ」
クソガキ、と呼ばれて音弥の視線が太一たちに向く
「ちょっとー、子供の前でその呼び方やめてぇな。同い年やろー?」
「なにも間違っちゃいねぇだろうがよ」
「ひどいなぁ…俺、古井音弥!よろしゅう!」
「久山太一です…」
関西弁のどこか紅華に似た青年、というのが太一が思った第一印象
「太一くぅん、えらい大人びてんねなあ?嫌いやないでぇ」
「それは、どうも…」
陽の人間だ。あまり関わりたくないな、と太一は心の壁を造る
「んじゃ、私寝るね。学校行ってらっしゃい」
「あ、はい」
「へぇ?学校いくん?偉いなぁ?どこぞのがきんちょとは違うねんや?」
「チョッと!私のこと言ってるノ?!」
ぷんすか、といった様子で怒っている明霞。それをからかうように遊んでいる音弥。それを諭すように間に入っている羽衣
「明霞は学校行かないのぉ」
「へぇ…」
「私、外キライ」
「そっか」
まあ、なにか事情があるのだろう。太一は人が話さないことを深掘りするほど空気の読めない人間ではないと自負している。
「しけとんなぁ?そんなんやったら女の子にモテへんよ?」
「別に。興味ないです」
「…しけとんなぁ…」
面倒だ。
無視して美辰に声を掛ける
「美辰さん」
「んぉ、なんだ?」
「学校までどのくらいですか」
「車で…20分ってとこか?」
「そうですか」
時計を見て時間を確認する
(六時半…まだまだ時間あるか)
昨日ここに来てから寝落ちてしまったのでなにも支度をしていない
「部屋にいます。八時前には学校に着きたいので、七時半ぐらいに出れますか」
「おお、分かった。自分で降りてくるか?」
「なら…部屋に時計が欲しいです」
「あ、無かったっけか?」
「はい」
「そか、言っとく。今日のとこは七時半に呼びに行きゃいいか?」
「お願いします」
「あいよー」
(美辰さんはマメな人なんだな。分かってた気もするけど)
太一はそんなことを思いながら階段を上った
◇◆◇
ソファにどすっと寝転がった紅華は目を閉じてリビングの喧騒を聞いている
そのまま脳を整理する
(とりあえず、涙腺は解せたかな)
太一には感情がない。
いや、ないことはないのだろう。出す必要性を感じていないのかもしれない。その考えは紅華も同感だ。下手に喜怒哀楽をもっても旨く使えなければ疲れるだけだ。だから美辰に「仕事中以外は蛻の殻」だとかなんとか言われる。
(楽しいときは楽しむもんだろうよ)
それを太一にも分からせないといけない。
普段から喜怒哀楽を放出する必要はないが、少なくとも世間に出たときに使える。
(私は世間とか知らんしな。美辰に任せるか?)
そんなことを考えながらリビングの会話を盗み聞く。多分聞かれていることはこいつらも分かっているはずだが
「ねぇ羽衣姐姐、学校って楽しいノ?」
「んー?行ってみれば分かるんじゃなぁい?」
「私が行ったときは楽しくなかっタ」
「今は楽しいんとちゃうか?」
「そうよぉ?太一ちゃんと行ってみればいいじゃない」
「でモ…」
明霞も太一が来てから変わりつつあるようだ。
引きこもりで部屋から出てくることなんかほとんど無かったのに。今や朝からリビングにいる
(太一には感謝だな)
「紅華姐姐は?学校楽しかっタ?」
「ホンファじゃなくてコウカな。ここ日本。私は行ってないから知らねぇな」
「そうなノ?」
「世間知らずのお嬢さんやからなぁ」
「そーいうお前はどうなんだよ」
「俺はエンジョイしてるやんか~」
「知らねぇよ」
「羽衣姐姐は?楽しかっタ?」
「そうねぇ、友達と遊んだりするのは楽しかったよぅ?」
「トモダチ…」
思い悩むような声の明霞
ソファの背もたれで紅華から明霞の顔は見えない
「ま、いいんじゃね?どうせ非公式な戸籍なんだし。行くにせよデータ改竄するの明霞だし」
美辰が言ってのける
それもそうだ。明霞の仕事はデータ改竄だのハッキングだのパソコン関連。太一の事も明霞に頼んでおいたが、もう既に終わったらしい。並外れた知識とスピードだ。
自分が学校に通う気があるなら自分で全部済ませるだろう。
(心変わりするお年頃かねぇ?)
静かなリビングをBGMに紅華は意識を手放した。