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生き甲斐、殺し甲斐。  作者: 惛酩
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いつかの想い①


あれはいつだったか。


名前がなかった頃の“私”の話。

雨だった。冷たく大粒の雨が頻りに降っていた。


私はスラムと化した路地裏で一人、淋しく育った。


「兄弟,今天晚餐吃什么?」

「这就是我得到的。对不起」


多分兄弟であろう男児二人が薄切りのパンを片手に何かを話していた。


何を話しているのか分からない。

人と会話をしないからか、上手くコミュニケーションが取れなかった。

自分がどこの国で生まれたのかも分からない、ただここではない。思い出せる一番古い記憶は笑って去っていった母の顔。


その日からずっと一人だ。

ただ、いつ死ねるのかを待つようにこの日まで生きてきた。



「他逃跑了!!追赶它!!」


夜も更けて、肌寒く、濡れた冷たいコンクリートに寝転がっていたら叫ぶような声が聞こえた。

言っている意味は分からなかったが、切羽詰まった声色だった。

声の方向を向けばガタイのいい男が全力疾走している。


ガタイのいい男の前には既にいくつか傷を負った男。他に人はいない。多分何かから逃げている。叫んだ人間がその男を追っている。


子供ながらになんとなく事情を察した。関わらないのが吉だ。


と、思ったのに。


「走开!!那个臭小子给我添麻烦了!」


分からない。分からないが、私に向かって走ってきている。路地に入って追手を撒くつもりだろう。


気に食わないな。


咄嗟に思った。思ったら行動に移していた。

男を避ける振りをして片足を出した。


ドサッ。


まんまと引っ掛かった。至極単純な罠に引っ掛かった。

自分と目線が同じになった男は、血相を変えて私に向かってくる。


なぜだか怖くなかった。

寧ろ、内心喜んでいた。


ああ、死ねる。やっとだ。


そう思ったのも束の間。

男は追手の男に捕らわれた。


「捕捉到了它」

「做得好。请清理干净」


締め上げられて呻き声を上げている男を横目に、若い風貌の男が出てくる。

その男と目が合う。


「你受伤了吗?」


何を言っているのやら。

私が答えずにポカンとしていると、察した男は色々な言葉を話し出す。


「Is English better?」

「…」

「한국어일까?」

「…」

「日本語かな?」

「…あ」


分かる。久しぶりに聞いた、知っている言葉だ。意外と忘れていないものだ。


「そうか、日本人か。怪我はないかい?」

「…うん」

「君、お手柄だよ。足、引っ掻けたでしょう」

「…なんとなく、やっただけ」

「なら尚更だね」


はっはっは、と笑っている男。さっきから指示を出しているように見えるため、ボス的な奴だろう。明らか関わってはいけないタイプの男だと分かっているが、目が離せない。


「君、名前は?」

「…無い。忘れた」

「そうか。うちに来るかい?」


隣のお付きらしき男が目をぎょっと見開く。

私もまた、目を開く。


「衣食住は困らないよ」

「…怪しい」

「賢いね」

「…」

「家族はたくさんいるから、もう一人じゃない」


うちにおいで。


この頃の私は何を考えていたのか。その一言に頷いたのが運の尽きだった。



◇◆◇



謀反を起こした男を追いかけた先、少女を拾った。


薄暗い路地裏、ボロボロの身なり、痩せすぎた身体、覚束ない足取り、変えない表情。

捨てられたんだろうと考えるには十分足りている。


車に揺られている今もなお、表情を固くして変えず、自分の横に座っている。


それにしても、日本人を拾うなんて珍しいこともあるもので。

あの辺りはスラムと化しているが日本人などほぼいない。というか国籍不明が多い。教養もなく、言葉を交わすのも一苦労だ。

けれどこの少女は、


「お腹空いてるだろう。食べたいものはあるかい?」

「…別に」

「そうかい」


いつ頃からこの国にいるのかは分からないが、少なくとも記憶があるうちは日本語で育ったみたいだ。


賢明で、善悪をよく分かっている。子供にしては冷静すぎる。

いいや、怪しい男に着いてきている時点で子供らしいと思うべきか?


「ねえ」

「ん?どうした?」

「なに考えてるのか知らないけど、私は生きてようが死んでようがどっちでもいいから着いてきた。生きたかったらそもそもあんな所にいない」


少女は物怖じせず、ただ一心に眼を見て伝えてくる。


やはり、只者ではない。


若かりし茗泽(ミンゼァ)は、笑みを浮かべた。



◇◆◇



車に揺られてどのくらい経っただろうか。

車はゆっくりと丁寧に停車してからドアが開く。


「…」


恭しすぎる振る舞いに私の肩身が狭くなる。

そもそも、曇り一つない黒光りの高級車に薄汚い私が乗った時点で場違いすぎるのだ。


「降りないかい?」


先に降りたボスらしき男がすっと私に手を差しのべる。

この手を取るか、一瞬迷う。迷ったがその迷いはすぐに振り払った。


「…」

「いい子だね」


男が差し出した手の上に私の手をのせる。

エスコートされるまま車から降りる。


「…うぁ…」


漏れ出た声は驚愕か、たじろぎか。

気迫を放つ、大きく、威厳ある屋敷が目の前にある。


「ここが今日から君の家だよ」


そう言う男の手を繋いだまま屋敷の門を潜っていく。


思わず視線を左右に泳がせながら、家の敷地内とは思えないほど長い道を歩いていく。


ふと、視線を行かせた先に見覚えのある花があった。


「…桜」

「ああ、そうだよ。僕は日本が好きでね」


八重に咲く大輪のきらびやかな桜の木。私が直接見た覚えはないが、どこか懐かしい。


「そうだ、君、名前がないんだってね」

「うん」

紅華(こうか)にしよう。あの桜の品種だ」


そう言って八重の桜を指しながら私を見る


「こうか…」

「ああ、(べに)の華だ。美しいだろう?」


「君は今日から紅華だ」


今覚えば、とてもじゃないが似合わない。薄汚れた私に綺麗な花の名前など。

だが、紅華と名付けられたとき、どうしようもなく嬉しかった。

“私”の存在を許してくれたような、そんな気がした。






それから現在の紅華を形作るまで、そう時間を要さなかった。


物怖じしない性格が幸か不幸か役に立ち、茗泽に拾われてすぐ、殺しの仕事を任されるようになった。


正確な年齢は分からないものの、おおよそ16歳になった紅華は広すぎる部屋の大きすぎるソファに凭れかかっていた。


「はあ」

「どうしたんだい、そんなに大きなため息を吐いて」


煙管を手に持った茗泽もまたソファに腰掛けている。


「つまんない」

「主語がないじゃないか。何がだい?」

「殺しが」


虚空を見つめて呟く紅華を茗泽は呆れたように見ている。


茗泽は薄々気づいていた。紅華の中で殺しはただの流れ作業と化している。


刺して、撃って、縛って、飲ませて、焼いて、殺す。手法はいくらでもあれど、数をこなせば飽きてくるのだ。


「そうだねぇ…」

「一人で殺ってもつまんなーい」


そういって足をじたばたさせる紅華をみて茗泽はふと思い付く。


「…叫那个孩子(あの子を呼びなさい)


茗泽が近くにいた従者に声をかける。返事をした従者は返事をし、部屋を出ていく。


紅華はその様子を目で追う。


「あの子って誰?」

「会ったことない子だよ。面白くなるよ、きっと」


茗泽はニコニコとしながら煙を吐いていた。




「…打扰一下(失礼します)我带你来了(お連れしました)


先程出ていった従者が暫くして帰ってきた。

その隣には若い青年がいる。


谢谢(ありがとう)你可以退后一步(下がっていいぞ)。」


茗泽の声かけに従者が部屋を出る。

部屋には紅華、茗泽、青年。


「今までタイミングがなかったからね。ちょうどいいだろう」


そう言って青年を手招きする茗泽。

青年は怪訝そうに紅華を見つめている。

先に口を開いたのは紅華だった。



「何、日本語分かんの?」

「…少しなら」

「ふーん。私、紅華。きみは?」

「…」


チラリと茗泽の方に目をやる。

茗泽はニコニコしている。

その様子を確認して紅華に向き直る青年


「…(けい)、です」


少し恥ずかしそうに答える景は何とも端正な顔立ちをしていた。


「景ね。で?なんなの?隠し子?」

「違うさ。紅華と一緒だよ。年もさして変わらないと思うよ」


紅華と一緒。つまりは拾われたんだろう。

しかし今の今まで会ったことなかったのが気掛かりだ。


とはいえ、いちいちそんな些細なことを気にするような紅華ではないので話の続きをする


「ふーん。それで?そいつと仕事すんの?」

「ああ。たまには2人で行ってきなさい。とは言っても景はこの手の仕事がどうも苦手でね。紅華のサポートがあればできるんじゃないかと思ってね」


(ははーん)


つまりはお荷物ってことだ。多分親父(茗泽)に拾われてから大層大事にされたんだろう。体つきも紅華に引けを取らないほど華奢だ。


「あの、僕きっと紅華…さんの邪魔になりますよ…」

「紅華でいいよ。私はお前がついて来ても来なくても仕事するだけ。判断はそっちに任せる」

「行ってきなさい。たまには、ね?」


茗泽に促されるがまま、景はコクリと頷いた。



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