朝食の前
「あーもう。ほんまに信じられへん」
世間的にはもう寝る時間であろうとき、古井音弥は暗がりの道を一見手ぶらで歩いていた。
「俺は銃専門やっちゅうのに…」
音弥の左側の腰に取り付けられたナイフに手を当てる。普段なら銃を入れているのに、今日は薄い鉄の感覚しかない。
紅華に指名を受けて、ナイフ一本でターゲットを殺らなければならなくなった。
音弥の頭では分かっている。これは修行なのだ。だが、命を懸けてまで会得したい技でもない。
「はあああああぁぁぁ………」
大きく息を吐いて指定された場所まで歩いていく。
その足取りはずっと重たいままだ。
「ここ、か」
着いたのは河川敷。周りは閑静で人っ子一人の気配すらない。
「はーぁ、面倒くさァ…そう思わんか?」
チラリと目線を後ろにやる。
少し離れたところにターゲットがいたらしい。驚いた様子で音弥を見ている。
見かけは20代になっているかどうか、と言ったところだ。
「なぁ、一個提案あんねんけど、聞かん?」
「聞くわけないだろ!こっちは生活がかかってんだ! 」
「あー、そっち系かぁ…」
「お前には、死んでもらわなきゃ、困る…!!!」
どこからか隠していたナイフを取り出して勢いをつけて向かってくる相手に音弥は腰に付けたナイフに手をかける。
話し合いで解決しようとしたが相手がその気じゃなかったようなので、早々に諦めた。
「残念やけど、こっちもこっちでめんどいねんや。堪忍な」
相手からの攻撃をかわして後ろに回る。
「でもなぁ、お前若いやろぉ?殺すんちょっと躊躇うわァ…」
後ろから首元にナイフを当てる。相手は隙のない音弥の動きについていけていなかった。
はぁー、と態とらしくため息をついた後、目の色を変える。
「んまぁ、相手が悪いわ。お前みたいな雇われチンピラとちゃうねん。こちとら、本業やからな?朝飯前じゃ。舐めんなよ」
ドスの効いた声で囁き、当てたナイフをひいて首を切る
返り血が音弥の顔にかかる
「あーもう。これやから近距離戦嫌いやねん」
袖で顔の返り血を拭いながら河川敷を歩く
ポケットから携帯を取り出して紅華の番号に掛ける
「あ、もしもし?終わったで」
〈おー早かったな。やりゃ出来るじゃん〉
「やらな俺が死ぬやろが」
はっはっは、とスカスカの笑い声が聞こえてくる
〈まぁ、早く帰っておいで。ガキが寝なくて困ってんだよ〉
「へーへー、帰りますよー」
紅華の後ろの方から
〈ガキじゃなイ!〉
〈僕は寝たいんですよ〉
とかなんとか聞こえてくるのを聞きながら通話を切る
「…かーえろ」
ふっと口角をあげて帰り道を辿っていく
◆◇◆
「ただいまぁ〜」
音弥の間抜けな声で太一に襲いかかっていた眠気が飛ぶ。
別に、過度に心配していた訳じゃないが、やはりソワソワしてしまった。あと、仲間が仕事に行っているのを知っていてスヤスヤ寝れるほど図太くもないのだ。
「おかえりなさい」
「ん、ただいまぁ。起きてたん?眠そーな声して」
「そろそろ寝ようとしてたとこです。一応、明霞も紅華さんも30分前までは起きてたんですけどね」
ダイニングテーブルにいる太一が目線をソファに移す。
いつものようにソファに寝ている紅華とそれに抱かれる明霞がいる。
「あら、かわええな」
「…てことで、僕も寝ます」
「えー、労ってぇなぁ…」
「お疲れ様でした。冷蔵庫に軽食があるので良かったら」
言いたいことを言って自室に帰る。
正直言って眠気が限界だ。
学校終わりに寝ずに待機は疲れるものである。待てと言われていた訳でもないが。
「はぁ……眠い……」
朝のうちにベットメイキングしておいた布団に入る。明日も変わらず学校に行かねばならない。
太一はゆっくり眠りに落ちた。
いくら太一が拾われた子供でも、殺し屋でも、日常はいたって普通に送られる。
朝は5時までに起きて机に向かう。
その日行われるであろう授業の予習だ。
名前が目立つのは避けたかったので名門ではないものの、それなりの偏差値の学校に通っているため、授業に遅れを取らないために念をいれている。
6時前になればリビングに降りる。
大抵、ソファに寝ている紅華と、二日酔いの羽衣か、同じく二日酔いの音弥がいる。
今日は羽衣がいた。
いつも通り薄着で目のやり場に困る格好だ。
昨日紅華に抱かれていた明霞は恐らく音弥が部屋に運んだのだろう。
「あら、おはよぉ」
「おはようございます。そこの缶、片付けてくださいね」
「分かってるわよぉ」
間延びした声でつかみどころのない話し方は未だに慣れない。もはやずっと酔っ払っているのではないかと思っている。
微睡みにアルコールの香りが邪魔だが、言っても仕方ない。そのまま気にせず自分のことを進める。
いつも通りに朝食を作り出す。日によっては美辰が作る日もあるが別に当番制でもないので作れるときには太一が作っている。
とはいえ、この屋根の下に住む人間全員分を一人で作りきるのは至難の技。結局手伝ってもらうことになる。
「今日はなににするのぉ?」
「和食です。玉子焼きの味、どうしますか?」
「太一ちゃんのはなんでも美味しいから太一ちゃんの好きなのでいいよぉ。美辰ちゃんのは出汁が好きだけど」
要は美辰のは出汁以外不味い、ということだろう。回りくどい、なんとも喜びづらい褒め方だ。
「じゃあ、甘いのと出汁と作りましょうか。多分、明霞は甘いのがいいでしょうし」
「その方が良さそうねぇ。手伝おうか?」
「玉子焼きできましたっけ?」
「さぁねぇ?」
口で言う割に動こうとしない辺り、言ってみただけだろう。
なんと言うか、構ってほしいだけに見える。
「太一ちゃん」
「何ですか?」
「おっきくなったね」
やけに神妙な声で言うものだから、太一は思わずキョトンとしてしまった
「…急にどうしたんです」
「ううん?思っただけよぉ?」
「今更ですか」
「ほら、前までキッチンから肩が見えるぐらいだったのにさぁ。今じゃ換気扇に頭隠れちゃうんだもの」
一体いつの話だか。
卵液を混ぜてフライパンに流し込みながら太一はそんなことを思うも、優しい声色で語る羽衣に少し母性を感じていた。
「羽衣さんはお母さんみたいですね」
「やぁねぇ、お姉さんにしておいてよぅ」
むすっとしながら言う羽衣を横目に朝食を作り進める。
◆◇◆
朝帰りでもない限り、朝は大抵話し声か、いい匂いで起きる。
話し声の正体も、匂いの正体も、ほぼ太一の仕業だ。
正直、朝食だろうが夕食だろうが食えればなんでもいい。食べる時間もモノも、さほど気にしていないし、興味がない。
だが、朝食を作っている音や匂いで起きるのは悪くない。
今日も眠りと覚醒の合間に聞き慣れた男の声と女の声が聞こえる。意識が覚めていくと何がか焼けるいい香りがしてくる。寝る前と同じ酒の匂いも微かにする。
太一がうちに来て十年、紅華はまともに飯を食うようになった。
飢えをしのぐための食事から、コミュニティの場となった食事。
そんなもの、殺し屋に必要だっただろうか。
「…分からんな」
「あ、おはようございます」
「おはよぅ」
「おはよ」
朝になったら腹が減る。そんな普通の事でさえ、以前は感じられなかった。
「今日の朝飯は?」
「和食です。卵焼きの味決めるなら今ですよ」
「塩」
「はい」
カチャカチャと卵をとく音を聴きながらソファから立ち上がった。




