愈々の本番
茗泽の屋敷から車に揺られてアジトに帰る。
(飯貰うの忘れたな)
つい数分前、茗泽の部下を数名殺った。
何人だったかは紅華にとって重要ではない。というか、覚えてられない。ただ、優秀な奴に直してもらった銃にはもう弾は入っていない。ポケットには絶妙に余った銃弾。
(元々いくつ持ってたっけ)
頭を巡らして辿り着いた紅華の中の答えはざっと二十人ぐらい、だった。
(怪しい奴はとりあえず殺ったけど…)
長い道の両脇に並んだ武骨な男数十名をを一人一人選定するほど紅華はマメではない。初見で怪しいオーラが出ていた奴を主に、それを殺したときにオーラが出てきた奴、隠しすぎて違和感だった奴。
多分、外していない。
「私も優しいもんだよな。一発で仕留めたんだから。苦しむ暇もなかったろ」
ボソボソと独り言を言っている紅華に社内にいる茗泽の組織の奴らが不思議そうな顔をしている。
組織の共通語は中国語である。本拠地は中国にあるし、組織の人間はほとんど中国籍だ。日本語が分かる奴の方が少ない。
『…お腹空いたなあ…』
『どこか寄りますか?』
『いい。家で食う』
『分かりました』
大した感情を乗せずに答える紅華のせいで車内は気まずそうな空気が流れている。
そのまま帰路を走っていった。
数十分車に揺られ、アジトの前に着く。
『ありがとな』
『いえ。ではまた』
車から降りて窓から例を言う。
簡素な挨拶を済ませ、去っていく車を見送る。
「あらぁ?今帰ったのぉ?おかえりぃ~」
車を見つめていると後ろから間延びした声が聞こえる。
「羽衣姉さん。うん、今帰った。羽衣姉さんも?」
「そぉよ。いい話持ってきたよぉ」
羽衣の言う、いい話、とは仕事の情報か依頼。
「へぇー?詳しく聴かせてもらおうかな」
二人で家に入っていく。
玄関に雑に靴を放って、紅華はソファに沈む。
「お腹空いたから何か作ろうかぁ~?」
「あー助かる…」
ソファに顔を埋めて、籠った声を出す紅華
「なぁに?親父さんのとこ行ったんでしょ?そんなハードだったのぉ?」
「んー…行く前の頼まれてた仕事は退屈だったけど。総数は多かったかな」
「あらぁ」
「でも、お腹空いてるのが一番の要因」
「あらあらぁ」
くすくすと笑いながらキッチンで何かやっている。
「んで?いい話ってなんだよ」
「ちゃんと座らない子には教えてあげなぁい」
「はぁ?」
文句は垂れつつちゃんとソファに座り直す
「ふふっ、かわい~」
「早く教えてくれますー?」
「はいはい」
キッチンでフライパンを振るいながら話を続ける羽衣に耳を傾ける。キッチンに佇む姿は割と様になっている。なんと言おうか、母親感が漂っている。
「仕事の話なんだけどねぇ」
「…ほーん?」
少し期待に胸を膨らませる紅華。この切り口は紅華にとって楽しいことが始まる合図に等しい。
「最近、三河組が縄張りを広げてるんだってぇ」
「三河組…」
三河組、何度か抗争になったことがある。謂わばヤクザの組織だったはず。
幾度の抗争も紅華はあまり手応えを感じなかったので記憶が薄い。
「でぇ、その広げた縄張りにぃ」
「うちの縄張りが、ってか」
「さすがぁ、勘がいい」
羽衣がキッチンからウインクを投げてくる。
紅華がじとーっと見つめて息を吐く。
「はぁ…どれだけやり合えば気が済むんだよ」
「ほんとねぇ。で、そのやり合いはねぇ」
羽衣が手に持っていた包丁を紅華に向ける。紅華はそれを見てうっすら口角を上げる。
「殺り合い、ですってぇ」
それを聞いた紅華は不適に笑う。羽衣は変わらずキッチンで昼飯を作っている。
「もうさすがに懲り懲りなんでしょうねぇ。終わらせたいみたいよぉ」
「そうかあ、そうだな。なかなかにしつこい組だったしな。たいして強くもないし…」
そこまで言って、紅華は良いことを思いつく。
大して強くない相手。初陣がまだな奴がいるではないか。
「なぁ、それ。太一も連れていけるか?」
「えぇ、連れてくの?」
「最後だろ?そこまで強かねぇし、初心者向けだろ。見学見学」
「紅華ちゃん、あなたやっぱり大事な螺子が外れてるわよぉ…」
「今さら何を言うよ」
だらっとソファに背を預ける紅華。それと同時に羽衣が作った昼飯を持ってくる。
「こっちで食べるのぉ?」
「いいだろ、誰も居ねぇんだから」
「それもそうねぇ~」
リビングのローテーブルに、皿に盛られた炒飯が置かれる。
「おー旨そ」
「太一ちゃん直伝なのぉ」
「さすが、美辰第二号。いただきまーす」
「いただきまぁす」
騒がしい男共も、チビ達もいない昼下がり。
話す言葉こそホワホワとしているが、黙っていれば凛とした空気を纏っている羽衣の隣は紅華にとって昔から心地が良い。
ちらっと横を見れば端正な美顔と目が合う。
「ふふふ、なぁに?」
「いや、美人だなぁと」
「あら、ありがとぉ。紅華ちゃんが褒めるなんて明日は猛暑日かしらねぇ?」
「…失礼な…」
否定しきれず、尻すぼみな語尾になる。
誤魔化すように話題を戻す。
「…その、殺り合いはいつなの」
「えーっとねぇ、来週だったかなぁ」
「ん、わかった」
紅華と羽衣は静かなリビングで炒飯を頬張った。
「ただいま~」
「腹減ったわ~」
「紅華姐姐見テ~!テスト返ってきたノー!」
お昼を過ぎて、日が暮れる前。
騒がしい連中が帰ってくる。
「何点よー…って0点じゃねぇか」
「だっテ、日本語読めないんだモン」
「それを学びに行ってんだろーが」
「俺もたまに読めへん時あるでぇ?」
「お前はただの莫迦なんだよ」
明霞の言い訳に乗っかる音弥と紅華の馬鹿げたやり取りの横で苦笑いしている美辰と仏頂面の太一。
「太一は?何点よ」
「100点でした」
「さすがだね」
「いえ、それほどでも」
顔には是式の問題が解けずしてなんになる、と書いてあるが明霞を目の前にして言わない選択肢を取ったのだろう。
(空気を読むのが巧いことで)
相変わらず小一だとは思えない太一の冷静さに紅華は心の中で苦笑する。
「太一くんは凄いなぁ?俺解けやんかもしれへんわ」
「音弥さん、一応大学生でしょ…」
「なんや?俺が真面に大学生やってると思てんのか?」
「逸そ、潔いですね」
「やろー?」
「褒めてません」
音弥と美辰のやり取りを変わらぬ仏頂面で眺めている太一。それを見て紅華は少し考える。
(人間味が無さすぎるな)
今はこれでも良いかもしれないが、今後、世間を生きていく上で、これでは少し違和感だ。せめて喜怒哀楽ぐらいは持っておいてもらいたい。
ぐるぐると頭を巡らせ、太一に声をかける。
「太一」
「はい」
「笑え」
「…なぜ、ですか」
唐突すぎる提案に太一だけでなくその場にいた五人全員の頭の上にはてなが見える。
「なぜ…今後のためだな」
「今後…」
「お前が大人になったとき、今のお前のままじゃ世間で浮く。だから喜怒哀楽は持っておけ」
「…はあ」
府に落ちてなさそうな太一は黙りこくる。沈黙が出来かけたとき、不意に羽衣が笑い出す。
「ふふふっ」
「私なんか変なこと言った?」
「ううん?紅華ちゃんがそんなことを助言するときが来るなんて、不思議だなぁって思ったのよぉ」
その羽衣の言葉に音弥が続けて笑い出す。
なぜか美辰は感心した様子でいる。
「ほんまやなぁ、はははっ」
「人に言えた口じゃなかったのに、人って変わるもんっすね…」
三人がそういう中で明霞は首をかしげている。太一はどこか知っていたような顔をしている。
「うるさいなぁ…昔のことだろ」
紅華はむすっとした顔をする。
まだ理解できていない明霞と、大方理解した太一。
「…どういうコト?」
「…僕はなんとなくそんな気してたよ」
そういいながらそっと自室に向かう太一。それに明霞が着いていく。
「どういうコトだったノ?」
「紅華さんも昔は感情豊かではなかったってことじゃないかな」
「…ウソダァ?」
「ただの憶測だよ。本当か嘘かは分からない」
そんな会話が紅華の地獄耳に聞こえてくる。
(勘のいい餓鬼だこと)
夜も更け、夕食を終えた皆が自室に戻ろうとしている時に太一を呼び止める。
「あ、そうだ。太一~?」
「はい」
「来週、空けとけ」
「はぁ、分かりました」
特になんとも思っていないような声色で答える。もう少し疑問を持てばよいのに、と紅華は内心思う。やはり、一般的な小学一年生とは乖離している。
そのやり取りを聞いていた美辰が会話に混じり、本来太一が聞くべきであろうことを聞く。
「何かあるんすか?」
「仕事の見学だよ」
「…はっ!?」
短く、しかし力んだ声を発した美辰に紅華は耳を押さえる。
「うるさっ」
「見学って、まじで言ってんすか?」
「なんだっけ、何処かしかの組が殺り合いたいんだとよ」
「組っ?!殺り合い?!正気ですか!?」
「うるせぇな。正気だわ」
段々声が大きくなっていく美辰を一蹴する。
困惑染みている美辰とは裏腹に太一は納得したような面持ちでいる。
「太一、お前もっと驚けよ?!」
「元々、それでスカウトされてますし。殺し屋一団の家に転がり込んで、タダ飯食って、のうのうと生きられるとは思ってないですよ。むしろ、今まで平和すぎてそっちの方が驚きでしたから」
相変わらずの冷静さを見せつける太一に美辰が若干引いている。
さっきから反応が逆な気がしてならない紅華は笑いを堪えるのに必死になっている。
「んじゃ、そういうことだから。来週、初仕事といきますか」
紅華のニヒルな笑みに太一は背筋に冷たい汗が流れた。