最悪の邂逅
作中全編通して過激な表現があります。
小学校に入学した年の夏、ランドセルを背負った久山太一は通学路を帰る。
半袖のシャツとズボンから覗くのはアザや切り傷の跡。ご近所さんからも噂され、学校の先生達も心配の目を向けるほど目立っている。
大人達が真相を聞き出そうとすれば
「転んだ」
「カッター使ったら手が滑った」
なんの緩急もない声で太一は答える。
大人達が疑って聞いてくることは十中八九当たっている。そしてその行為が自分に向けられていることも分かっている。
いわゆる、虐待だ。
大人達に聞かれてはぐらかすのは、保身でもなんでもない。
ただただ面倒、後々自分が困るのは避けたい。それだけの理由である。
太一はぼうっと通学路を帰る
常に聞こえるセミの鳴き声、青の絵の具を撒いたような空、それに映える白い入道雲
特に感動はない。毎年やってくるものだと知っている。
人によっては鬱々しく、人によっては爛々とした季節である。
太一は既に七回目の経験だ。生まれたての記憶があるわけでないが計算上、春に太一が生まれてから七回目だ。
(今年は暑いなあ)
年齢に見合わないような達観した思考を持つ少年は、ジリジリと熱い地面を踏んで帰っていく。
古びた二階建てアパートの一階の一番奥の部屋の扉を開ける
「ただいま」
返事はない。今日も親は居ないようだ。
太一としては都合がいい。
手を洗って、ランドセルを放って、台所に立つ。冷蔵庫を開け、中に入っている野菜を眺め、晩御飯のメニューを考える。
「……面倒だし野菜炒めでいいか」
どうせ帰ってこないだろう。
冷蔵庫を閉じて、小さな円卓の上にランドセルを置く。学校から貰ってきたプリント類を出す。保護者宛てもあるが見せたところで、だろう。先生には適当言っておこう。
プリントの仕分けが終われば、宿題をする。
陽の赤さが目立つ頃、また台所に立つ。
もやし、人参、キャベツ。どれも新鮮さに欠けるがそこはどうでもいい。食えるだけましなものだ。
フライパンに油を引いて炒める。ごく簡単でごく一般的な野菜炒めである。
若干欠けた皿に盛り付けて円卓に座る
「いただきます」
米はない。汁物もない。野菜炒めだけを箸で啄む。
可もなく不可もない、本当にただただ、野菜を炒めただけのもの。もはや料理とも言わないかもしれない。
(食べられるからなんでもいいか)
久山太一という少年は、なにかと欠落している。
こだわりはない。望みもない。日々を生きればそれで良い。
そんな考えを七歳にして持ち合わせている。
環境が異常であれば、必然とその異常さに対応した異常が出来上がる。育ちとはそういうものだろう。
日が落ちて星がチラチラ見える頃、親が帰ってくる。
(また知らない人だ)
自分が居ると相手の人から殴る蹴るに遭い、押し入れに入れられるので最近は親が帰ってくる前に自分で入っている。我ながら気のきく人間だと思う。
わずかな隙間から相手の人を確認して、押し入れで眠る。
男女が揃えばやることなんて限られている。齢十にも満たないうちに知ってしまった太一は幸か不幸か。
そのせいでどんな音が聞こえても寝れるようになってしまった。
(何が楽しいんだか)
そんなことを思いながら、普段なら覚めないはずの眠りに落ちた。
真夜中、聞き慣れない音で目が覚めた
「いやっ、いやあああああ!!!ああ、あ…」
「やめろ!俺はっ、俺は関係ないだろっ!やめてくれっ…!やめっ………」
大人がかなり切迫した声で叫んでいる。
かと思えば、ぷつっと聞こえなくなる。
何事かと押し入れの扉をほんの少し開けて覗く。
そこから見えた光景は、見てしまったことを後悔する景色だった。
深紅に染まる床。倒れた大人二人。恐らく返り血に染まる誰だか知らない人。髪が肩ぐらいまであるから女の人っぽい。
(…なんだ、これ)
呆気に取られ、ただ見つめることしかできないで居ると、返り血に染まった人と目が合う。
気配を殺すのは得意だったのに、と内心悄気る。
その人が近付いて、押し入れを勢い良く開ける。
その豪快さに体が跳ねた
「………」
「………」
返り血に染まった人は太一の目線までしゃがんで鼻先が付きそうな距離でまじまじ見つめられる。
その目は何もかも吸い込んでしまいそうな黒色。恐怖か、驚きか、声が出ない。
「…君」
話しかけられた。高い声からして女の人だと確信する。
「なんですか」
「へぇ、恐くないの?」
「…別に」
正直、恐いよりも驚きと疑問のほうが大きい。
「君いくつ?」
「七歳。小一」
「…ふはっ」
吹き出して笑い出す女の人。不気味だ。
「……」
「いやぁ、ごめんごめん。君面白いねえ?七歳で?これ見て?そんな冷静なのか?ははっ、いやぁ愉快だよ」
これ、といって親指で後ろを指す。赤黒く染まった惨劇のことを言ってるようだ。
「…お姉さんは、誰ですか」
「私?私は早木紅華。知ってる?殺し屋っての。人殺すのが仕事なの」
「ころしや…」
物語でしか聞かない、なんとも物騒な職業だ。
どう対応しようかと悩んでいると楽しそうに喋り出す紅華
「ねえ、これどっちが親?」
既に動かないそれを指して聞いてくる。
「女のほう」
「男のほうは?」
「知らない」
「ふーん。じゃあ、父親は?」
「知らない」
「そっかそっかあ」
満足そうにして、赤く染まった大人二人に近寄る紅華。
太一は押し入れから出ない。
「…殺し屋さん。」
「ふはっ、八百屋さんみたいだね?なんだい少年?」
「僕のことも殺す?」
単なる興味で聞いてみた。殺されたくないわけでも、殺されたいわけでもない。ただの興味だ。
「んー……」
考えるように天を仰いで、パッとこちらを見る。
「少年はどっちがいい?」
楽しそう、とはまた違う。なんだか、試すような言い方だ。
「どっちでもいいです」
「ほう……」
そう呟いたあと、ニヤリと不気味に口角を吊り上げる。
「採用!」
「…何に?」
「少年、うちにおいでよ。向いてると思う」
「………何に?」
多分聞かなくても解っただろうな、と自分で思う。殺し屋さんは心底楽しそうに予想通りの返答をくれた。
「殺し屋だよ」