皆が憧れる彼の婚約者だった時代がありました
それは、私がまだ二十歳だった頃のことです。
私には一人の婚約者がいました。
彼は爽やかかつ整った容姿を持った青年で、周囲の人たちからも好かれている、完璧を絵に描いたような人物。
私には惜しいくらいの人だ、と、当時私は思っていました。
もちろん女性人気も高い彼ですから、彼の婚約者という立場はかなり危険を伴うもので。彼の婚約者であった間、私はよく妙な輩に絡まれました。ちなみに、主に彼に憧れる女性たちです。彼女たちは私のような平凡な娘が彼の婚約者になることが気に入らなかったようでした。
それでも信じていた。
希望を見つめようと努力していた。
けれども、ある日のこと、突然彼に告げられたのです。
「婚約破棄させてもらっても構わないか?」
そんな風に告げられ、私は言葉を失いました。
彼は会うたび笑顔を向けてくれていた。嫌っているような振る舞いも特になかった。それなのにいきなり婚約破棄。何もかも意味不明でした。
その直後に彼から聞いた説明によると、私と一緒にはいられない事情ができたそうです。
正直何が何だか分からなかったけれど、拒否することもできず、私は婚約破棄を受け入れました。
仕方がなかったのです、そうする以外に道などなかったのだから。
こうして私と彼の縁は切れました。私たちは終わってしまったのです。一度は将来を誓い合うかと思った相手との別れは寂しかったけれど、違約金も結構な額貰ったため、何も言えないままでした。
……いえ、その時の私は受け入れていたのです。
私の実家は歴史はあれど裕福な家ではありませんでした。たとえ違約金という形であっても家にお金が入れば親は喜ぶ、だからそれでいい、そんな風に思っている部分がありました。
後に情報通の友人から聞いた話によると、彼は一人の女性に騙されていたそうです。
星の数ほどいる彼に憧れる女性の中でも特に積極的であった一人の女性が、私が股が緩い女だという話を彼に何度もしたそうです。捏造した証拠も使っていたと聞くので、彼女はよほど私を切り落としたかったのでしょう。
彼はその話を真剣に聞いてしまった。
そして私との婚約を破棄した。
私と彼の婚約破棄の件は、こういう話であったようです。
彼にとっては多くないお金をこちらへ払うことで、なるべくスムーズに婚約を破棄――それが彼の作戦だったとか。
ここまでで話が終わっていたとしたら、私は怒りを抑えられなかったと思います。そんな嘘によって私は名誉を汚されたのか、と、悔しくて号泣したかもしれません。怒りを無関係なものにぶつけてしまっていた可能性だってないことはないと思います。
けれど、この話は続きがあって。
彼は、婚約破棄の後、嘘をついた女性と婚約したそうです。
ただ、その女性の実家には実は多額の借金があり、彼はことあるごとにややこしいことに巻き込まれてしまうこととなったとか。
それだけではありません。
その女性は彼に保証人になるように頼み、彼はそれを受け入れたそうなのですが、彼が記名した翌朝その女性は消えたそうです。彼が記名したのは借金関連の書類で、その結果、彼がその借金の責任を負うこととなってしまったらしく。
結果、彼は両親と共に、遠くの街へ逃亡。しかし、そのさなか山道で土砂崩れに巻き込まれて、両親が死亡。急に一人になってしまった彼は心を病み、一時は共に生きていこうと考えていた女性の面影を探しながら、様々な場所を彷徨っているそうです。
一人ふらふらと彷徨う彼の目撃情報は、一件二件ではないのだとか。
その話を聞いて私は「人生分からないものだなぁ」と思いました。
生まれながらにして多くのものに恵まれていた人が、一生恵まれて生きてゆくとは限らない。もちろんそういう人もいるだろうけれど、皆がそうと決まっているわけではない。当然逆も然り。
……この世とはそういうものなのでしょう。
ただ、私の名誉を穢したうえ彼を裏切った女性にも、罰はあったようでした。
やって来た借金取りと揉み合いになり父親が死去。さらには近所の漁師から貰って食べた貝の毒にやられ、母親は死亡、本人も一度は死にかけたそうです。
それを聞き、私は少し安心しました。
他者の不幸を願うべきではない、そう思っています。ただ、すべてを壊した彼女だけは呑気に生きているとしたら、さすがに許せません。受け入れられません。だって、そもそもの始まりは彼女の嘘なのですから。
◆終わり◆