そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)4.5 < chapter.7 >
これはまだ、ベイカーたちがこの世に生を受ける前の話である。当時の中央市では、ある現象が社会問題化していた。
「タトラさん! また出たぞ! あの黒いのだ!」
「はあっ!? 今月だけで何体目だぁ!?」
「もういちいち数えていないよ! ほら、行くよタトラさん!」
近衛隊仕様のゴーレム馬車に放り込まれ、呪術者タトラは現場に連れていかれた。
そこは中央駅からほど近い、市議会議員会館である。建国当初からある古い建物で、ここにはいくつもの怪異談が伝えられている。竜族に殺された騎士の霊、貴族にもてあそばれて自ら命を絶った女の霊、病苦から逃れるため毒を飲んだ初代市長の霊など、幽霊の目撃談がやたらと多いことで有名な場所だ。
そのような『怪奇スポット』の多くで、ここ数カ月、謎の黒い化け物が出現していた。その姿は獣のようであり、人のようでもある。二足歩行の獣人かと思えば、この世のどんな種族の特徴とも合致しない。
狂暴な黒い化け物は人を襲い、町を破壊する。その行動に何の意味や目的があるのか、彼らはどこから現れるのか、何もかもが謎に包まれていた。気配は呪詛に近いのだが、人為的に引き起こされた現象ではない。かといって、自然発生する瘴気のレベルではないため、何らかの発生要因があるはずなのだが――。
「おいみんなーっ! タトラさんが来てくれたぞー!」
「結界班! あと少しだ! もう少しだけ頑張れ!」
「タトラさんこちらです! 地下に閉じ込めてあります!」
騎士団支部員らに誘導され、タトラと近衛隊員は黴臭い石階段を降りていく。
地上の構造物は築五百年と少しだが、地下部分はそれよりずっと古い、古代文明の遺構をそのまま流用した物である。これは中央市ではよくある建築様式で、元の建物が何だったのか、いつからあったのか、詳しいことは何もわかっていない。
古い地下室は、岩盤を直接掘り抜いた洞窟住居のようだった。その部屋の真ん中に黒い化け物がいる。
「オア、アアア、アア、オロ、オア、ロ、オォ、オ……」
姿は人に酷似しているが、人ではない。縦に裂けた口から言葉のようなものを発してはいても、意思の疎通が可能であるとは思えなかった。なぜならこの化け物は、今、その口にネズミを放り込み――。
「うへぇっ!? なんじゃあ、ありゃあ! ネズミを喰っちょるんか!!」
「うわ……気持ち悪……っ!」
化け物の放つ瘴気によって、地下室に住みついたネズミは麻痺状態に陥っている。化け物はそのネズミたちを拾い集め、まるでスナック菓子でも頬張るように、ポイポイと口の中に放り込んでいるのだ。
そしてそれをよく咀嚼し、飲み下した――と、思いきや。
「ボヲォエアアアァァァーッ!!」
「ぬうっ!?」
「うひゃあっ!?」
化け物は一度飲み込んだそれらを、タトラと近衛隊員に向けて吐き出した。
闇の影響だろうか。噛み砕かれてドロドロに溶けたネズミの死骸はアンデッド化し、ネズミのような姿のスライムモンスターとして襲い掛かってくる。
近衛隊員は素早く前に出て、タトラを守りながら応戦。機械化された左腕を盾として使いながら、見事な剣技でアンデッドを退け続ける。
斬りつけられるたび、アンデットは派手な血飛沫を上げ、ほんの数秒は動きを止めるのだが――。
「く……再生が速い……っ!?」
近衛隊員の剣にも機械化された腕にも、アンデット対策は施されていない。この時代、まだ対霊魔弾の使用認可は下りておらず、炎や電撃で焼き尽くす以外の対処法が無かったのだ。近衛隊員の剣技がどれだけ素晴らしくとも、これでは時間稼ぎにもならなかった。
そう、こんな短い時間では、何もできないはずなのだ。少なくとも、ごく普通の術者なら。
「ふむ? なるほど、そうか。変わった能力じゃのう? どれ、バルトロマイ。ワシの後ろに下がっとれ」
タトラは指先だけで何かの印を結んでみせる。と、彼の足元に光の輪が出現した。
光に触れたアンデッドは一瞬で浄化され、噛み砕かれた血と肉の残骸に戻る。
「オッ? オロ、オオ、オォ……?」
アンデッドが消滅したことを疑問に思ったのか、化け物はこちらに一歩を踏み出した。が、青白い光の輪に阻まれ、タトラには近付けない。
「ほれ、どうした? 来んのか? ならば、こちらから行かせてもらおうかのう?」
タトラは再び印を結ぶ。すると指で作った輪の中心から、青い光の矢が放たれた。
矢は化け物の眉間に突き刺さり、それからパァンと弾け、地下室内を浄化の光で満たしていき――。
「……ま、こんなもんじゃろうて」
印を解き、ヒョイと肩をすくめたタトラ。
光に包まれ、化け物は声もなく消失していこうとしていた。誰がどう見ても、『これで終わり』と思える状況である。タトラは化け物に背を向け、つい数分前に降りてきた階段へと歩きだしていた。と、そこにバルトロマイと呼ばれた近衛隊員が声をかける。
「あ、あの……タトラさん……あの化け物は……」
「もう大丈夫じゃろう。この光はしばらく効果が維持される。地下室の浄化が終わるまで上で待たせてもらおう。ここは空気が悪くてたまらん」
「いえ、タトラさん、待ってください。……駄目です……駄目みたいなんです、この光じゃあ……」
「……バルトロマイ?」
タトラはバルトロマイを振り返る。
そして自分の失敗を悟った。
「なっ……」
腹に突き立てられる剣。
驚愕に続いてやってきた痛みに、タトラは声にならない悲鳴を上げる。
「逃げ……て……逃げて、ください……逃げてください、タトラさん……っ!!」
バルトロマイは何かに操られている。勝手に動く自分の身体を、必死に押さえつけているのだろう。タトラの腹に剣を突きさしたまま、必死の形相で小刻みに震えていた。
タトラはこの瞬間、バルトロマイの眼球が闇に染まっていくのを見た。
次いで気付く。
あれだけ大量に浴びていたアンデッドの血飛沫が、一切合切消えている。
あのアンデッドは噛み砕かれたネズミの血肉。つまり、液状の敵だった。剣で斬って一瞬動きを止めても、すぐに復活してしまう。タトラもバルトロマイもその動きに気をとられていて、飛び散った血液にまでは注意を向けていなかった。
再生するアンデットも、いかにも闇堕ち然とした黒い化け物も、すべては囮。この敵の『本体』は、飛び散った血液のほうで――。
「タトラさん……早く……っ!!」
「く……っそがあああぁぁぁーっ!!」
タトラはバルトロマイの身体を突き飛ばし、突き刺さった剣を強引に引き抜く。
噴き出す血液、恐怖、焦燥。
激痛、激痛、激痛。
もうまともな技は使えない。タトラはありったけの魔力で光の矢を連射するが、威力も命中精度も、笑ってしまいたいくらいの最悪さだった。
バルトロマイも必死に抗っているが、体内に入り込んだ『闇』に精神を侵食されているのだろう。意味不明な言葉を吐き散らしながら、出鱈目に剣を振り回している。
この剣に当たって死ぬのが先か、失血性ショックでぶっ倒れるのが先か。
『死』以外の未来が見当たらず、タトラは絶望した。
ああ、こりゃあ駄目だ。
タトラの心が『死』の運命を受け入れようとした、その時だった。
地下室に赤と紫、二色の光が奔った。
この光はいったい何か。
タトラがその答えを知る前に、閉塞的な地下空間にはひどく不似合いな声が響く。
「恋愛戦線、異常アリ! 二人の仲を引き裂くなんて、熱愛騎士、マジカ☆ルミナが許さない! 恋のキラメキ、取り戻させちゃうゾ♡」
「撃ち抜く心は愛の為! 愛がないなら捏造ってあげる! 熱愛騎士、ハーティ★ピアス! 参ります!」
「マジカル・ラブ・ランス!!」
「マジカル・ラブ・アロー!!」
突如現れた二人の魔法少女は、それぞれ赤い槍と紫色の弓で攻撃を開始する。
彼女らの攻撃は対闇堕ち戦に特化しているらしく、槍で貫かれても、矢で射抜かれても、バルトロマイの身体に穴は開かない。が、体内に入り込んだ闇堕ちにはかなりの有効打となっているらしい。バルトロマイは体を大きく捩り、苦しみ悶えている。
マジカ☆ルミナとハーティ★ピアスは一気に畳みかけるべく、大きく踏み込む。
だが、これは罠だった。
「あっ!?」
「そんなっ!」
バルトロマイは急に動きを変えた。
軽い動作でマジカ☆ルミナの首を掴むと、大きく振り回し、ハーティ★ピアスの矢から身を守る盾として使った。
魔法少女は仲間の攻撃では負傷しないが、マジカ☆ルミナは首を掴まれている。それも、機械化された左腕のほうだ。本気で力を込められたら、少女の細い首など簡単に捻じ切られてしまう。ハーティ★ピアスは迂闊に動くことができなかった。
「う……ぐ……」
「やめて! マジカ☆ルミナちゃんを放して!」
「嫌だね。こいつは使える」
「使うって何に!? あなたの目的は!?」
「ヒヒ……イヒヒヒヒ! 目的? そんなモノ、決まっているだろう!? 俺はぶち壊すだけだ! 何もかもぶち壊す! こうやってえええぇぇぇーっ!」
バルトロマイはマジカ☆ルミナを振り回し、棚や机に叩きつける。マジカ☆ルミナの身体を『鈍器』として使っているのだ。
ハーティ★ピアスはバルトロマイに光の矢を浴びせるが、バルトロマイは全くダメージを受けていない。先ほどまでの苦しむ様子は、すべて芝居だったのだ。体内のどこかに隠れた『本体』を正確に撃ち抜かねば、この敵は倒せないのである。
バルトロマイも動き回っているし、体内に潜んだ『本体』もせわしなく動き続けている。面ではなく点でしか攻撃できない槍と弓矢にとって、この敵は非常にやりにくい相手だった。
「だったら蟲毒で……っ!」
「ダメ! ハーティ★ピアスちゃんやめて! 蟲毒じゃあこの人が死ん……がはっ!?」
「マジカ☆ルミナちゃん!!」
地面に叩きつけられ、マジカ☆ルミナはぐったりと動かなくなった。
「く……もう、こうなったら……っ!」
仲間を救うには、この男を殺すしかない。
ハーティ★ピアスが蟲毒を使おうとした時、地下室いっぱいに水色の光が溢れた。
「ダメだよ、ハーティ★ピアスちゃん。この人は操られてるだけなんだから」
そう言いながら階段を降りてきたのは、三人目の魔法少女、ティア†ミストだった。
ティア†ミストは水色の光の剣を携え、ゆっくり、ゆっくりとバルトロマイに近付いていく。
バルトロマイは三人目の登場に、マジカ☆ルミナへの攻撃を止めて警戒する素振りを見せた。
「誰だ、お前は……?」
「私はモラトリアムのティア†ミスト。真実ってね、涙色の霧の向こうにあるものなんだよ。辛い未来なんて、今すぐあなたが見る必要は無い……」
「涙色の……? なんだ? 何を言っている……?」
「分からない? 明日の明日は、明後日じゃない。いつかの未来なの。そう……例えばこんな……」
「!?」
それは一瞬のことだった。
バルトロマイの姿が消えた。
首を掴まれていたマジカ☆ルミナがどさりと地面に落ち、ハーティ★ピアスが駆け寄る。
「マジカ☆ルミナちゃん! 大丈夫!?」
「う……くうぅ……」
「すぐに治癒魔法を……」
「待って……私は大丈夫だから、私より先にそっちの人を。これ以上血が流れたら死んじゃう」
「マジカ☆ルミナちゃん……待っててね! すぐにあなたも治してあげるから!」
「ありがと、ハーティ★ピアスちゃん」
「二人とも、私、先に行ってるね!」
「うん! マジカ☆ルミナちゃんとこのオジサンの怪我を治したら、すぐに追いかけるから!」
ティア†ミストは一つ頷くと、水色の剣を一振りし、切り開いた裂け目から亜空間へと身を躍らせた。
ハーティ★ピアスはタトラのもとに駆け寄り、その腹に手をかざす。するとタトラの傷は、あれよあれよという間に塞がってしまった。
背中側に貫通するほどの刀傷で、無理矢理引き抜いた際、内臓もズタズタに切り裂かれていた。それがどうしたことか、一分にも満たない短時間で、痛みも違和感もなく完治してしまったのだ。タトラは驚き、次にその力量に感服してハーティ★ピアスの足元に跪いた。
「窮地をお救いくださり、ありがとうございます。呪術師のタトラと申します。もしや貴女様は、さぞかし名のある魔女でいらっしゃるのでは?」
見た目が少女のようでも、エルフや魔女、カーバンクルは何百年もの時を生きている。エルフは金髪に緑色の瞳が特徴的な種族であるが、彼女の瞳は緑色ではない。だとすれば魔女かカーバンクルだが、カーバンクル特有のガーネット色のエレメントでは無かった。彼女のエレメントも魔法攻撃時に生じた光も、どちらも紫色。ということは、消去法で『魔女族の腕利き』と判断するのが妥当である。
けれども、ハーティ★ピアスは首を横に振る。
「お顔を上げてください。私は魔女ではありません。デストルドーという神の『器』です」
「なんと!? 神の器ですと!? では、ワシの中にいる神の姿も見えておられる!?」
「はい。ええと……あの、この方、本当にカミサマですか……?」
「もちろん。彼は死の神タナトス。死すべき者の命を狩り、そうでない者の命を守る。見た目は凶悪ですが、心優しい神ですじゃ」
「死の神……ですか。あの、貴方の神は、人の寿命を書き換えることはできますか? 例えば、余命宣告を受けた人間を、何年も生かしておけるような……」
この問いに、タトラは殊更大きく、首を横に振った。
「それはできません。残念ながら、それだけは絶対に覆せない事なのですじゃ。無理に生かそうとすれば、魂の抜けた肉体だけが、いつまでもこの世を彷徨い歩くことになる……」
「……やはり、そうですか……」
「どなたか、ご病気の方でも?」
「いえ……すみません、忘れてください。それで、タトラさん。貴方は先ほどのモンスターについて、何かご存知でしょうか?」
タトラは首を横に振る。
知っていたら、こんな不覚は取らなかった。
タトラの顔は、言葉もなくそう語っていた。
「でも、『闇』との戦いはこれまでにも経験されていますよね?」
「はい。今回も、これまでと同じつもりでおりましたが……どうやら、知能の低い闇堕ちではなかったようですな……」
「ええ。会話が成立する闇堕ちなんてはじめてです。私はもっと、支離滅裂に欲望を叫ぶだけの闇堕ちしか知りません」
「ですが、あれが闇堕ちの類であることは違いありませんからのう。ワシは『神の器』として、あの闇堕ちを討たねばならんのです。そしてあの騎士を、バルトロマイを救いたい。どうか、ご協力いただけませんか?」
「もちろんです、と、言いたいところですが……」
「分かっております。お互い、自分の仲間を優先しましょう」
「はい。ありがとうございます」
「それはこちらの言葉です。どうもありがとうございます」
タトラは頭を下げる。
この会話の最中に、ハーティ★ピアスはマジカ☆ルミナの怪我を治療し終えた。完治したマジカ☆ルミナは腕をグルグルと回し、体の具合を確認しながら質問する。
「えーと、おじさん。タトラさんだっけ? あの騎士と仲が良いなら、あの人の能力について教えてよ。あの左手、なんなの? 掴まれた瞬間に力が抜けちゃったんだけど……」
「ああ、あれは戦闘用義手、『憤激小妖精』じゃ。コボルト族の神とその『器』を材料に作られた、錬金合成兵器じゃのう」
「へっ!? 神と器が材料って!? そんなことできるの!?」
「現存する以上、やっちまったという事じゃあないかのう?」
「んー……同じ一族の人が装備して何とも無いんなら、カミサマも納得してるってことなのかな? でも、人間が材料って……」
「あの義手には、敵の生命エネルギーと真逆の波長のエネルギー波を自動生成し、それを放出することで敵の身体制御を乱す能力がある。それと、《物理防壁》の自動構築と、《魔導クラスター弾》の九十九発連続発射も可能であると聞いておる。左手には気を付けるんじゃ」
「待って。何その性能。そんなの装備してる人が『闇』に操られてるの!?」
「バルトロマイは近衛隊で一番の腕利きじゃ。表向きはただの御者扱いじゃが、実際の戦闘力は王立騎士団……いや、王国一と言っても過言ではない」
「最悪すぎるじゃない。どうやって戦えばいいの、それ」
「いやぁ、ワシにもサッパリ……」
「ンン~……でも、戦うしかないし! ハーティ★ピアスちゃん、急ごう! ティア†ミストちゃんは強いけど、一人じゃ絶対苦戦してるよ!」
「うん! タトラさん、大量出血でしたけど、大丈夫ですか? ちゃんと動けますか?」
「ちょっくら頭がふらつきますが、気合でいけますじゃ」
「それなら、手を!」
「私とも!」
二人の少女に両手を掴まれて、タトラは亜空間へとダイブした。