そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)4.5 < chapter.5 >
同じころ、本部の面々は意外な事実に目を丸くしていた。
あの雑居ビルのオーナーはボビーおじさん本人だった。それもなんと、貴族相手の商売で荒稼ぎしていた時代に土地を購入し、自分で設計して建てたビルである。地下一階から最上階の六階まで、ワンフロア単位で異なる事業者に部屋を貸し、テナント収入を得ているらしい。
大将は雇われ料理人で、経営者は別。面倒な事務手続きや発注業務を担当しているのはその『経営者』のほうで、大将とボビーおじさんに面識はない。
ではその『経営者』はというと――。
「ふむ……まいったな。エランドファミリーの関係者か……」
「面倒臭いのが出てきましたね」
「不動産管理会社のほうも、同じくエランドファミリー関連企業のようだな。情報部がマークしていないはずは無いのだが……」
この件について、既に反社会的勢力専門チーム、コード・レッドに問い合わせ済みである。今日中に何らかの返答があるはずなのだが、今はまだ何の連絡もない。
あの店には、ベイカーとロドニーも何度か足を運んだことがある。マフィアの収入源に喜んで金を落としていたのかと思うと、悔しさ以上に、自分に対する怒りが込み上げてきた。
ロドニーは眉間にしわを寄せ、苛立ちも露わに言う。
「隊長! なんか適当な理由くっつけて、強制捜査入れたほうがよくないですか? 今ならまだ警戒されてませんよ!?」
「いや、店の従業員がどの程度事情を知っているのか分からない。情報部と足並みを揃えよう」
「でも、自分の雇い主を知らないなんてありえますか?」
「ある。俺も幾つか、従業員に名前を伏せて飲食店を経営しているぞ?」
「え? マジですか?」
「ああ、本当だ。庶民向けのレストランの場合、社長や店長という肩書の人間を置いて、その人間を『一番偉いヒト』と思ってもらっている。実際の経営者がベイカー家であることは、一部の従業員しか知らない」
「そりゃあまた、なんでそんな面倒を?」
「ベイカー家のイメージといえば?」
「イメージ? ええと……あ! そういうことですか!」
「ああ。中央進出時のイメージ戦略が、『神秘の黄金郷』と『最高級の宝飾品』だったからな。ベイカー家の名前が出ると、どうしても貴族や富裕層向けの高級路線だと思われてしまう。中流層が気軽に来店できるよう、あえて名前を伏せているんだ」
「でも、そっちのほうが格好良くていいじゃないですか。うち、『串焼きバーベキュー』と『ゴーレムプロレス』ですよ? 庶民的イメージ強すぎて、ハイグレードな新規事業なんて打ち出せない雰囲気なんですから」
「いやいや、そっちのほうがやりやすいだろう? ベイカー家もそのくらい砕けたイメージ戦略で中央進出していれば、こんな面倒な工作は必要なかったのに……」
「工作が必要なパターンなんて、考えたこともなかったなぁ……。それじゃあ、あの店の大将は、本当に『ただの料理人』かもしれないワケですか? マフィアの構成員とかじゃなくて?」
「そういうことだ。こればかりは、エランドファミリーのビジネススタイルをよく知らないと判断できんがな」
「なるほど」
ロドニーが納得したところで、キールが手を挙げた。
「サイト、ちょっといいか? ボビーおじさんの経歴を洗い直してみたんだが、気になる点がある」
「なんだ?」
「二十代のころに購入した物件を、順番に線で結んでいくと……」
「まさか……っ!」
「魔法陣か何かに!?」
「超大作映画の伏線っぽいあれッスね!?」
「いよいよサスペンスっぽくなってきやがったぜ!」
ワッと盛り上がる隊員たちだが、キールは首を横に振る。
「これを見てくれ」
キールが差し出した中央市の地図には、大きな文字で『バカ』と書かれていた。
「……伝説の魔導士ならば、なにかとんでもない秘術を仕込んでいるかと思ったが……」
「そう思われることを見越して、わざと『バカ』と書いたんじゃあないか?」
「一筋縄にはいかないようだな」
「ちなみに、手放していない物件はあれだけだ」
「そこに残されたヴィジャ盤が、『ミミズヤヲサガセ』と言い出したわけか? なんというか、それは……」
「その……言い出しっぺの俺が言うのも何だが、俺たちは、もしかしてとんでもない罠にはめられようとしているんじゃあないか……?」
「そんな気もするが、いまさら止められないぞ? コード・レッドにも問い合わせてしまったし……」
と、ベイカーが苦い顔をしたときだった。内線端末が軽快な電子音を響かせる。
「はい、特務部隊、ベイカーです。……ありがとうございます。では資料が届き次第、こちらでも検討を……はい? ……ええ、『ミミズ屋』が……えっ? 『ミミズ屋』は実在店舗ではない……? はい、ええ……便宜上の呼び名……? ……人間で作った蟲毒……?」
漏れ聞こえる会話に、特務部隊員たちの顔色は悪いほうへ、悪いほうへと変わっていく。
蟲毒って、虫を共食いさせる呪法じゃあなかったっけ――?
それを『人間で』というのだから、自分たちは相当厄介な案件に首を突っ込んでしまったらしい。
まるで葬式のような空気に包まれた特務部隊オフィス。ベイカーは通話を終えると、神妙な面持ちで『残念なお知らせ』をアナウンスする。
「『ミミズ屋』の正体が分かった。ボビーおじさんの副業の一つだ」
「あの……人間を共食いさせてたんですか……?」
「いいや。安心してくれロドニー。使われたのは体細胞のみだ」
「たいさいぼう?」
「『ミミズ』とは、ボビーおじさんの体細胞から培養した劣化クローン個体のことらしい。魔力注入によって細胞を急速成長させると、手足の無いミミズのような姿になるそうだ。ボビーおじさんはそれを共食いさせ、自分の魔力と反発することなく使役可能な、史上最強の蟲毒を製造していた。だから『ミミズ屋』と……」
「そんなもん作って、どうしてたんです?」
「それはもちろん、使っていたのだろうが……」
「誰に?」
「分からん。それ以上は情報部の資料待ちだ」
肩をすくめるベイカーにつられて、隊員たちも思い思いのリアクションで『なんてこった!』を表現している。
電話対応に当たったコード・レッドの事務官によると、この件は情報部全部署に情報共有が為されたらしい。今後の特務部隊の動きは逐次各部署に伝達され、不測の事態にはコード・レッド、コード・ブルー、コード・バイオレットから戦闘要員が送り込まれる。いざというとき頼りになる先輩たちが控えているのは嬉しいが、逆に言えば、そのくらいの備えがなければ危険な相手ということだ。
数分後、資料の束を抱えたコード・レッドの担当者がやってきた。
が、その顔を見た途端、特務部隊員たちは一斉に表情を曇らせる。
「この件を担当させていただくことになりました、ブラッドレッドです。どうぞよろしく」
踵を揃えて、優雅に一礼する男。彼はベイカーの三代前の特務部隊長、ジョージ・メイソンの時代に『特務の一番槍』として知られた凄腕の戦闘員である。既に六十に近い年齢のはずだが、いかにも頑健そうな体つきも、力強さと俊敏さを感じさせる軽快な足取りも、この男がいまだ現役の『戦闘員』であることをうかがわせた。
情報部の内情をよく知らずとも、断片的な噂ならいくつか伝え聞いている。
ブラッドレッドが担当するのは、本当に危険な戦闘が予測される案件のみ。
この男が『担当者』に選ばれたということは、つまり、そういうことなのだろう。
「ベイカー隊長、こちらが問題の店の資料になります」
「拝見させていただきます」
受け取った資料にざっと目を通し、ベイカーは小さくため息を吐いた。
ボビーおじさんの捜索願が出されたのは特務部隊。貴族からの依頼であるため、情報部内での担当部署はコード・ブルーとなる。
エランドファミリーをマークしていたのはコード・レッド。反社会的勢力の専門部署であるため、ボビーおじさんの捜索願について詳細を把握していない。
そもそもボビーおじさん本人は犯罪者でも何でもなく、ただの世捨て人である。禁呪を使うわけでも、希少生物を密猟しているわけでもない。『情報部がマークすべき理由』はどこにもなく、これまで完全にノーマークの人物だった。
どこの部署も連携しておらず、情報も共有されず。その上ボビーおじさんのステルス能力を考えると、『探すだけ無駄』と言える。特務部隊同様、貴族からの捜索願は『無かったこと』として扱われてきたのだ。そのためか、物件所有者・ボビーに関する記述は非常に簡潔なもので、市役所と税務署で得られた情報と大差ない。
補足のつもりか、ブラッドレッドは事務的な口調で言う。
「賃貸契約に不審な点が見当たらない場合、物件所有者はこちらの調査対象に含まれません」
「つまり、ボビーおじさんはマフィアの構成員ではない、と?」
この問いには、ブラッドレッドはハッキリと言い切ってみせる。
「当然です。彼は群れることを嫌いますから」
この口ぶりに、全員が「おや?」と首をかしげた。
「お知合いですか?」
「はい」
「連絡先などは……?」
「携帯端末の番号は分かりません。ですが、彼と連絡を取る手段ならあります。本当に非常時にしか使えない、禁じ手ではありますが……」
「さすがは情報部。伝説のルンペンともホットラインを構築していたとは」
「いいえ、情報部はホットラインを持ちません。彼と連絡が取れるのは、私個人です」
「どういうことです?」
「その……直接ご覧いただいたほうが早いと思います。何を見ても驚かないでください」
「はい。そのつもりで、努力はしますが……?」
「ありがとうございます。では……」
そう言うと、ブラッドレッドはポケットからペンのようなものを取り出した。
全体は赤を基調とし、各所に小さな宝石がちりばめられている。先端には鳥の翼を模した飾りと、ハート形の大きな宝石。一目見ただけで『女性用のアイテム』と分かる装飾だが、ブラッドレッドはそれを手のひらに乗せ、張りのある低音で言う。
「恋愛戦線、異常アリ! ラブチェン☆ハートステッキ、封印解除!!」
このオッサンはいったい何を言っているのか。
若者たちの表情はこれ以上ないほどの真顔だった。しかし、状況は彼らの理解力に対し、何の配慮も示してくれない。
赤いペンは、長さ一メートルほどの魔法の杖に変化する。ブラッドレッドはそれをガシッと掴むと、力強く頭上に構えてコールした。
「コスメティック・トラァァァーンスッ!」
パアッと虹色の光が迸ったかと思うと、光のリボンが幾筋も現れ、還暦間近のオジサンの身体にクルクルと巻き付いていく。
脳内に勝手に流れ始める、謎のBGM。
手、脚、胸元、腰回りと一か所ずつ光のリボンが弾け、情報部の凄腕オジサンに、正体不明の色っぽい変身シーン演出が入ったかと思うと――。
「熱愛騎士、マジカ☆ルミナ! 恋のトキメキ、取り戻させちゃうゾ♡」
キュピーン、という可愛い効果音と共にポーズを決めたのは、還暦間近のオジサンではなかった。弾けるような笑顔が印象的な、十代中頃の美少女である。
「え?」
「あー?」
「これは……」
「どういう……?」
目の前で変身したのだから、これは間違いなくブラッドレッドである。それは理解できるのだが、感情が受け入れを拒否する。
魔法少女の正体が、情報部の凄腕オジサンだと――ッ!?
若者たちの顔には、そんな文字列と色濃い絶望がくっきりハッキリ、鮮明に浮かびあがっていた。
対して『マジカ☆ルミナ』は、特務部隊員の反応を予想していたのだろう。ヒョイと肩をすくめ、「やれやれ」と首を横に振る。
「説明を続けさせていただきます。私と彼とは、かつての戦友です。あなたがたであれば理解は可能だと思いますが、私たちは『神』から頼まれ、『せかいのおわり』を回避するために戦っていました。この姿は私と契約した神的存在、リビドーの姿を模したものです」
「リビドー?」
「はい。リビドーは人間の、生きようとする心のエネルギーそのものを指す言葉です。人が『己』を信じて奮起するたび、無意識的に、その概念に信仰の力を寄せてしまった。その結果、偶発的に誕生した新世代の神が『根源的欲求』です」
「新世代の神……ですか。それで、その『神』と契約して、あなたは何と戦っていたのでしょうか?」
「あなたがたと同じですよ。人の心が生み出す絶望、『闇』と戦っていました」
「ボビーおじさんも?」
「はい。彼も私と同じく、新世代の神、『自傷衝動』と契約しています。もう一人、『猶予期間』という神の契約者もいて、私たちは三人組の魔法少女として活動していました」
「三人目の魔法少女はどなたですか?」
「もうこの世にはいません。『闇』との戦いに負けて死にました。ボビーは彼女の死のあと、何もかも手放して、突然行方をくらませました。『伝説のルンペン』なんて呼ばれるようになったのは、それからですよ」
「彼が伝説級の天才魔導士となったのは、『神の器』だったからですか?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言えます。デストルドーは『突発的・自虐的な破壊衝動』から生まれた神です。人間ならば誰にでもある自虐的な破壊衝動を操り、『死をも恐れぬ行動力』を与えることができます。ただ、与えられるのは意欲と行動力のみですから。あとは彼自身の努力で身に着けた力です」
「なるほど。行動力を与える神、ですか。道理で伝説のルンペンになってしまうはずですね……」
「ええ、自由主義の極みのような神ですからね、彼女は」
「話を戻させていただきますが、もしや、唯一の連絡手段というのは『神の声』ですか?」
「はい。『神の声』であれば、物理的な制約を受けずに、どこにでも声が届きます。私の呼びかけになら、返事くらいはしてくれると思います」
「では、お願いします」
「……久しぶりなので、キャラ作りに苦労しそうなのですが……」
ブラッドレッドは大きく、何度も深呼吸し、自らのメンタルを『情報部の凄腕オジサン』から『熱愛騎士マジカ☆ルミナ』へと切り替える。
そしていかにも魔法少女然としたポーズを決め、可愛らしい声で言う。
「ラブラブ♡キュンキュン♡テレパシィッ!! ハロハロ? こちらはマジカ☆ルミナ! ハーティ★ピアスちゃん! 聞こえてるぅ? ちょっとお話ししたいナァ?」
マルコは膝から崩れ落ち、キールは貧血を起こしてバタンと倒れた。ハンクは真顔でフリーズし、ゴヤはお気に入りの昆虫図鑑を凝視することで自我を保とうとしている。グレナシンとベイカーは互いに抱き合うように体を支え合っているし、ロドニーに至ってはパニックの余り、鼻水を垂れ流して泣き出していた。
「あれあれぇ? ちょっと! ハーティ★ピアスちゃーん! 聞こえてるんでしょー!? ちゃんとお返事してよぉ~っ!!」
そうだぞハーティ★ピアスちゃん。早くお返事してあげないと、うちの隊員たちが絶命してしまうじゃあないか!
ベイカーとグレナシンが腹を下した野良猫のような顔でそう思っていると、ハーティ★ピアスちゃんこと、ボビーおじさんからの返答があった。
脳内に直接響く『神の声』を使い、こちらも魔法少女になり切っている。
「ひゃあぁ~ん! イキナリだからビックリしちゃったよぉ~! どうしたの、マジカ☆ルミナちゃん! 何かあったの!?」
「何かあったの、じゃないよ! ハーティ★ピアスちゃん、今どこで何してるの!? ハーティ★ピアスちゃんが置いていったヴィジャ盤がね、騎士団のお兄さんたちに『ミミズ屋を探せ』って言ってるんだよ!? それなのに、ハーティ★ピアスちゃんが動いてないなんて! ゼッタイに何かあったでしょ!?」
「あっちゃぁ~。バレちゃったかぁ~」
「正直に話して! 何があったの!?」
「ん~、まあ、その……話さなきゃダメ?」
「当たり前!」
「ええと……実は……私、余命宣告受けちゃってさ……」
「えっ!?」
「癌だって。もう全身に転移してて、助かる見込みは無いらしくて……」
「そんな……今、どこにいるの?」
「ナイショ。ごめんね。残った時間は、一秒でも長く、自由に使いたいんだ……」
「……あのモンスターは、どうするの?」
「もちろん倒すよ。……ううん。倒したい。一番元気だったあの頃でも、全然歯が立たなかったから……どこまでやれるか、分からないけどね……」
「……馬鹿!」
「え?」
「なんでもっと早く教えてくれなかったの!? 先月だって、あんまりご飯食べてなかったよね!? 胃の具合が悪いとか言ってたけど、あの時点で、もう分かってたんでしょ!?」
「……ごめん。言ったら、もう二度と、一緒にご飯食べたりできなくなっちゃうと思って……」
「本っっっ……っっっ当に、馬鹿! 大馬鹿大魔神! 信じらんない! 私たちの関係ってそんなのだった!? 違うでしょ!? どこにいるの!? そこまで悪化してるなら、どうせ動くのもつらいんだよね!? 私を頼ってよ! 一緒に居させてよ! どうしていつも、肝心なところで遠慮するの!? そういうの、私相手には要らないって言ってるじゃない!!」
「……ありがとう。でも……」
「デモもヘチマもない! あのね、今、ここには私たち以外の『神の器』もいるの! 味方はリビドーとデストルドーだけじゃないんだよ!? 今なら絶対、あいつに勝てる! だからさっさとあいつを倒して、それからゆっくり療養しよう!? ね!? 特務のみんなも、協力してくれるよねっ!?」
と、いきなり話を振られたベイカーはリアクションをとることができなかった。代わりに答えたのは、グレナシンの身体を乗っ取り、柏手ひとつで装束を変えたツクヨミである。
熱愛騎士マジカ☆ルミナに合わせて、美少女戦士風のミニスカ衣装でポーズを決める。
「もちろんよ! 魔法少女イメクラBLACK! 正義のために共闘するわ! PINKとWHITEも、ヤル気満々ミナギリMAXよ!!」
そう言ってツクヨミは、ベイカーとロドニーの肩をガシッと抱いた。もちろん、『器』の内側にいるタケミカヅチとオオカミナオシも、ツクヨミの手でしっかりホールドされている。
逃げられない。
大和の軍神と白狼は、絶望の面持ちで視線を交わし合った。