そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)4.5 < chapter.3 >
現場の混乱はピーコックの想像以上だった。
トニーの分身二体とチョコを相手に戦っていたグラスファイアも、『それ』が出現した瞬間、状況を理解できずに棒立ちになったほどだ。
『それ』は少女の姿をしていた。少なくとも、シルエットは十代前半の少女のものだ。だが、顔貌は分からない。頭のてっぺんから足先まで、まんべんなく艶消し塗料を吹き付けたような、斑も濃淡も無い漆黒だったからだ。
『それ』は唐突に現れ、声を発することも無く、いきなりグラスファイアを攻撃した。
「っ!?」
不意打ちを食らったグラスファイアは、ノーガードで顎を蹴り抜かれる。が、この体は脳死状態の人間を使ったゾンビゴーレムである。骨折しようと、切り裂かれようと、ゴーレム巫術が解除されない限りは戦える。
生きた人間には到底不可能な体勢から、強引に身体を捻りつつ前進。相手が上段蹴りを終えた瞬間に、カウンターブローを極める。
こらえきれずに吹っ飛ぶ少女。その先にいたのはチョコである。訳も分からず反射的に受け止めようとして、その瞬間、少女が発した闇の衝撃波に吹き飛ばされた。
まるでビリヤードの球のように、チョコを弾き飛ばした反動で少女は止まる。
これが何者かは分からない。だが、どちらの味方でも無いことは分かる。物陰に隠れていたトニーは、この敵に向かって《火炎弾》を放った。
だが、ヒットの直前で何かに相殺された。
それは別方向から撃ち込まれたグラスファイアの《冷凍弾》だ。たまたま同じタイミングで相反する属性の技を使ってしまったせいで、接近した瞬間に相殺しあってしまったのだ。
「この……っ!」
「クソ……っ!」
続けて放った攻撃魔法も、全く同じタイミングである。申し合わせたわけでもないのに、見事なまでに同じテンポで術が放たれていた。
「邪魔をするな! 馬鹿猫め!」
「ああっ!? 邪魔してんのはそっちだろうが! この駄犬が!」
と、無駄な怒鳴り合いをしている間にも、少女は動き始めている。
狙いは、先ほど弾き飛ばされたチョコである。チョコは空き地の隅に積み上げられていた廃材に叩きつけられ、衝撃で蹲っている。まだ顔を上げてもいない。
「っ! チョコ……っ!」
「もらったあああぁぁぁーっ!」
仲間のいる方向に《火炎弾》を撃つことをためらったトニー。対照的に、邪魔な敵を二人同時に撃破することを狙ったグラスファイア。
特大サイズの《冷凍弾》が、チョコもろとも、謎の襲撃者に炸裂した。
「チョコォォォーッ!」
と、流れで叫んではみたが、トニーは途中で気付いていた。
すでに、次の戦闘が開始されている。
それは《冷凍弾》が少女の背に当たる、0.2秒前のことである。
グラスファイアの《冷凍弾》は、真上から撃ち込まれた爆破呪文、《局撃爆轟》によって相殺された。少女は真後ろで発生した爆風に煽られ、チョコの頭上を飛び越えるように飛ばされた。少女が盾になったことで、チョコは無傷。しかし急展開について行けず、目を白黒させている。
そして少女の身体が地面に叩きつけられるより早く、二人目の襲撃者・ラピスラズリは、少女への追撃を開始していた。
「ハアアアアアァァァァァーッ!」
防御魔法で自身が受ける物理ダメージを無効化し、上空五百メートルからの超加速スタンピング。回避不能、防御不能な姿勢で踏みつけられ、少女は地面にめり込んだ。
あまりの衝撃に、周囲には直径五メートルほどのクレーターが出来上がる。
常識的に考えれば、五百メートルの高さから落とされた約百キログラムの物質の直撃を受け、無事でいられる人間はいない。勝負はこの一撃で決まった――と、思われたのだが。
「っ! なんだと!?」
少女は生きていた。
それどころか、全くの無傷である。
「く……っ!」
ただならぬ恐怖を感じ、距離を取るべく、後ろへと跳ぶラピスラズリ。だが、少女のほうが速かった。
「がっ……!?」
みぞおちに極まる正拳突き。攻撃モーションはおろか、いつ立ち上がったのかも分からない。
そして攻撃を受けたラピスラズリが無防備な姿をさらした、ほんの一瞬のことだった。
「……っ!」
恐るべき猛攻が始まった。攻撃の起点も、打撃の瞬間も、何一つ知覚できない。脳が痛みを認識する前に、既に次の攻撃を食らっている。
「が……あ……あ……グゥッ……ウッ……!?」
打撃力に特化した対人格闘技の類であることだけは分かる。だが、その動作が見えない。ラピスラズリはフェンリル狼の『器』として特別に仕立てられた人間なのに、この敵の速度に、まったくついていけなかった。
これは何だ? 一体、どこから現れた?
その場の誰もが同じことを思った。
一切の色彩を持たず、光を反射せず、底無しの闇を纏う者。おそらく闇堕ちの類と推測できるが、この運動能力は『人間』ではない。まず間違いなく、『神的存在』が闇堕ちと化したモノだ。
神の戦いに、ただの人間が手を出すことなどできない。殴られているラピスラズリには悪いが、自分に加勢は無理そうだ。トニーはそう考え、グラスファイアへの攻撃を再開した。
「こぉぉぉの糞猫があああぁぁぁーっ! 死ねエエエェェェーッ!」
「なっ……こいつ、仲間の援護はしねえのか……っ!?」
ドカドカと撃ち込まれる《火炎弾》。トニーが攻撃するのを見て、呆然としていたチョコも慌てて《火炎弾》を放つ。
二人がかりの火焔攻撃。その予想外の手数の多さに、グラスファイアは逃げ出した。
「待ちやがれ!」
「逃がすかよ!」
グラスファイアを追うトニーとチョコ。
現場にはタコ殴りにされるラピスラズリと、不気味な『正体不明』だけが残された。
「く……そっ……たれがあああああぁぁぁぁぁーっ!!」
自分では勝てない。
ラピスラズリはそう判断し、身体制御をフェンリルに委ねた。
するとその直後、おかしなことが起こった。
「……ん?」
急に鈍る敵のモーション。そしてこちらの攻撃は、信じられないほど良く当たるようになった。
(……なんだ? 何が起こった……?)
疑問に思いながらも、この機を逃すわけにはいかない。フェンリルは攻勢を強め、一気に畳みかけていった。
ナイルが現着した時には、戦いは終わっていた。しかし、偵察用ゴーレムで戦いの様子はモニタリングしている。
敵は逃げた。
フェンリルが攻撃の主体を打撃から魔法に切り替えた瞬間、身体を液化させ、地面に染み込むように消えてしまったのだ。
フェンリルは神。その炎は神聖なる『浄化の炎』である。闇を纏うあの敵は、自分にとって何が弱点か、よく分かった上で引き際を見定めた。細かな動作や戦闘中の位置取りからみても、かなり高度な知性を保持した状態で闇堕ちと化している。
獲物に逃げられたフェンリル狼は、不満げに顔を歪ませ、あたりを見回していた。
「ラピ……じゃなくて、もしかしてカミサマのほう? どう? まだ近くに居そう?」
ラピスラズリが『神の器』であることは周知の事実である。赤く光る瞳を見て、ナイルは話しかける相手が『人間』か『神』か、確認しようとした。だがナイルに話しかけられた瞬間、フェンリルはハッとしたような顔をして、すぐに中に引っ込んでしまった。
フッと消える赤い光。ラピスラズリの瞳は、本来の明るい紫色に戻った。
「……悪いな。うちのカミサマ、けっこう人見知りするんだわ」
「いや、ラピのほうが話しやすくて助かる。さっきの、『闇堕ち』ってヤツだよな?」
「ああ。『お菓子の国』にいたのと同じだな」
「女の子っぽい形してたけど……」
「本当の姿じゃないだろうな。というか、実体じゃあなかったと思うぜ?」
「え、実体無いの? でも、普通に殴り合ってたよね?」
「ん~と、風ってさ、風速上がると、手のひらで『触ってる』ような感覚になるじゃん? 闇とか神的存在も、似たような感じなんだわ。相手が強すぎると、ほぼ実体と同じ手ごたえで触れたりすんの」
「あ、そうなの? じゃあアレ、ガチで強い闇堕ちってコト?」
「ああ。けど……」
「けど?」
「いや、後でちゃんと話す。ピーコにも報告しておきたいし」
「そっか。なら、後で聞く。で、この場はどうする? 俺のゴーレムで探せるような感じじゃあなさそうだったけど……」
「だろうな。フェンリルの眼にも、アレの姿は映らない。もうこの辺りにはいないと思う」
「じゃ、移動しちゃって平気かな? 本来のターゲットのほうを追いかけたいんだけど、ラピ、ダメージ大丈夫?」
「フェンリルが治してくれた。完治だぜ」
「便利だなぁ、『神の器』は」
「だろぉ~? 自己修復能力持ってる神ってレアなんだぜぇ~?」
「え、そうなの? ロドニーも秒速で怪我治るじゃん?」
「あれは回復魔法じゃなくて、世界の基本原則ごと書き換えてんだよ。あいつに憑いてる『神』がその気になれば、死人も生き返るかもしれねえぜ?」
「マジで? それ、もしかして最強じゃね?」
「だろうな。まあ、あの神が、人間の思い通りに動いてくれるワケねえけど……」
地上の神々は、創造主が手ずから生み出した、遥か高みの存在である。人間の思惑通りには動いてくれないし、時には世界の秩序を優先し、人間にとっては害でしかない事象を発生させる。一心同体のようであって、『器』と『神』の関係は対等ではないのだ。
神が少しでも力加減を間違えれば、人間なんて、あっけなく命を落としてしまう。それが分かっているからこそ、『器』たちは総じて強気に、ともすれば上から目線とも思えるような言動で神と向き合う。
この体は自分のものだ、お前が神だろうと何だろうと、一時的に貸してやっているだけだからな――という態度で。
例に違わず、ラピスラズリもその一人だ。いつ来るか分からない神の気まぐれに怯えて生きるより、強気に陽気にシャカリキに、一分一秒を自分の好きなように生きると決めている。
そしてその目標を実現するためには、この世界が、この国が、この街が平和でなければならない。大好きな仲間たちが、毎日を楽しく生きていなければならない。好きな人間が一人もいない世界なんて、ラピスラズリにとっては、生きる価値など微塵もない。
だから戦う。
だから負けられない。
ラピスラズリは、たったそれだけの、シンプルな動機で生きている。
「ま、いいや。行こうぜ。ゴーレムに追跡させてんだよな?」
「うん。ただ、自分の足で追っ掛けるにはちょっと距離が……」
と、手元の端末を確認するナイルの背後から、おずおずと声を掛ける者があった。
「あのぉ~……良かったら、乗っていきます?」
「あ!」
「お前もいたのか!」
「はい……置いて行かれちゃいまして……」
緑色に染めたソフトモヒカンと、極太フレームの派手な眼鏡、中肉中背で、イケメンでも不細工でもないごく普通の顔立ちの青年は、車両管理部のデニス・ロットンである。トニーとチョコを居酒屋まで乗せてきて、二人は店内でグラスファイアと遭遇。裏口から開発予定地に移動してしまった。そのせいでデニスは、馬車とセットで、居酒屋の前に取り残されてしまったのだ。
「僕も、トニーさんたちと合流しないといけませんし。いかがでしょう?」
「メチャメチャありがてえ! 頼むわ!」
「キミ、さては良いヤツだね!?」
ラピスラズリとナイルはデニスの運転する馬車に乗り込み、グラスファイアを追った。