表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

00-05 半クラとかいう悪魔、教官は小悪魔



「じゃあ交代しましょう」

 数少ないライトだけが頼りの真っ暗な走行コース。そこよりも少し外れた場所に車を停めてから、揚げ教官と私は同時に席を降りる。場所を交代し、私は恐る恐る運転席に腰掛けた。なんかもう、座るだけで緊張した。



 独特の訛りで教官が言った。

「合宿なもんですから、通学生とは違ってどうしてもコンパクトに進めていかなきゃいけないんでねぇ」

 そうだった、と私はハッとした。改めて気を引き締めなければ。

 前述の00-00でも触れたが、通学して自動車免許を取得するには早くても1ヶ月程度かかってしまう。その反面、今私が参加している合宿は最短18日で卒業ができ(=『実技は合格』の称号を貰える)、あとは地元に帰ってから学科試験だけを受けて合格すれば晴れて免許取得! という流れ。そりゃあ合宿のほうが詰め詰め詰め太郎なスケジュールになるに決まっている。まさか初めての運転が19:30〜からになるなんて予想外だったけれど。




ATオートマMTマニュアルの違いっていうのは……」


 かくして狭い車内で始まったプチ講義。…………ごめんなさい揚げ先生。そもそもこんな出だしで喋っていたかも怪しいですし、そんな長々とした話ではなかったはずなのに、どんな風に教えてくださったか『全く』思いだせません…………。


 去年や一昨年といった最近の話ではないが故、出来事の流れは覚えていても一言一句まで正確には記憶していないのだ。素人ながら、代わりに私がもう一度調べ直してみたので許してほしい。


 詳しく書くとボロが出てしまうので、ざっっっっくりとまとめる。

 オートマ=「オートマティック・トランスミッション」の略。足元にあるのは、アクセルペダルとブレーキペダルだけ。変速は車が自動オートマティックで調節してくれるため、ややこしい操作は不要。揚げ先生によると、現代の地球上を走行する99%の車はオートマ車らしい。本当?


 一方、マニュアル=「マニュアル・トランスミッション」の略。オートマが流行りだす前に主流だった形式の車だが、バスやタクシーの操作を見てみると、時折マニュアル車だったりする。アクセルペダル、ブレーキペダルの他に、クラッチペダルという厄介者が付いているのが最大の特徴。オートマのように変速(自分が出したいスピードに合わせて事前にギアを切り替える)を自動でやってくれるわけではないので、スピード調節の際にはギアを自分で切り替えなければならない。一般的に『ギアチェンジ』とか『シフトチェンジ』と呼ばれる行為である。


 で、そのギアチェンジをする際に最も重要な操作がある。それこそが、初心者泣かせの『半クラ』と呼ばれるもの。足元のクラッチペダルを最大限踏みこんでからすぐに、半分ほどだけ踏みを緩める操作だ。


 ……そう、この「半分」という運転者にとって曖昧で絶妙なラインが、餅角を最後の最後まで苦しめることになるのだ……。



 ちなみに半クラに失敗すると、車にとって急激なショックがかかってしまい、エンスト(エンジンストップ)を引き起こす。すなわち車ごと急停止してしまうことを意味する。そう、ちょうど1日目の私のように。




 もうすぐ20時を回りそうな車内。餅角ケイは助手席に座る揚げ先生と一緒に、ほとんど何もない真っ暗闇の中でひたすら半クラの練習をしていた。


「はい、エンストですね。もう1回エンジンかけ直してください」

 もう何回この台詞を言われたことか…………。


 初日だからという免罪符はあったものの、この「全部踏みこんで半分戻す」という感覚が私にはどうしても掴めなかった。大抵は踏んでから急に引きすぎたり、ゆっくりであっても結局半分以上足を緩めすぎて失敗、そのままエンストしてしまう。そうなるとまた1から鍵を回してエンジンを起動させなければならないため、それはそれは面倒臭い。



 怒られることはなかったものの、何度も同じ失敗をしているうちに「これ一生習得できないんじゃね……?」という餅角のネガティブな一面が芽を出し始めた。他の女子らのように大人しくオートマにしておけばよかったかもしれぬ、といった早すぎる後悔が立ちこめる。


 ……だが、そこでやけくそになってはいけないとも思った。オートマよりも高い合宿費用を喜んで差し出しにいったのは誰だ? それは餅角ケイ、お前自身だ。今この車内にお前がいるのは、1年間必死になって貯めた金を差し出してこそ叶えられた事象なのだ。それを投げ出すなど何と勿体無く、他者から見て何と恥ずかしいことか。


 私はなかなか面倒くさい精神構造をした人間で、妙にネガティブな私と妙にプライドの高い私がいる。不安で不安で仕方なかったけれど、初日は「諦めたら他の人から見て格好悪いよ」というプライドの高い一面が勝った。そして数えきれないほど失敗した後に、やっと1回の小さな成功を掴んだのだった。


 今まで急停止ばかりしていた車が、ほんの少し前進した。クラッチを踏みこんでから半分だけ引き戻す際、初めて途中でエンストせずに済んだのだ。

「そう! その感覚です。今の感覚を大切にしてください」


「おぉ〜〜やった!」

 で、調子に乗って再チャレンジするとまた何回も急停止エンストする。エンストする際に車が一瞬だけ大きく縦や横に揺れるものだから、失敗するその度に、私と揚げ先生は黙って揺らされる羽目になる。失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、成功、失敗、失敗、失敗…………。センスのない私の実績はこんな感じであった。そんなこんなしているうちに、残り時間が少なくなってきた。


 練習の合間。

「あ、向こう側で豚が死んでる」

「へ?」

 私がなんとも間抜けな声を返すと、

「冗談です。私は末っ子なもんでね、人にいたずらするの大好きです」

 車内ライトに照らされた揚げ先生の無邪気な笑顔が、私の心を少しばかり癒やしてくれた。

 ……なんだか揚げ先生って二次元にしたら需要ありまくりなキャラになりそうだなぁ、とオタクっぽい感想を抱いた記憶がある。だって、ニコニコした笑顔からの「首締めますよ?」といったドS発言すなわち爆弾級のギャップ、かと思えばユーモアもあっていたずら好き。どこかのお姉さま方には需要がありそうな……。(?)


 分かったぞこの教官小悪魔だ、小悪魔αgehαだ。私はそう確信し、かくして初日夜の教習は終わった。





*




 20時半前を迎え、閉館間際のすっからかんな教習所。出口を経て乗りこんだ先は、誰もいないガランガランなバス。宿泊先とペコペコ教習所はまあまあ距離があるため、教官の誰かかしらがマイクロバスで毎日送迎してくれる。



 さて、大変な思いをした後の楽しみが食事である。食事は宿泊先のホテルで食べることになっているのだが、私だけ申し込みがギリギリだったせいなのか、同期の皆と宿泊先が違っていた。しかも私の宿泊先はビジネスホテルだったため夕食が提供されず、夕食のときだけ、皆が泊まっている宿泊先まで食べに行くという少し変わったシステムになっていた。


 着いた先は古き良きといった感じの旅館だった。営業時間内に来店、チケットを見せて夕食を受け取り、好きな席で食べるといった流れ。

 これがもう、私にとってはなかなか豪華で毎晩の楽しみとなった。ご飯と味噌汁は好きな分だけ盛り付けでき、主菜、副菜、小鉢、デザートまで付いている。明るいながらも優しげな橙の照明に照らされて、まあまあ上品な椅子やソファがあって、テレビからローカル番組なんかも流れてきて、今日はどうだったとかこうだったとか、皆の楽しそうな笑い声が聞こえてくる……とても良い雰囲気だった。食事付きプランにしてよかったと心から思った。


 ちなみに「食事が美味しすぎて、次の食事がお腹ペコペコになるくらい待ち遠しい」という由来から、教習所の仮名を『ペコペコ教習所』という名前にした。なおこれは翌日以降の話だが、朝ごはんは自分が泊まっているホテルで、昼ごはんは教習所すぐ隣の食堂で食べられることになっている。




 夕食先の旅館から自分のホテルまでは割と近かったため、静かな夜の街を歩いて帰った。部屋に戻ってベッドにダイブするも、なかなか眠くはならなかった。まだ緊張しているのかもしれない。


 鞄をガサゴソして時間割を見る。明日も日中に学科、そして今日ほどではないがまあまあ遅い時間に教習がある。18時半からか、スケジューリングどうなってんじゃいと心の中で愚痴をこぼす。




 寝る準備をしながらつい色々と考えてしまう。シャワーを浴びている間も、着替えている間も、掛け布団の下に身体を入れてからもずーっと。…………これから何が待ち受けているのか。最短で帰れるのか。そして、遠路はるばるやってきた一人ぼっちの餅角に話し相手はできるのか。


「明日も頑張ろう…………」

 私は無理やり目を閉じた。






 本当は『教官はドS紳士』みたいなタイトルにしたかったのですが、一気に釣り臭くなりそうなのでやめました。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ