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出航、前夜  作者: 生津直
7/35

7  モヤる


 和気さんのビールと私の梅酒サワーで幕を開けた今宵(こよい)の酒は、いつの間にか二人で熱燗(あつかん)、というところに落ち着いていた。それはつまり、私の気が大きくなりつつあることを意味する。


「和気さんって……よくやってるんですか? ああいうこと」


「え?」


「あの、忘年会のときの。介抱ついでに……みたいな」


「やってないよ」


 糾弾(きゅうだん)されかけている図でありながら、和気さんはやけに楽しそうだ。


「そんで、女の方から誘わせよう、でもダメだったら黙って寝よう、みたいな」


「いや、そんなつもりはないし……だって、あれはヒデちゃんが誘ってきたんだよ」


「誘っ……」


 てません、と言いかけたが、よく考えたら和気さんは、おそらく終電を逃した私をタクシーで帰らせようとしていたのだ。そこに和気さんを引っ張り込んだのは他ならぬ私自身。


「そりゃ、寝れるとこ行きたーいとか言ってしなだれかかってこられたらさ、まあ期待だけはするよね、誰だって」


「誰だって? ……ちゃっかり普遍化?」


「うん」


 この善人顔が、妙にずるく思えてきた。


「でも期待したってことは……別に不快ではないってことですよね?」


「え、不快? まさか。全然」


「でも、和気さんの方からは誘ってくれないんですね」


「そりゃあさ、僕から誘うのは簡単だけど、その結果にあんまりいい予感がしないから」


「……え?」


 私が混乱している間に、和気さんはあっさり話題を切り替えた。


「ねえ、ヒデちゃんさ、なんか……変な(くせ)あるね」


 こちらがぎょっとするようなことを言いながら、この人はなぜいつもの笑顔でいられるのだろう。


「癖って……? 寝言とか?」


「ううん。タクシー拾おうとしてたときね。ほら、カラオケの後」


「ああ」


「手、()まれたよ、僕。憶えてないでしょ?」


「あ……」


 さして驚きはしなかった。むしろ、この人にもやったのか私は……という事実確認の瞬間だった。


「すいません。(あと)になったりしてないですか?」


「さすがにもう消えたけど、引っ()かれた方の傷はしばらく残ってたねぇ、しつっこく」


 そう言いながら、和気さんはやっぱりニコニコしている。


「そんで、イテテテって言ったら、今度はペロペロ舐めだしてさ」


 我ながら、変な癖どころではない。それをしでかしたのが姉様方の面前でなかったことだけが救いだ。


「……すいません。ほんとに」


「ちょっと気を付けないとねぇ」


「はい」


「男はそういうの、オッケーサインだと思っちゃうよ」


「……思いました? 和気さんも」


 そっと上目(づか)いで和気さんの表情を盗み見る。しかし和気さんは、ドキリとするでもなく、平然と大きく(うなず)いて言う。


「思ったよー。ああもう、さらっちゃおうかなって」


 何だろう。この(さわ)やかすぎる性欲。


「でも、あんだけまともに歩けてなかったらさ、まあ何かできる状態じゃないよね」


 この場合の「何か」とは、合意の上での楽しい性行為のことだろう。一方的に襲うことは、和気さんがその気になればいくらでもできたわけだから。




 他の客が徐々に減り、私たちが最後という状況になると、和気さんは店内をさっと見回して言った。


「さあて、そろそろ行こっか」


 どこに? と、一瞬私は緊張したが、和気さんがどうやら帰る気満々であることは、「明日も仕事だー」という(つぶや)きに見て取れた。そうなのだ。食事をするにあたって「いつでもいいです」と言った私に、和気さんが指定してきた今日という日は火曜日だった。


 今日は私が誘ったのだから私が、という社交辞令を笑顔で制し、和気さんはすっかり手に馴染(なじ)んでいるらしきゴールドカードで会計を済ませてくれた。そこでふと思い出し、私は洗ってアイロンをかけてきた和気さんのハンカチを返した。


 JRで二駅だけ一緒に乗り、私が先に降りる。


「今日はどうも……ごちそうさまでした」


「うん、お疲れ。気を付けてね。また明日」


 ホームに降り、扉が閉まるのを見届けた。窓の向こうで、和気さんがぴらっと手を上げた。私は、ただの派遣社員風にお行儀よく会釈(えしゃく)を返すのが嫌で、思い切ってフランクに手を振る。そんな私の行動にも全く動揺しない和気さんの目は、熱っぽく私を見つめるなんてこともなく、二秒後にはのんびりと中吊(なかづ)りを眺め始めた。


 今日は楽しかったし、和気さんに関する情報量という意味では収穫も小さくはなかった。しかし、それを関係の進展と呼べるのかは(はなは)だ疑問だ。和気さんは一体どのぐらいのテンションで私を見ているのだろう。さっきはせっかく「誘ってアピール」をしたのに、何だか(なぞ)なことを言われてしまったし……。私自身は依然、「もし誘われればOKできる」程度の段階にいた。和気さん、謎すぎる。


 私のモヤモヤは、解消されるどころか一層モヤモヤと渦巻(うずま)き始めていた。




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