4 一夜
そこへ、電話が鳴った。私のだ。慌ててカバーを開くと「母」と出ている。
「あ、家……おかんから。ヤバ」
「ほら、だからさっき電話しとけって……」
そのやりとりも記憶にないんすよ、と思いながら電話に出る。終電の時刻を過ぎているのに「乗った報告」がないが、どこにいるのか、と、お冠だ。
「ごめんごめん、電話すんの忘れてた。なんか隣のチームの派遣さんたちと盛り上がってるうちに遅くなっちゃってさ。そのうちの一人が家近いっていうから、もう一人の子と三人でお泊まりすることになった」
それだけ言えば十分だった。母は派遣イコール女子だと信じ切っているし、実際今日のメンツから言えばそれは当たっていた。私の背後でこの会話を聞いているのが実は男性の上司だとは、夢にも思わないだろう。母自身の育ちがいいから、娘がこのような非行に走り得るという発想自体がないに違いない。
和気さんが単身赴任中で、家族は大阪に住んでいるということを、私はラブホのベッドの上で聞かされた。
私を布団に入れてくれた後、和気さんは布団の上にあぐらをかいて、いつも通りニコニコしながら私を見ていた。
和気さんだけは完全にタイプ外だと、出会って早々に結論付けていた私だが、実は一つだけタイプに合致する要素があったことに今さら気付く。それはズバリ、年齢だ。私は学生時代から年上に目がない。それも、二つや三つ、四つや五つじゃなく、十以上は離れていないと、どうも恋愛のスイッチが入らないのだ。
二人きりで「それ専用」の場所にいながら、和気さんだけは全然エッチな雰囲気にならないのが憎たらしくて仕方なかった。私は環境に呑まれやすいタチだから、向こうから仕掛けてこられたらもう拒めない程度にはその気になっていたというのに。まあそれは多分、相手が和気さんだからじゃなくて、酒のせいで高まった単なる性欲だったけれど。
私は、不倫自体に対しては何の抑止力も持ち合わせていないが、自分から体を求めるのだけは癪だった。だから、こんなニュートラルすぎる(職場にいるときとさえ大差ない)態度の和気さんには決して与えてやるまいと、酔っ払いなりに固く決意した。
「寝ます」
と、きっぱり宣言する。
「うん、おやすみ」
私が布団をしっかりと首まで掛け直していると、和気さんが遠慮なく隣に入ってきた。布団の中でズボンを脱いでいるのがわかる。
「ちょっと……」
「いや、この格好じゃさすがに寝れないもん。ごめんね」
さも当然といった体で和気さんはワイシャツも脱ぎ、ベージュっぽい半袖肌着姿になった。布団の中はおそらく、ブリーフなりトランクスなりの下着だろう。なるべく想像しないようにし、そっと背を向ける。
「ヒデちゃんは? 苦しくない?」
「ないです。大丈夫」
和気さんのことだから、純粋に心配しているだけで他意はないんだろう。実際は苦しくないこともなかったが、今日はブラじゃなくてカップ付きキャミだったから、酔っ払いが脱ぐのは至難の業だ。とりあえず早く寝たい。
「電気……あ、これか」
枕元にあったスイッチを和気さんがしばらくいじり、じきに明かりが落ちた。ベッドが必要以上に大きく感じられる。……和気さんに、触りたい。
「んんんんんん」
「どうした? 気持ち悪い?」
「んんん」
「トイレ行く?」
「んん行かない」
「寝たら治るよ」
「ん」
「おやすみ」
「んんん和気さん、よしよしして」
数秒の間が空いてから、衣擦れが背後に迫り、私の頭が、それはそれは優しく撫でられた。ゆるーりゆるーりとしたその動きは和気さんの人となりそのものを思わせ、アルコールの力と相まって、得も言われぬ満ち足りた眠りをもたらした。