33 カナダ
「ジョニーさんたちは、もともとカナダのご出身なんですか?」
「うん。私はカナダ生まれのカナダ人。リンダは十歳からカナダで、今はカナダ人」
「へえ」
「二人とも、親の世代で中国からカナダに移住したんですよ」
「そうですか。そして今は日本に」
実に国際的だ。
「ご家族で話すときって……」
「英語、ですね、ほとんど」
「でもときどき、甘ーいこと言うとき、中国語使う、この人」
そんなことを言って、二人でうっとりと見つめ合う。……ノロケかい!
流れ的にしょうがないから馴れ初めを尋ねてあげると、彼らは大学時代にバンクーバーで出会い、長い間友達同士だったという。それがしばらくぶりに再会し、互いの困難を支え合っているうちに愛が芽生えたのだそうだ。
「実は私、来年……カナダに行けたらいいなと思ってて」
「あらそう。どの辺に?」
「まだ場所は決めてないんですけど、ワーキングホリデーってご存じですか?」
「ええ、もちろん。ワーホリかあ、いいですね。そりゃ楽しみだ」
ワーホリってなんか響きが軽いし、硬派さが足りない気がしてさんざん迷ったのだが、永住への道を拓くための最善策はこれ、という結論に至った。見栄なんて、後で振り返ればきっと取るに足りないもの。つまらないプライドより実利を取る。それが私の答えだった。
「一応、仮申請はもうしたんですけど、抽選なんで、ちょっとどうなるかまだ」
「なるほど。うまくいくといいね。ビザが無事に取れて、もしトロントに行くようなら私の姉がいますから、よかったら連絡くださいよ」
「あ、お姉様が」
「うん。あのー何だっけ、あ、ホームステイか。あれの受け入れもやってますし」
「へえー、そうなんですね」
「姉のところは子供がもう出てってるから、共働きの夫婦二人で退屈なんでしょう。よくワーホリの人とか学生さんたちと楽しそうに……あ、写真があるな、そういえば」
ジョニーさんは、スマホに入っていた写真を見せてくれた。姉夫婦と、一人か二人の若者が一緒に映っているのが何枚も。若者の人種はその時々でさまざまだった。中には日の丸のハチマキを巻いた大学生ぐらいの男子もいる。
「素敵……なんか私も楽しみになってきました、カナダ行き」
どの街に行くかも、ホームステイをするのかルームシェアなのかも全ては未定だが、何となくイメージが湧いてくる。
入れ替わり立ち代わり料理を取りに行きながら、いろんな話を聞かせてもらった。バンクーバー時代のライフスタイル、隣町のビクトリアに住むジョニーさんのご両親のリタイア生活、お姉さんのお子さんたちのキャリアプラン、西海岸と東海岸での気候の違い、各地の豊かな自然。
お腹は満たされたし、ベリー系のカクテルがおいしくて、いつしか結構いい気分にもなっていた。時刻は間もなく十一時半。ジャズバンドの生演奏が始まり、船上は大いに盛り上がっている。
私はトイレに行くという名目で、ジョニーさんたちを解放してあげた。せっかく家族で来ているのに、肝心のカウントダウンまで私に付き合わせるわけにはいかない。それに、私もちょっと一人になる時間が欲しかった。ジョニーさんの名刺のアドレスにいつでも連絡くれと言ってくれたし、いざとなれば和気さん経由でもコンタクトは取れる。
和気さん……。
今頃どうしているだろう。どこで誰と新年を迎えるのだろう。和気さんのことだから、どんなシチュエーションにしてもきっと楽しそうにしてるだろうな。
ジョニーさんの娘たちが、船室の一角でテーブルマジックにかじりついていた。それを遠巻きに眺めながら、私はスマホを開いては閉じ、開いては閉じて、ついに我慢できず、和気さんとのメールのやりとりを開いた。「心置きなく楽しんで」という文字が、和気さんの声を、笑顔を、想起させた。途端に視界が滲んで嗚咽が漏れかけ、慌てて手で口を押さえる。公衆の面前で、しかもこんなときにこんな場所で泣き崩れたら、惨めどころの騒ぎではない。
そういえばトイレに行こうとしていたんだ、と思い出し、列に並ぶ。階上から聞こえてくる音楽は幸い、華やかで明るいスウィングだった。順番が来て小用を足す頃には、涙は引っ込んでいた。
そこへ、次なる刺客が便器の上で訪れた。股間にあてがったペーパーに、一筋の赤。
ゲッ、マジで!? 勘弁してよ!




