32 ファミリー
「その友達っていうのはちなみに……」
「ああ、会社の同僚なんですけどね。いろいろよくしてもらってるから、感覚としてはもう友達です。仕事抜きでゴルフ行ったりね。でも彼、ヘッタクソなんだなあ。ヘタなくせに好きで、いっつも一番楽しそうなの」
下手の横好き、という慣用句が浮かんだ瞬間、あの音痴なカラオケを思い出し、鼻の奥がツンとして涙ぐみそうになる。慌ててモスコミュールのロンググラスに口をつけてごまかした。
そこへ、歩み寄ってきた女性がいる。何やら怖い顔。
「Hey, Darling, stop bugging her」
と、シニアマネージャー氏を咎める。そして私に向かって日本語で、
「ごめんね。この人、鬱陶しい」
と言った。
「いえ、そんな……」
「ちょうどよかった。妻です。リンダ」
「はじめまして、リンダです」
と差し出された奥さんの手を握る。骨ばった細い指だ。というか、体自体が痩せ型。しかし、どこから湧いてくるのか、強烈なエネルギーというか、迫力を感じさせる。日本人にもいないことはない顔立ちだが、日本語は旦那に比べるとだいぶ顕著に訛っている。
「あ、あのー、由実です。秀野、由実」
そう言えばまだ名乗っていなかったと気付き、二人に自己紹介した。
「ユミは、どう書きますか?」
「由緒の由に、果実の実です」
「ヨイショ?」
「あ、えーと、理由の由」
「ああ、わかります」
中国語のネイティブなのだろうから、漢字さえわかれば書くのは私よりよっぽどうまいだろうな、と思う。
「私のことはジョニーって呼んでください。ジョニー・デップのジョニーね。ははは」
そんなことを言ってリンダさんに背中を引っぱたかれている。
「迷惑なとき、怒ってください。この人、誰でも話しかける」
「いえいえ、そんなことないです」
実際、この奥さんの登場でちょっと面白くなってきていた。
「日本人、あまり、話しかけないね」
「そう、ですね。知らない人にはあんまり」
「実はね、予約を譲ってくれた友達にも言われたんですよ。最近はこういうのに一人で来る女性もいるけど、そういう人を見かけても話しかけたりしないでそっとしておくんだよ、って。でも、そんなこと言われたら、ますます気になるじゃない、ねえ」
「友達」はきっと、ジョニーさんの脳ミソの構造をよくわかっていて、わざとそんな忠告をしたのだ。ますます気になってしまった彼がお一人様女性に声をかけるよう仕向けるために。自分の家族用に予約していたなんて、もちろん大嘘。
夫をたしなめたリンダさんだったが、彼女の方がむしろ私に興味津々だった。
「由実さん、一人暮らし?」
「いえ、実家です。両親と住んでます」
「両親は今日、一緒に来なかった?」
「はい、うちで紅白見てます」
言ってしまってから、「紅白」で通じるだろうかと一瞬気になったが、それは杞憂だった。
「あと、四十五分で終わりますね。今年、トリは誰ですか?」
「さあ……? ちょっとチェックしてないですけど」
「お仕事は? してますか?」
「あ、はい、一応……派遣で入力の仕事を」
実はジョニーさんのすぐ下の階にいる、という情報はとりあえず割愛する。
「あの、日本にはもう長いんですか?」
「うん。八年います」
「今日はお子さんも?」
「うん、どこ行ったかな……あ、いたいた。あそこ」
ジョニーさんが指差した方を見ると、スマホで熱心に料理の写真を撮る女の子が二人。二人ともリンダさんの系統の顔で、何も言われなければ日本人に見えそうだ。
「二人とも高校生」
「日本に八年ってことは、お嬢さんたち、二人ともカナダ生まれなんですね」
リンダさんが「そう」と答え、ジョニーさんが小首を傾げる。
「あれ? カナダの話なんてしたっけ?」
「あ……」
ヤバイ、口が滑った。知っているはずのない情報なのに。
「あの、さっき、ちらっと。ほんのちらーっと」
「うん、娘たちが小学生のときこっちにね」
二人とも細かいことを気にするタチではないらしく、助かった。




