3 十八番
視線の先ではいつの間にか、妖しく光るネオンが師走の寒気を滲ませていた。こんな露骨な紫色、和気さんには似合わないのに。
「もしかして……」
「ん?」
「そういうとこに……向かってま、す?」
和気さんの足が止まる。
「あ、ホテルって……こっち系じゃダメだった?」
何を言われているのかわからず混乱する。どうやら記憶が飛んでいる間にそれ関連のやりとりがあったらしい。
「……ホテル?」
「さっきさ、ヒデちゃん、帰りたくないっつって、じゃあどうしたい? って聞いたら、どっか連れてってください寝れるとこ、って」
「……うん」
そこまで詳しくは憶えていないが、タクシーに一人で乗せられそうになって駄々をこね、和気さんを強引に隣に乗せた記憶はうっすらとある。それに、これまでの経験からすると、酔って甘えん坊と化した私がいかにも言いそうなセリフだし、「寝れるとこ」に和気さんと一緒に行きたいというのはまさに今の私の心境だ。寒いし、気持ち悪いし、頭痛いし、一人にしないでほしかった。何となく。
「そんで、漫画喫茶とか? って聞いたら、バカにしてんすか? って怒ったじゃない」
「ふ・ふ・ふ」
可笑しい。和気さんが語る私の言動が可笑しすぎる。さすが私。
和気さんも陽気に笑って言った。
「何、じゃあ、ホテルとか? って聞いたら……」
和気さんは、こくん、と私の首肯を再現してみせた。
和気さん、かわいい……。
思わず見とれていると、その表情が笑い膜を貼り付けたまま、何パーセントか真顔気味になる。
「ただまあ、どう過ごすかまでは、まだ」
「へえー」と、感嘆の声をあやうく口に出すところだった。この人にまさかこんなやんちゃな一面があったとは。和気さんの顔をじっと見つめてみる。あまりにも「まさか」すぎて想定していなかったから、「この人とはありかなしか」というシミュレーションもまだできていなかった。それを今、いい具合にぶっ壊れた頭でこなせというのは無理な相談だ。私の口が、ぶっちゃけた。
「したいですか? 私と」
「それ僕が先に言っちゃったらさ、パワハラになっちゃうから」
なるほど。その言葉は、答えとして十分だった。
「なんか、意外です」
「意外?」
「和気さんがそういう……要領いいことするなんて」
「まあ、僕も男だからねえ」
と、頭を掻く。
「あ、いや、別になよっちくて女に手も出せないだろとか言ってるわけじゃなくて……」
自分が何を口走っているのかわからなくなってきた。
「奥さんいます、よね?」
左手薬指の指輪。男性で石付きというのは珍しいから、初対面のときから目立ちまくっていた。
「うん、いるけど」
子供は、少なくとも男の子が一人。和気さんの息子さんが云々、という話を、姉様方がオフィスでしていた記憶がある。
「私、しませんよ、そういう……倫理に悖るやつ」
相手が上司だから、ここは一応牽制しておく。
和気さんは不意に、何やら音階をハミングし始める。相変わらずのド音痴だが、私がさっき歌った曲のサビの部分であることはさすがにわかった。叶わぬ不倫の恋を思わせる歌詞が、小林明子のオリジナルボイスで私の脳内に再生される。
「あっ、あれは別に……」
実体験とは関係ないんで、と言いかけて、やめた。実際は関係大ありだったから。