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出航、前夜  作者: 生津直
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29 年の瀬


 その日は何となくざわざわした気分で出社したが、全てが普通で、和気さんも普通だった。夜になって、こんなメールが届いた。


<<ウェブサイト見たよ。ちゃんとした会社がデザインしたちゃんとした船でした。ひと安心>>


 ご丁寧に、親指を立てた絵文字付き。私はすぐに返事を送った。


<<それ以前に、あんなちっちゃな湾の中ぐらいでそう簡単に沈みやしませんよ。むしろ豪華客船で氷山がどんぶらこしてるようなとこ行ってみたいです。>>


<<それはじゃあ、次の目標だね。ではでは、心置きなく楽しんで。>>


 和気さん……。


 会って話したい。せめて忘年会に行くことにすればよかった。でも、みんなと機嫌よく談笑する和気さんの姿を見ていたら、私はきっと人目もはばからず泣き出してしまう。自分の決心が揺らぐ前に、早めに欠席を伝えておいてよかった。そう、これでよかったのだ。




 今年は二十九、三十が土日で、月曜日が大晦日。両親には、今年は友達と数人でカウントダウンクルーズに行く、と宣言し、週末の間にたっぷりと好物を食べさせてもらった。


 家で年末特番をダラダラと見ながらも、私はやっぱり和気さんのことを考えていた。今頃はどこでどうしているのだろう。東京にいるのか、それとも大阪か。ちゃんと家族全員で集合できているのだろうか。あるいは、そんなことはもう誰も望んでいない家族なのか。和気さんのお父さんが亡くなって喪中だから新年を祝うことはできないだろうが、それでも和気さんには年末年始をハッピーな気分で過ごしてほしい。




 カウントダウンクルーズなるものを知ったのは、例のバイト先の副店長と付き合っていたときのことだから、これはかれこれ五年越しの夢だった。船の上で立食しながらライブミュージックなんて、新年でなくたって素敵な体験だ。やっていること自体はちょっとセレブっぽいようで、でもドレスコードがなく気楽に参加できるものもある。


 その時々で付き合っていた相手とのクルーズ体験を、私はその都度(つど)妄想した。そして妄想を繰り返すうちに、これは「私にはできないこと」の象徴と化していった。この五年間、一緒に年を越せるような相手とは付き合っていないから。いつまでも夢見るばかりで、きっと一生乗ることはないんだ、と思ってきた。そこにもちろん括弧書きで、「どうせ私なんか」が付く。


 行きたければそれこそ本当に女友達と行ったってよかったはずなのに、誰かを誘ってみることすらしなかった。私はダーリンと行きたいのであって、女と行ってどうする、という、「理想に対してちょっとだけ欠けているものに嫌悪感を抱く」悪い癖がずっと邪魔をしてきたのだ。これでは悲劇のヒロイン気取りと笑われても仕方ない。


 今年ついに予約を入れたのは、一つには海外行きに対する踏ん切りというか、発破(はっぱ)かけの意味合い。また一つには、和気さんとのお別れをきちんとどこかに刻印しておきたかったというのがある。


 本当は十八歳以上限定のクルーズにしたかったけれど、二人以上でなければ申し込めないものばかりだった。「ほんとはあっちが理想なのに」という気持ちを抑えてお一人様OKの中から選ぶのはあまり楽しいことではなかったけれど、和気さんに言われたことを思い出し、私は足るを知って満足を得る人になろうとしてみた。


 この()に及んで友達を誘わなかったのは自分でも(おろ)かだと思うけれど、万一和気さんが大晦日に暇になった場合に備えてのことだった。私は往生際(おうじょうぎわ)悪く、和気さんと過ごす船上での年越し、という叶わぬ夢をまだ(ほうむ)り去れずにいた。


 明日にはもう、船が出るというのに。




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