19 油断
それからというもの、私たちの密会は頻度こそ約十日に一度を保っていたが、その舞台はレンタルルームが中心となった。決定の主導権は引き続き私にあったから、それを生かさない手はない。先に一杯やるとしても、軽く腹ごしらえする程度。話し込むのは事が済んだベッドの上、というスタイルが一番しっくり来た。
といっても、毎回泊まるわけにはいかない。両親に対してでっち上げる理由にも限界があるし、月に二度も三度もではさすがに怪しすぎるからだ。早めに入って休憩三時間。粘って四時間。それが私の至福の時。マネージャークラスも含めて終業の早い職場でよかったと、神棚にでも手を合わせたくなる。
料金は半分弱を私が出した。収入自体は当然、和気さんの方が桁違いに多いに決まっているが、既婚のおっさんたちというのは意外とお金を持っていない。いや、自由にできるお金を、というべきか。家計は奥さんに握られ、お小遣い制を敷かれているのが普通だから、そこから愛人(の一人)に費やす割合を多く設定していることは稀だ。それに、和気さんのケースならローンも学費もまだまだこれからのはず。
驚いたのは、私が頼まなくても毎回きちんとコンドームを使ってくれていること。私の過去の不倫相手たちは一様に着用を嫌がったものだ。結婚生活を経てナマ慣れしすぎていて、もうビフォアの体には戻れないという事情もわかるから、「外出し」で勘弁してあげるのが通例だった。ただし、イメージ戦略だか何だか知らないが、初回だけは一応着けてみせるところまで皆同じだったのには苦笑する。
そしてもう一つ、和気さんが過去三つの不倫案件と決定的に違うのは、私といるとき、とにかく楽しそうなこと。何というか、内側から外側まで丸ごと健康的な人だなあと思う。罪悪感も開き直りも感じさせない人。そのせいか、和気さんといると、いつも癒やされた。今までのどの男性とよりも、ずっと。
レンタルルームというやつにはバスタブがないから、一緒にお風呂に浸かる楽しみはない。その代わり、結構くすぐったがりな和気さんを洗ってあげるのが楽しくて、シャワーは一緒に浴びることもあった。ひたすら狭いけれど。
あるとき、和気さんの体に付いた泡を流してあげながら、私は呟いた。
「気付いちゃったんだよね」
「ん?」
「二十代が実はもうとっくに後半に入ってたって」
「あれ? ヒデちゃんって今……」
「六。……になった。先月」
「あ、そう! おめでとう」
「今、めでたい話?」
「めでたいじゃない。これからまだまだ何でもできるなあ。うらやましい」
「じゃ、代わります?」
「喜んで」
そんなこと言って、仕事も家庭も、充実まっさかりのくせに。
「とにかく、六からが後半だと思ってたら、実は五からだった、っていう嘆きなわけ」
「ダメだなぁ、ヒデちゃん。四捨五入って言葉、知らないの?」
こんな風にこの人は、ちらほらSっ気を覗かせる。
「んもう! 意地悪!」
シャワーの温度を一気に下げてやると、ヒャアッと乙女チックな悲鳴が上がった。しかし私の手からシャワーを奪い取るその腕力は、紛れもなく男のそれだった。
その日の帰り道、年齢の話は極力しないように気を付けていたのになぜこんな話題を振ってしまったのだろうと、私はちょっと悔やんだ。うらやましいなんて言わせてしまうのは、愛人失格な気がした。和気さんといるときの私はいろいろ油断している。
ベッドから出るときは下着だけでも身に着けるかバスローブを羽織る、というのを、かつては自分のルールにしていた私だが、和気さんが相手だと細かいことを気にするのがバカバカしくなり、すっぽんぽんのままトイレに行ったり歯磨きをしたりするようになってしまった。これも油断の一例だ。
もしかしたら愛人にぐらいは恥じらってほしいものだろうかとも考えてはみたが、和気さんも気にする様子はない。二人とも真っ裸のまま一緒にテレビを見たり、お菓子を食べたりする。こういう緊張感のない空気に夫婦生活の中で飽き飽きしているからこそ、愛人という存在を求めているのかもしれないのに。
和気さんが家族といるところを思い浮かべる度に、オフィスのデスクで見たあの写真が頭をよぎった。単身赴任者が職場に置いておくにはちょっと古すぎる写真と、突然変異的に美形の娘。
そして私は気付いてしまった。「鳶が鷹」ではない、もう一つの可能性に。




