13 忌引
仕事中はほとんど接点がないから、和気さんの仕事ぶりがどんな風だかは想像の域を出ない。とはいえ、あのしっかりした姉様方から悪口が一切聞こえて来ず、それどころか結構頼りにされている様子を見ると、少なくとも「できない人」ではないはずだ。
恋愛に関してはどうなのだろう。接していて「奥手」という印象は受けない。ラブホにどぎまぎする様子もなかったし、あのキスにも迷いは感じられなかった。しかし、しかしだ。一度キスをしたからには会う度にまたするものだと私は想定していたのだが、その後飲みに行っても、そういうアプローチはない。
ついでに言うと、飲みに誘うのもいつも私からだ。万一何かでモメたときに「したいって言われたからしました」と開き直れるよう逃げ道を作られているようで気に食わない。
その「予防線」的発想についてはいつか面と向かって責めてやったはずだが、結構飲んでいたせいもあってか、何を言われているのかよくわからなかった記憶がある。そして私は、理解できないことを言葉面だけで憶えていることができない人間だ。
私が誘うのをやめたら、この関係はきっと終わる。にもかかわらず、飲んだ帰りに私が勝手に手をつなぐと、和気さんは必ず優しく握り返してくれる。それが路上であれ駅であれ、拒まれることは一度もなかった。
ぬるくてだるい、春のある朝。
いつもなら、出社が一番早い姉様に挨拶をして席に着くのだが、今日はその姉様のところに隣のチームのマネージャーである藤野さんが来て、何やら話し込んでいる。藤野さんは、年はおそらく和気さんと同じぐらい。体型は丸っこくて、全体的にもっさりした感じの人だ。
「じゃ、後でまた」
と藤野さんがいなくなると、姉様が私に気付いた。
「あ、ヒデちゃん、おはよ」
「おはようございます」
「あのね、和気さんが、お父様亡くなったそうで、しばらくお休み」
「えっ? あ、そう……ですか」
「多分ねぇ、再来週の頭ぐらいまでかな。その間は、何かあったら藤野さんに」
「あ、はい、わかりました」
お父様が……。
和気さんがそんな不幸に見舞われるなんて。あのニコニコは一体どうなってしまうのだろう。
その日の姉様方の会話によると、和気さんは昨日の夕方に危篤の連絡を受けて早退したが、死に目には間に合わなかったらしい。お父様は入退院を繰り返していたため、もう長くないとご家族も覚悟できていたんじゃないか、というのが彼女たちの見解だ。
当然和気さんの家族も駆け付けるだろう。奥さんと娘は大阪から、息子は北海道から。お通夜や告別式では、奥さんが走り回って大活躍するんだろうな、と想像する。
それから数日、和気さんのいない勤務時間はひたすら灰色だった。和気さんのデスク自体は私の席からは死角になって見えないが、普段は私か和気さんのどちらかがトイレに立ったり、通路にあるコーヒーメーカーまでお茶を入れに行ったりするときにその姿を拝むことができる。日頃そんなに熱心に目で追っているつもりはなかったが、視界に和気さんがいることで自分がいかに癒やされていたかを思い知った。
マネージャー陣の上には、いくつかのチームを束ねている高木さんという偉い女の人(大ボス、と私は勝手に呼んでいる)がいるのだが、彼女にはガラス張りの個室オフィスがあり、たまにそこでマネージャー同士の会議があったりする。そんなときは、私がいる位置から真正面、ほんの十メートルほど先に三十分ぐらい和気さんが座っている。目が合うことはなかったが、私は一方的にそのニコニコを見つめてご満悦だった。その位置に代わりに藤野さんがいても、面白くも何ともない。




