12 ザ・ネガティブ
「ねえ、ヒデちゃんさ、『私なんか』っていうの、口癖?」
「……そうかも。ごめんなさい。うざいですよね」
「いや、うざくはないけど、なんかしょっちゅう言ってる気がするから、ちょっと心配になるね」
「でも、本気で私なんかダメだとか思ってるわけじゃなくて、むしろダメじゃないはずなのになんでダメな奴らの方が幸せそうなんだろうって、その恨みつらみを訴えたくて『どうせ』的な物言いになっちゃうっていうか」
「うん、そうなんだろうな」
「病んでますよね、私」
「傍から見てってこと?」
「うん。よく言われます」
「まあ『病んでる』にもいろいろあるからさ。病んでる自覚がない人がじゃあほんとに病んでないのかっていう問題もあるよね」
和気さんの思考パターンは、私にも徐々につかめてきていた。これまでにも、「なんで私だけ」という愚痴には大抵、「ヒデちゃんだけじゃない」という答えが返ってきている。それを聞く度、楽だろうな、と思う。もし全てを和気さんみたいに、緩ーく捉えることができたら。
私はもともと、楽観的すぎる人とはあまりうまくいったことがない。恋愛に限らず、友人関係も含めてだ。根本的な考え方が違いすぎてわかり合えないというのが最大の理由だろう。実際、彼らの方は別にわかり合おうとすらしていなかったりするのだが、私には、わかってくれない人と仲良くなることはとても難しい。
和気さんは自分がとことん楽観的なのに、私の悲観性を(少なくとも露骨には)嫌がらずに理解を示し、受け入れてくれる稀有な存在だった。
「人間なんてみんな大なり小なり病んでるようなとこあるからねえ」
「私その『大なり』の方の人」
「うん。脳ミソが複雑すぎるのかも」
「かも。わざわざ不幸に寄せてってるでしょって言われたこともあるし」
和気さんはくすっと笑った。
「不幸願望?」
「うーん、別にガンボってるわけじゃないんだけど、ただ、もともとの発想がとことんネガティブで」
「ネガティブかあ。ま、必ずしも悪いことじゃないとは思うけど」
「悪いことですよ。少なくとも世間ではそういうことになってますから。幸せのつかみ方、みたいなハウツー記事なんか読んでると、ネガティブな人には近寄るなってめっちゃ書いてあるし。まるで病原菌扱いですよ」
「あー、それはあれかもね、ネガティブ免疫がない人向けの」
「ネガティブ免疫」
その聞き慣れない用語を、私はしばし噛み砕いた。
「ただまあ、もしね、理想をすごーく高く掲げて、それに対してちょっとでも欠けているものにことごとく嫌悪感を抱くっていうんだったら、損ではあるね。非常に」
「うん、ほんとそう。私、損」
「結果的に即決しちゃうでしょ? あ、これ却下って。そこで柔軟な発想が奪われるっていうか、思考が閉じちゃうっていう弊害は確実にあるよね」
「うん」
「だからチャンスを逃しやすい」
「そう……ですね」
ネガティブ思考が損、あるいはもったいないと、人から言われたことはこれまでにもあったし、ネットで見つけた記事で読んだこともあった。でも、和気さん節で言われると、どんなに優れた自己啓発本を読むよりもずっと合点がいく。私の「なぜ」に対する答えがそこにあるからだ。
「でも、仕組みがわかったところで……ネガティブは生まれつきだから諦めろ、っていう結論、ですよね?」
「いや、そんなことはないよ」
「できる? ポジティブ化」
「ポジティブ化……しようと思うと『ふり』になっちゃって多分逆効果だから、それはもう目指さない方がいいと思うな」
「……ってことは?」
「でも人間に百パーはそうそうないからさ、ヒデちゃんも百パーネガティブではないはずだよね」
「うーん、限りなく百パーに近いとは思うけど」
「うん、でもちょびっと隙間がある。だからそのね、わずかな貴重な前向き要素がたまたまちらっと顔を出したときに、そのちょいポジがどういう効果をもたらしたかをしっかりキャプチャしとくことだね」
「……キャプチャ」
「うん。ポジに向かっていくんじゃなくて、既存のちょいポジを見つけて捕まえる」
「……うん、それならできるかも」
「そこにもし何かしらの実利があったら、あ、こりゃいいわー、って、ヒデちゃんの脳ミソが味を占めるでしょ?」
「うん」
「それがいわゆる成功体験になって、あとはもう自動的にね。人は甘い蜜を吸いたい生き物だから、そっちに吸い寄せられてく」
「でも……ちょいポジ、なかったらどうしよう」
「探してみて本当にゼロだったら、それはもう殿堂入りだよね。ネガティブマスターとしてむしろ誇れるよ」
「……ふふ」
「一点の明かりもない完璧ダークネス。何事もそこまで徹底できたらかっこいいじゃない。本でも書いたらいいよ」
「うん、そだね」
こうして私は今夜も、和気さんのリールにまんまと巻き取られていく。




