壱
マスター曰く、明けの明星とは明け方の白んできた空に浮かぶ星のことで、その星は金星らしい。英名はmorning star。何故店名をそれにしたのだと問うと、何となく格好良いからと三十代半ばを越えた顎髭と垂れ目がトレードマークのマスターが軽い口調で優しく微笑み、そう答えた。
店名なぞそんなものか。深い意味なんて付けないものかと、軽く溜め息を吐きながら視線を落とした。目の前にはブビンガの一枚板のバーカウンター、その上には先程注文したマンハッタン。赤茶色の液体にはチェリーがカクテルピンに刺さりカクテルグラスの底に沈んでいた。間接照明の微かな明かりと、グラスの奥に置かれている小さいキャンドルの明かりに照らされるカクテルのその出で立ちは美しい。
ステムと云われるグラスの足を指で摘まみ持ち、口に近づける。仄かに香るスイートベルモットが早く飲みたいと気持ちを昂らせる。今日も良い一日だった。労働後の酒は格別だ。店内で流れるアシッドジャズを聞き流しながら、今夜もこの掴み所の無いマスターが創るカクテルを楽しもう。そして口を付け、カクテルの女王マンハッタンを一口含んだ。