噂の火元
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
なあ、つぶらや。この学校の七不思議は知っているか?
――まだ知らないか。入学したばっかだもんな。
俺のおじさんがここに通っていた頃には、有名どころの怪談が二つあった。
一つは、生きているものたち。人体模型や二宮金次郎の像、机や椅子などの備品たちが夜中に動き回る。
もう一つは、人食い校舎だ。遅くまで校舎に残る者は、行方不明になってしまう。
ありがちだろう? たいていの人は、動き始めた人体模型や二宮金次郎の像にかどわかされたとか考えるだろうな。
これらの怪談って、子供のしつけと似たような性質を持っている。
昔、よく言われなかったか? 早く寝ないと、お化けがやってくるぞ、とかだ。
人によるだろうが、子供のころは、その言葉がやけに恐ろしく感じられたよなあ?
思うに、この頃は知らないもの、分からないものが多すぎて、「お化け」に対して、どれだけ警戒していいのか、理解が及ばぬゆえだろう。最大限に縮こまって身構えてしまい、それが極上の怖さを生み出していると、俺は考えている。
けれど、年を重ねると、目の前に立ちはだかるんだよなあ。実際に痛くて、怖くて、嫌なことが、どっちゃりとさ。
そうなると、まだ味わってないお化けの脅威なんぞに、構っていられなくなるんだよ。今でもガクブルできるよって人は、自分で思っているより、余裕があるのかもよ。
けど、映画とかアトラクションとか、自分から怖い目に遭うことのできるものが充実しているあたり、根っこでは俺たち、何かを怖がりたい存在なのかもな。
それで、おじさんから聞いた体験談もまた、怖がりたいという願望から生まれたんだ。
おじさんも俺みたいに、学校の七不思議に関心を持っていたんだ。
当時は新聞部の一年生として入部したばかり。その怪談企画の一環として、取材に臨んだらしい。
今までの新聞部の記事は、インタビューして、その内容を記事にまとめることで、活動内容をアピールしていた。
だが、おじさんは、話を聞くだけでは納得できない性質でね。
「火のないところに煙は立たず。火元を押さえない記事など、ただの噂。俺はやけどしてでも、火をつかみたい」
そんな考えでいっぱいだったらしい。受験が終わったばかりで、元気を持て余していたんだろうって話していたよ。
ターゲットは、特に話題にのぼる、先の二つの怪談だ。
人体模型や二宮金次郎像、机や椅子といった備品が生きている。この根拠は、人体模型が昨日とは違う位置に移動しているとか、誰もいないはずの真夜中の校庭に、足跡が残っているとか、登校してくると、机や椅子が不自然に片側に寄っているとか。
新聞部では「どうせ先生方が、生徒が帰った後で、人体模型を動かしたり、グラウンドの整備をしたりということだろ」と結論づけながら、ウワサの表面をなぞるばかりだったらしい。
人食らいの校舎も同じ。下校時間を過ぎて残ったところを、教育熱心な先生に注意されて、生徒指導室で延々説教を食らったために、本来、家にいるべき時間に家にいないから、行方不明だとか騒いだ、とかだろう、と。
おじさんは表向き、先輩と一緒に笑っていたけど、内心では「ゴシップと思い込みで満足するとか、本気で新聞部やってんの?」と、悪態つきたかったようだ。
そこで、体当たり取材。夜の校舎に忍び込もうという算段になったわけ。
親には外泊という体で許可を取り、深夜の学校に入り込んだおじさん。
当時はまだぎりぎり、宿直室が存在していて、警報システムもない時代。楽に侵入ができた。
学校によっては、校内巡視を、訪ねてきた生徒と一緒に行ってしまう先生もいたようだが、今回のおじさんの目的は、馴れ合いではなく取材。
人体模型が動くという噂を確かめるため、校舎の4階の隅。屋上をのぞけば、一番高い階層にある、理科室前に向かったおじさん。カメラを首から提げて、護身用に竹刀袋をかつぎ、理科室の近くの柱に潜んで機会を待つ。
近くの窓からは、立って本を読んでいる、二宮金次郎の像が見える。どちらが来ても、すぐに対応ができるはずだった。
夜が更けてきて、日付が変わる直前。
昼間に体育でハッスルしたおじさんは、じょじょに眠気を感じ出した。こんな時のために、刺激の強いガムを買っていて、実際にかんでみたけれど、焼け石に水程度の効果しかなかったらしい。
昼寝してから臨めば良かったかな、と大あくびをするおじさん。空気が一層冷え込んできて、指先が固まってしまいそうだった。
こんな震え具合で、カメラのシャッターを切れるだろうか。不安になったおじさんは、試し撮りをするために、フィルムを巻き、シャッターに手を掛ける。
できなかった。いくら指に力を入れても、シャッターのボタンは動かない。家を出る前には、確かに正常に動作をしたのに。
どこか壊したか、と焦り出したおじさん。
ふと、窓から月明かりが差し込んできて、思わず、おじさんは外を見やった。
二宮金次郎は消えていた。
目を凝らしても、定位置に彼はいない。
おじさんはすぐさま外に飛び出して、間近で観察したい衝動に駆られたけど、理科室の変化も見逃せない。窓からじっと、外をにらむ。
やがて、目が慣れてきたのか、校庭のトラックを回っている何かが見えてくる。
あの二宮金次郎像だ。しかも、走り回っているんじゃない。跳ね回っているんだ。
いつもの本を読みながらの直立不動の姿勢のまま、ハンコを押していくような動きで、トラック周りにどんどん己の足跡を刻んでいく。
――あれがウワサの正体……!
おじさんは胸が躍らせながら、カメラを動かそうとガチャガチャいじるのを続けていたが、ふと気づいた。
――どうして俺は、「ハンコを押している」と思ったんだ。
もう一度、よく見てみる。
ちょうどこちらに背中を向けて、遠ざかる二宮金次郎。音は聞こえなくても、一定のリズムを刻み、ペッタン、ペッタン……。
月明かりが強まる。不自然なほどに青く強い明かりにさらされ、「それ」は姿を現した。
二宮金次郎像の頭を、チェスの駒のごとくつまんでいる、大きな指と腕……。
「何をしている」
びくり、とおじさんは声がした方を振り返った。
宿直の先生が立っていた。左手に大きな懐中電灯を持って、右手にさすまたを持っている。
「お前、新聞部だな。よりによってこんな日に……ウワサはウワサで満足しておけよ」
先生がつぶやくのとほぼ同時に、ミシリと天井がきしみ、パラパラとかけらが降って来た。
地震? と頭上を見やったおじさんの手を、先生がつかむ。
「逃げるぞ」という呼びかけに、おじさんは首を傾げかけたが、すぐに意味が分かった。
近くの理科室の天井。それが綺麗になくなった。
崩れたんじゃない。外れたんだ。
今、二宮金次郎をつまんでいるのと、同じような大きい手によって。屋上ともども。
ややあって、大人の何人分もある、大きさの目玉が消え去った屋根からのぞく。
唖然とするおじさんの目線が、その目玉とかち合った時、校舎全体が揺れ始めた。
「早くしろ! さらわれるぞ!」
先生に無理やり立たされ、廊下を走り出すおじさん。
ほどなく、背後から衝突音。駆けながら振り返ると、先ほどまでいたところに、二宮金次郎をつまんでいたと思しき、二本指が突き刺さっていた。
先生とおじさんは一段とばしで、どんどん階段を下りていく。その間も、頭の上からは音とほこりが、何度も覆いかぶさって来た。
あの指が、階段の踊り場あたりを境に、学校をフロアごとに順番に持ち上げながら、戻しているんだ。校舎は、元々切れているかのように、指がふれると綺麗にめくれ上がり、指が戻すと、元通りにくっついていく。
おじさんは理解が追い付かなくて、笑いだしてしまったが、どうにか宿直の先生と一緒に、宿直室へ飛び込んだ。
およそ8畳のスペース。そのどまん中にあるこたつを先生がずらすと、地下へ続く階段が出てくる。
「入りなさい! 急いで!」とせっつかれるままに、階段を下りていくおじさん。
十数段下りた先には、裸電球に照らされながら、上の宿直室と、ほぼ同じたたずまいの空間が広がっていた。
やがて、音を立てて、先生が地下に下りてきた。
お家の人には何か連絡してあるか、という先生の問いに、おじさんが素直に答えると、今夜はここに泊まりなさい、と先生が提案してくれる。
「あれは、月明かりが強い夜にだけ現れるんだ」
外はすでに静まり返っている。
「ドールハウスという、おもちゃを知っているか。一定の縮尺で再現された家。お人形遊びの定番グッズ。女の子が中の人形や調度品をいじるように、あいつらは学校の中身をいじるんだ。備品、人体模型、二宮金次郎、そして……人間さえも」
過去に何人か、あの手に連れ去られ、戻ってこなかった者もいる。だが、実際に目にした者でなければ、とうてい信じられない。
だから「人食らいの校舎」のウワサができ、生徒たちの下校をうながしたんだ。
「俺たち人間にできることはただ一つ、こうして身を隠すだけ。永劫の遊び道具にされたくなければな」と先生は付け足した。
翌日、おじさんは先生と一緒に校舎を見回った。
不自然に片側に寄った机や椅子。横倒しになった備品たち。屋上に横たわる人体模型。だが、二宮金次郎だけは元の場所に戻っていた。
ようやく少しは片づけを覚えたか、と先生はため息をついたらしい。
おじさんは、あの時めくれた、理科室の天井や、各フロアの境目を見て回ったけど、どこにも切れ目は入っておらず、しっかりつながっていた、との話だぜ。
今でこそセキュリティが発達し、宿直もなくなったが、あいつらの遊びは、まだ続いているかも知れない、とおじさんは言っていたな。