この世の末路を知るもの。
それは……、俺自身が目覚めた時だった。
俺は、誰だったのか?なんだったのか?生まれる前のことは、今は「伏せておこう」。
ここはどこか?そう、病院だ。当然だ、病院は生まれた瞬間にいるところだ。
しかし、俺の場合は、少し違った。
それは、俺は拘束され、眼球に注射されるという状況だった。
「俺は、奇問 一夜だ!」
ここは、どこだったのか?誰がいたのすらかわからない。
そこには、多数の人間がいて、俺を拘束し、眼球に注射する。
知ってるだろうが、眼球に注射など、麻酔ではない。
精神安定剤だ。おそらく。
麻酔だとしたら、それ以降に喋りも、動きも、人より鈍くなってしまう。
さぁ、ここからが本当のスタートだ。
さて……幕開けかな?
こんな夜にこんな顔……。いや、俺は誰だったのだろうか?
様々な人間に飛び火し、精神世界を飛び回っていた。
それは、1つの爆発から起きたものだ。
「奇問……おまえ、『生き物』じゃないよな」
これは、俺が幼少期、いじめっ子に言われた、吐き台詞だ。
「ああ、そうだよ。俺は--だったんだ。」
ともに笑うだろう。ああ、そうさ。笑えばいい。
しかし、この後。
世にも奇妙なことが起きるのだ。
そのいじめっ子は、俺を近くの川に橋から落とした。何の他愛もない。
俺は、この体を「前の住人が、『精神死』しているから、俺は『自然死』を望んでいた」からだ。
このことは、公に話しても、何を話してるんだといわれるだろう。
しかし、『世にも奇妙なことが起きている』ことにこのいじめっ子は、知らなかったのだ。
これは、俺が生まれる2年前と4年前にさかのぼる。
その時点で、俺は精神病院に入院していた。
そう、俺は生前を今でも覚えているのだ。くっきりとな。
そんな俺が、なぜ?ここにいるか?
そうだな、「運命は『奇問 一夜』以外存在理由がない」からだよ。
人間の運命は、1人の人間であらざるおえない。じゃぁ、それが違ったら?
それこそ、哀れなメリッサじゃないか。
さて、本題だ。俺はなぜ、ここにいるのか?死んだ?そうだな……。その予定だった。
しかし、生きている。ということは。
俺は、『死ねない体』なのだ。
不死の体……『来迎』。それを望んでいる人間は、他者多くといるだろう。
しかし、俺はそれを自分で実証し、発動できる条件がそろえば、いつでも死の世界へと一時避難できるのだ。
なぜ?そんなことをするかって?よく考えてみろ。
俺の体は、24歳に固定化されている。その年齢でしか、世界は受け止めてくれない。しかし、それを自由に操っているとすれば、話は違ってくる。
だろ?今や、俺の精神年齢は40前半なのだ。しかし、体は20代。
そんなことになれば、普通の人間は、陰湿な行為に走るだろう。
しかし、俺には些細な衝動しかなく、本来は別の意味にある。
『復讐には、復讐を』
そう、復讐。……いや、人間の固定概念の変換を望むかな。
この人間は、という一つのイベントがあるとする。
それで、俺が苦しむということは、みんなが苦しむということだ。
……だろう?じゃぁ、それを躾なきゃな。
『自由な発想』は、いい。しかし、他者へも『24歳の束縛』をいつまでも続けてるというなら、話はだいぶ違ってくる。
それは、『理想だ』。というやつがいる。しかし、それを望んでるのは、そういった本人がそれで救われているから、変えてほしくない。そう、ぐうたらな奴としか、評価は変わらないだろう。
俺は、そういうのは、嫌いだ。
時代は、進むのであれば、進まない時代など存在させたくない。
進まない時代しかないのであれば、進む時代は、あってはならない。
それしか、『方法』はないのだ。
この時代を大きく変えるのは、結局のところ、金じゃない。
……心さ。
さぁ、一つ問題がある。
この環境にいると、今まで積み上げてきた『何もかも』がなかったことにされるということだ。
それは、俺にとって、何より不名誉でそんな時代背景は、悲しすぎる。
それで、その現象の始まりをTVなどで、報じない。それを非現実だといわない。そんな大人たちが嫌気がさす。
それで、俺は。何をするかって?そうだなぁ……。
こうしよう。伏兵になればいいのだよ。俺自身が。
何の伏兵か?限られてる時間で?いや、この体自体、本来の持ち主は、死んでいる。ならば……。
来迎が使える俺が、何をするか?
決まってるだろう?例えば、少数野党が、政権を取ったとする、俺は来迎の1つのステップに進めばいい。
そして、そのどういう結果でも、ことがわかれば、「ほら、みろ。『とんだ茶番劇になっている』のに、民族は嫌気が差し切っているわけじゃないか?」と。
1英霊、1法具。1神具。これらすべて、理由があり、結果があった。
俺は、昔の名は、『バイトル』だったよ。
こんな伏兵には、福音を。わからない者たちには、地獄の飢えを。
わかりきった世界には、更なる進化と祝福を。
俺は、願うね。
この物語は、暇つぶしに書いたものですが、来迎ができる人いないかなと、探してみると、なかなかいないですね。
来迎ができれば、なんのかんのも災害から逃れられる。
しかし、それは死という幸福が与えられない。
そんなのいやですね。
俺は。
では、ツイッターに帰ります^^