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隠形の刺客

 どうせ待たされる。


 これまでの経験からゼクはそう学んでいたから、瓜を一度に五本も購入した。しかも食べ惜しむ。僅かずつ、削り取るようにしてかじった。周到なことだと自賛したゼクであるが。


 何としたことか、その一本目にして迎えが来たのだから驚きであった。


 武官服の男と文官服の女が、同じ背丈で、ゼクの前に二人並んでいる。


「ま、まさかゼクさんだなんて……!」


 男の方が名を呼んだ。これも驚きだ。


 レイチ老は依頼人へ仕事人の名を告げない。それで、いつも待ち合わせに難儀するのだが。


「ええと、先日は大変なご迷惑をお掛けしてしまって……ごめんなさい! 全部、僕の考えなしのせいです! 謝って済むことじゃないんですけど、もう、謝りたくて謝りたくて……!」

 

 その必死な様子に、ゼクははたと思い当たった。


 ああ、あの何某なにがしか。


 先の合戦中に見かけ、後日わざわざ棒手裏剣を届けにきた男だ。お辞儀と共に跳びはねる一本結びと、紫眼の上目使いとには、見覚えがあった。素人臭さも同じだ。帯剣しているのに緊張感がない。


「まさか、こいつなの? あんたの命の恩人って」


 女の方の目付きには険がある。


 袖口に何か暗器を仕込んでいるようだが、隙だらけもいいところで、既にゼクの間合いに入っているにも関わらず重心の位置が高い。無防備だ。そもそも男は護衛だろうに、並んでしまっては意味がない。


「そうです! ゼクさんです!」

「……また世間知らずが悪化したみたいね。戦場になんて行くから」

「そ、それは……はい……そうかもです。戦場では取り乱しちゃっていいところなしでしたし、帰って来ても変に舞い上がっちゃって……それであんな馬鹿なことを」

「ほんと馬鹿よね。学ぶ意欲は認めるけれど、いつもいつも暴走し過ぎ」

「うう……奥方様にも同じこと言われました……」

「当たり前よ。身分のある者が傭兵部隊に参加するなんて、宝剣でドブさらいをするようなものじゃない。とうとさっていうのはね、ミトゥ、掛け替えのなさを言うのよ?」


 目の前で何やら盛り上がる二人を、ゼクはもう、意識の外へと追いやっていた。


 狙われているからだ。


 依頼人と対面してもいないこの時点で、既に刺客の気配がある。


 首筋にチリチリと痺れが這い回る。それは命のやり取りを繰り返してきたからこその感覚だ。死線を越えるたびに研ぎ澄まされた、生存本能である。


 容易ならざる敵がいる。それも近くに。


 外套の下、ゼクは剣へ手を添えた。


「でも、戦場でこそ、僕は本当の兵法というものを目撃しました! ゼクさんは圧倒的でしたよ! カオロ、僕たちは万の援軍を得たに等しいんです!」

「痛み分けの無駄戦で何を言っているのやら。あんた目が悪いの? それとも頭が悪いの?」

「何だか夢でも見てる気分ですよ!」

「……人も良いし顔も良いのに、ほんと残念よね。あんたって」


 周囲のざわめきを感覚から締め出し、捨てる。拾うべき音を探す。


 たとえば、地を踏みしめ力を蓄える音を。あるいは、弓弦を引き絞って矢をつがえる音を。さもなくば、鞘から刃が抜かれんとする音を。


「ちゃんと現実を見なさいよ。私たちの前には、ほら、お腹を空かせた野良犬が一匹いるきりじゃない」

「奥方様、きっとお喜びになるだろうなあ!」

「……耳も悪いのよね、あんた」

「さあ、お屋敷へ戻りましょう! 朗報をたずさえて!」

「何言ってんだか……ま、もともと期待していなかったから問題ないけれど」


 迎えの二人が歩き出しても、すぐにはその後を追わない。ゼクの親指は鍔にかかっている。


「ほら、雇われ、遅れるんじゃないわよ。きりきり歩きなさい」


 殺意は途切れない。追ってくる。どこからか。


「ミトゥ! そんな、走っていっちゃって、どうするの!」


 音が鳴った。今、確かに。


 ゼクはグッと重心を下げた。


「まったく……あの子はあんなだけれど、勘違いしないように。私が来たのは、奥方様の顔を立てただけだから」


 高く短く、鋭く身近く、斬る者の意志を弾けさせたそれは……鍔鳴りの音だ。これから刃を交えるのだとすれば鳴るはずのない音だ。それが鳴った。わざとらしくも聞かされた。


 つまりは挑発か、それは。


「そうね。あらかじめ言っておくわ。とりあえずは屋敷へ連れていくけれど、今日中に解雇よ。護衛は足りているし、どこの馬の骨とも知れない雇われ者なんて、百害があるきりだもの」


 そこか。


 ゼクは見た。辻馬車の陰に身を潜ませる者の、車輪越しに覗ける黒い脚絆を。


「それにしても、辛気臭いやつねえ……無駄に鳴かれるよりはマシだけれど。食事代くらいは支払われているのかしら? なんなら恵んでやるわよ?」


 来る。


 ゼクは身構えた。まさに抜剣せんとする構えだ。


 考えての行動ではない。斬られたと錯覚するような、鋭利極まるその剣気に反応したのだ。生き、斬り、死なぬための処方だ。その身に宿した守捨流がゼクを動かす。


 馬車が通り過ぎて……しかし、それだけだった。


 消えた。


 そこには往来の雑踏が流れるきりで、もはや殺伐たる何ものも存在しない。


「ちょ、ちょっと……何なの?」


 ゼクは、警戒したままに数度呼吸した。


「お腹が痛い……あ、まさか、お腹が減っているってこと?」


 さてはと思い至ったことに、ゼクは憮然ぶぜんとした。


 からかわれたのではないか。


 はかられはかられて、何事か納得され、去られたのではあるまいか。


「何を不機嫌そうな顔してるのよ。瓜は食べちゃったの? それでまだ足りないってこと? 何しに来たのよ、まったく……」


 剣から手を放し、吐息する。


 この仕事は厄介であると、ゼクは納得した。依頼人と面会する前にこれでは、先が思いやられるというものだ。戦場へおもむく気概が必要と思われた。


「ほら」


 黒髪の女から差し出されたものがあった。竹皮に包まれた、麦餠と干し魚である。


「そこの路上売りのものよ。雇われには相応でしょ。こっちの都合で振り回すわけだし、これくらいはするわ。さっさと食べちゃいなさい」


 前後の事情はわからないものの、くれると言うのなら断る理由もない。ゼクはそれを受け取った。歩きながら食べる。味わい深い。


「もう、要らない手間ばかり増えるんだから嫌になるわね。奥方様も困った人よ。余計なことをせず大人しくしてたらいいのに」


 ブツブツと何事か呟く女の後に続く。依頼人の屋敷へは、街から馬車に乗って行くという。街外れに待機していたそれは、二頭立ての立派な代物だった。


 そこには金髪の武官……ミトゥも待っていた。満面の笑みだ。


「遅いですよ、お二人とも! あ、もう食べてる! 実は僕も色々と買っておいたんですよ。ほらこれ。道中みんなで食べたら美味しいと思って!」

「ミトゥ……あんたねえ……自分の役割わかってる? 私の護衛でしょうが、一応だけれど」

「あはは、カオロってば」

「な、何よ」

「貴女はゼクさんと一緒だったんですよ? なのに僕が護衛だなんて……うふふ」

「はあ?」

「あの混戦の中でも、窮地の僕を助けられるゼクさんです。こんな街中で何の危険があるっていうんです? やだなあ、もう」

「はあっ!? まだそんな妄想を……」

「僕、強くないですけど、強い人はわかるんです。ゼクさんがいるなら僕の役割は使い走りですよ。足の速さなら誰にも負けませんからね!」


 車窓を眺める者となって、ゼクは黙々と食べた。


 麦餠を食べ、干し魚を食べ、太根の煮物と鶉果じゅんかとを食べて、焼き豚の串焼きを頬張った。肉汁が熱々として甘いから、ゼクはふと気づいた。


 肉を取り扱える区画は限られていて、青果市場からも馬車溜まりからも遠い。


 ミトゥを見た。


 にこりと笑うその男は、まるで微風そよかぜのように捉えどころがないものの、揺れる車内にあって微動だにせず紅果をかじっている。


「ミトゥ! あんた、それ一個食べるのにどんだけかかるの? っていうか、ちゃんと飲み込んでる? ほっぺたパンパンになってるじゃないの」

「む、むうむう!」


 斬りにくそうな相手だ。


 そんなことを、ゼクは思った。

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