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緋屋の仕事

 その日、何をするでもなく日中をやり過ごたゼクは、商店街へとおもむいた。


 黒ずんだその看板には、目を凝らせば緋屋ひやと書いてある。


 古ぼけた油問屋だ。間口が狭い上にしばしば閉じているし、別な通りの競合店が繁盛していることもあって、まず滅多なことでは客が入らない。はたして、夕暮れ時の人の流れからも完全に取り残されている。まるで、建家がそっくりそのまま街の物陰となっているかのようだ。


 そんな店も、裏口へ回ると、壁伝いに意外なほどの広さがわかる。敷地が長細いのだ。裏木戸を叩いてしばらく待つと、キイと開いて、小さな手がゼクを手招きした。


 潜り抜ければ、そこは小庭園だ。


 荒砂利の大地には置石の山が連なって雄大であり、水草の浮く池は湖の静穏を表している。低木と草叢くさむらは濃さとあわさをもってどこか奥行き深くあり、茶に枯れ始めた様をもって何か時の移ろうおごそかさといったものを感じさせる。


 ゼクは、ここが好きだ。


 夕空すら四角く切り取って、ここには、抱きかかえられるだけの世界がある。

 

「ゼクう、ゼクう」


 外套がクイクイと引っ張られた。


 いとけないその手の主は、白い。肌も着物も髪も、全てが真っ白だ。齢七つ。大きくつぶらな二つ瞳が、血の色を湛えて、ゼクの顔を映し込んでいる。


 彼女は、名をシハという。ここに住まう女童めのわらわだ。


「これね、珍しいのよ?」


 差し出してきたざるには、キノコが乗っている。反りかえった傘も、太い茎も、紫色の模様に覆われていていかにも毒々しい。


「いちころ級だもの」


 とんだ危険物だが、この店の裏の顔を思えばそういう品も集まろうというものだ。


 そこな小蔵には剣槍甲冑が、あれなる大蔵には各種油と並んで御禁制の薬物が、母屋と連なる書庫には読む者を選ぶが大枚に値する書物がしまわれていると聞く。そして、この店が御法によって裁かれることはない。社会に必要とされているがゆえに。


 手配師なのだ。ここの店主は。


 表沙汰にできない万事よろずごとを引き受け、解決に必要な人間を秘密裏に斡旋する裏稼業だ。業界の老舗であり、華国北部においては強い影響力を持つという。


 ゼクは十七歳の春に客となった。トリスタ率いる傭兵団との契約も、数多く受けた斡旋の内の一つである。


「食べたい?」


 グイグイと押し付けられたが。


「馬鹿をお言いでないよ」


 ピシャリと叱られて、シハはざるを下げた。苦笑いと共に母屋から出てきたのは、腰の曲がった老女である。温かそうな着物を着ている。緋屋の主、レイチ老だ。


「坊や、よく来たね。台所に蒸かし芋があるから食べるといい。シハもだよ。婆が茶をれるから」


 ゼクは会釈して指示に従った。書庫と大蔵の間という、収蔵物を思えば中々に挑戦的という気もする位置の台所へ向かい、蒸篭せいろの中の芋を取った。まだ熱い。シハと連れ立って座敷へ上がった。


「お芋は素敵ね。外が茶色で、中が黄色で、ほくほく甘いわ」


 適当に相槌あいづちを打ちながら頬張る。食べて、ゼクは自分が空腹であることを思い出した。


「でもみだらだわ。甘くて鮮やかだなんて、とっても淫ら。遊女みたい」


 サワサワと手に持つ芋を撫でられたが。


「あんたは下らない言葉ばかり覚えるね……ほら、茶だよ」


 レイチ老が溜息も深々とやって来て、ゼクの前へ大仰に座った。


「羨ましいなって、思うのよ?」

「芋をうらやむ人生なんざ馬鹿だよ。こんなもの、食べ過ぎりゃ屁が出るだけのものさ」

「でも、シハは食べられちゃうんでしょ? ほら、こんなに白いもの」

「そういう馬鹿は、ここにゃ入れないよ。いざとなりゃ坊やをたのむさね」


 依頼とあらば、そういうこともする。ゼクは肩をすくめてその意を示した。


「ふうん……ゼクは強い?」

「強いねえ」

「どれくらい強い?」

「だあいぶ、強いねえ。そうさな……」


 年経た皺の奥からチラと向けられた視線を、ゼクは無視した。


「もう千人も斬ったら、化け物に届くやもしらん」


 唇に茶が触れて熱いが、すすらず、痺れるような痛みを味わう。


 化け物の斬り方は知らない。まだ。

 

 ゼクは、湯気の中で目を細めた。


「……まあ今日の所は、別な仕事の話さ」


 レイチ老が言うや、シハはつまらなそうに席を立った。お絵描きする、と言い捨てたのは後で見に来いという意思表示なのだろう。ゼクは身じろぎに音を立て、返事とした。


「半端な情けならあの子にゃ毒なんだが……まあ、詮無せんなしかねえ? 坊やのそれもよくよく筋金入りだ」


 茶を置き、レイチ老は話を始めた。


「護衛の仕事だよ。依頼人はうちのお得意様で、北部じゃ知られたお大尽だいじんさ。十日ばかりかけて忌明けの祭事をもよおすんだが、人の出入りの多くなるその間、坊やはお屋敷勤めの真似ごとをすることになる。引き受けるのならね」


 これは前金、と置かれた銭袋がジャラリと鳴った。


 重さを確かめながら、ゼクはそれを己の側へと置き直した。


「ん。依頼人は『躑躅つつじ』家の当主代理。護るのは依頼人の孫娘だ。たった一人の直孫だから大変だね。護身剣として兵法者を欲するのも当然だろうよ。その子の父親を害した誰かは、まず間違いなく、この機を逃さないだろうからねえ」


 剣呑な情報がさらりと漏らされた。


「親族、家人、私兵に食客と、誰一人余さず警戒しな。欲得に絡む悪意というやつは暗器と一緒さね。陽を装って陰に潜み、突に現れて烈を為す。坊やの剣は、またぞろ、怨血を吸うことになるだろうよ」


 老婆の口にする噂ほど不気味なものもまれだ。それは、不吉であればあるほどに託宣に似る。まるで、古木のざわめきが嵐を予告するように。


 茶杯へ手を伸ばすと、さりげない所作で注ぎ足された。


「そういえば……坊や、あんたまた襲われたらしいね? ご落胤らくいんが血相変えて調べていたよ」


 ご落胤とはトリスタのことだ。レイチ老は彼をそう呼ぶ。


「伝えとくと、坊やとやり合った剣客は聖伯流しょうはくりゅうの俊英さ。北都道場の跡目を狙っていた、と言えば後はわかるだろう?」


 聖伯流、とゼクは言葉を舌に乗せた。確かに聞き覚えがあった。


 それは昨年秋に催された武芸大会でのことだ。決勝戦を前にして、木剣の握りを確かめていたゼクに、初老の剣士が話しかけてきた。


「聖伯流の三代目宗家でござる」


 告げられた名は忘れた。しかし流派についてはこれであったと、ゼクは今まさに思い出した。


 剣士にはズシリとした風格があった。物腰や筋骨を見るまでもなく、強者であった。その身から発せられる剣気とでもいうべきものがあって、ゼクは自ずと悟ったものだ。


 ああ、これは無事には済まない。


 この剣士を打ち倒すためには、何かを捨てねばならない。


 腕か脚か。あるいは首か。何にせよ高くつく。多くを支払わねばどうしようもないが……支払ってしまえばどうということもない、と。


 しかし、実に思い掛けないことを言い出したのである。


「決勝戦を辞退してもらいたい。この通りでござる」


 地に膝をつき、頭を下げてである。


「貴殿とそれがしとが試合えば互いにただでは済まぬ。技では貴殿が上だろう。しかし力は某が上。某には退けぬ肩書があり、負けられぬ事情があるゆえ……最後は剣に依らず絞め落とすつもりだ。真剣であれば貴殿の勝ちは揺らぐまいが、この木剣では某に軍配が上がるだろう」


 なるほどと思った。当たり前のことながら、木剣では斬れない。草葉や虫の類ならば斬れないこともないが、剣士の筋骨を切断できようはずもない。


 そして、格闘術については剣術ほどに長じていないゼクであった。


「……口幅くちはばったいことを申し上げる。これまでの試合を見たところ、貴殿はまるで退くことを知らぬ。それは勇猛にも映るが、その実、自暴であるように某は思うのだ。ゆえは問わぬ。されど勝つことへのこだわりはなく、他方、賞金に対しては強い欲が感じられた」


 生真面目な顔を見せて、剣士は言った。


「優勝の賞金は全て譲渡しよう。それとは別に、この無体な提案を呑み込んでもらうための金銭も支払う。その上で準優勝の賞金をも得れば……貴殿の目的にも適うのではあるまいか」


 負けた、とゼクは認めた。剣術によってではなく、弁術によってである。大いに納得してしまったのだ。そうなってしまっては、もう剣を振るえるものではなかった。


 だからだろうか、ゼクにとって、聖伯流とは弁舌の印象を想起させるものであった。


 何しろ、剣技については一つも見たことがない。


「……わかったのかどうか、いまいちわからないねえ」


 レイチ老のぼやきに肩をすくめて応じ、ゼクは銭袋を取った。


「明日の朝、青果市場で瓜をかじってな。そうすりゃ迎えが来る手筈だよ」


 まただ。この老婆は、待ち合わせ場所に食べ物売り場をばかり指定する。ゼクは早々と瓜の風味を口中に思い出しつつ、席を立った。シハの絵を見に行くためだ。


 色彩豊かな絵をつらつらと眺めながら、ゼクは仕立て屋に寄ろうと思い立った。


 銭袋を渡そう。そうすれば、セイの機嫌をうかがいに出向いてくれる。セイのいいように着物をこしらえてくれる。どんな着物になるのかも、どのように着られたかも、きっと知れまいが。


 シハに「ちゃんと見て」と癇癪を起されるまで、ゼクはそんなことを考えていた。

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