修羅の殺法
三殺法、という言葉がある。
剣を殺し、技を殺し、気を殺す。剣をもって敵を打ち倒すための心得だ。
「剣の動きを妨害し、技を畳み掛けて防戦を強い、以上をもって戦気を挫くと解釈されるところのものだが……お主の剣風からすれば別の意味を持たせねばなるまい」
愉快そうな声がどこからともなく届くから、ゼクはぼんやりとそれを聞く。声に浸かる。目を開いているのか閉じているのかもわからないままに。
「ふむ。何もかもを捨て去って、ただの一つきりを取らんとするのだから」
はたと気づいた。これは夢であると。
「そうさな、まずは」
ああ、まただ。寒く寝苦しい夜に、しつこく湧き生じてくる夢だ。
ゼクは目覚める術も堪える術もなく、ただ慄いた。
「手始めに、親を殺さねばなあ」
しみじみとそんなことを言うのだ。紫顔の悪鬼は。
そして、言葉には機会を手繰り寄せる性質があるらしい。
十六歳の冬であった。
一振りの剣を抱き締めて、ゼクは枯れ野に身を潜めていた。耕地を吹き抜ける風は冷たく乾ききり、視線の先ではうらぶれた村が身を寄せ合うかのようにして縮こまっていた。
野盗がここを襲う、と悪鬼は言った。それを全て斬れとも。
言われたゼクは、できるか否かではなく、見過ごしていいのか否かと悩んだ。ゼクは日常の脆さを知る。地に根差した生活とは言わば草木の在り方であって、暴力という火嵐が吹き荒れれば抗いようもなく蹂躙されるのだ。
生き辛い季節でもある。災難は避けた方がいい。
だから、ゼクは村人に忠告した。逃げてはどうかと。あるいは領主へ願い出て軍隊を派遣してもらってはどうかと。できればその両方をやってもらい、兵と共闘できればいい……そんな考えもあった。
嗤われた。
聞けば村の男たちには従軍経験者が多く、盗賊の類はおろか、領主に対しても譲るところがないという。なるほど痩せ枯れてはいても男たちの腕力には侮れないものがあったし、古錆びてはいても刺せば殺せる刃であった。
脅されも、した。
どこの誰とも知れないお前こそが物見であろうと、殴られ、剣を奪われそうになった。嘲笑を背に逃げ出した。枯れ野へ至る頃には野盗の斬り方へ思いを巡らせていた。
村人が勝って野盗が逃げ散ったのなら、追って一人一人を斬ろう。
戦いが拮抗したのなら、村人に助勢して斬ろう。
野盗が勝ったのなら……その時は、最も斬りやすい頃合いを見計らおう。
地に伏せて独り、ゼクはその時を待った。持参した干飯をかじり、水を舐め、虫を獲って食むなどして三日が経った。村はさして警戒しているそぶりもなく、細く頼りなげな炊煙を上げるばかりだった。
そして野盗は来た。白昼堂々の襲撃であった。
その人数は予想よりも多く、武装も整っていた。傭兵くずれだ。
合戦において力を発揮するその徒党が平時の治安を乱す。特に珍しい話ではない。領主が慰撫金を出し惜しむとこういうことが起きる。「黄禍原」以降、そうやって打ちのめされた村は数多い。
村の男たちは戦った。剣を振り上げ、槍をしごき、果敢に抗った。
しかし、戦力の差は歴然だった。
数の上ではさして変わらなかったが、武器の質に差があり、何よりも戦いへの熟練に隔たりがあった。
攻める際は、いい。実際、勇猛な突き込みで野盗が串刺しにされる様も見た。
だが村の男たちは攻められるとひどく脆かった。ごく単純な虚実に対応できない。振りかぶられた剣に反応して盾を上げ、次の瞬間には脚を薙がれてのたうちまわる。すぐにもとどめが刺される。
野盗は容赦がなかった。
武器を取った男たちはもとより、老人も家から引きずり出し殺していった。子供は暴れようが泣き叫ぼうが一切構わず、縄で後ろ手に縛って繋いだ。いずこかへ売り払うのだろう。最後に女たちを品定めし始めた。
ここだ。
ここからが好機だ。
ゼクはそろそろと村へ近づいていく。風が吹くたびに寄り、止むたびに止まる。子供の泣き声が続くうちにやれるだけのことをやりたい。剣を抜く。鞘は置き捨てる。麦藁の向こう側には見張り役らしい野盗が二人、何やら話して笑っている。
跳び込んで一閃、首を一つ切り裂いた。刃を返して一突き、もう一人の脇腹を深々と貫く。どちらも致命傷だが音が立った。後者の口を押さえて静まるのを待つ間に、早くも泣き声は下火になってきた。
代わって聞こえ始めたものがある。獣声だ。男が最も隙だらけになる時間の始まりだ。
ゼクは音の位置を確認した。八軒の家に分かれて刹那の巣篭りをするらしい。しかもそれぞれの家の中で酒盛りまでするようだ。
思った以上に油断してくれたが、ゼクはそれを善し悪しだと思った。
つまりは、軍隊が駆けつけてこないことを意味するからだ。
己の手で斬り尽くすしかない。やはり。
孤立した者を狙う。三人目となったのは子供を束ねて脅しつけていた男だ。棒で叩こうとしていたところを背後から斬って捨てた。飛び散った血と臓物を見て子供が泣き喚いた。
その騒がしさに紛れて、別な場所で屯していた見張りを一人斬る。立小便をしていたもう一人も混乱している間に斬った。これでもう外には誰もいない。襲撃の手際からするといかにも粗雑な警戒だ。あるいは、この村は領主によって野盗へと差し出されたのかもしれない。
寒い、とゼクは思った。頬が冷たく乾いて、痛んだ。
風が吹き付けてくる地平を見やり、家々の配置を思い、麦藁を静かに運び始めた。誰もいなくなった家の台所から油瓶を集め、獣たちの巣の壁に振りまいた。風下から順に火種を落としていった。
じいっと、背に肩に注がれる視線があった。幾つもの幼い瞳がゼクに向けられていた。
手の汗を拭い取り、更には砂を塗した。気息を整え、刃を検め、剣を強く握りしめた。
風上の家へ跳び込んだ。
無言で斬った。薙いだ。抉った。刺した。何をおいても速さを欲した。獣に牙剥く隙を与えず、吠える暇を与えず、猛り立つ間も与えない。呼吸もせずに斬り続ける。後に「血嵐」と名づけるに至った技が、まさに生まれた瞬間であった。
増し増す火勢に肌を焼きながら、そのようにして五軒を片づけた。女は斬らなかったが、助かったかどうかはわからない。あるいは焼け落ちた屋根の下敷きになったのかもしれない。
どちらにせよ、捨て置くことに変わりはなく。
火災の村を駆け、跳んで、ゼクは斬りに斬った。
「クソ! 誰だ、この期に及んで火事なんて起こしやがった馬鹿は!」
「軍が来たんじゃねえか!? あいつら、もともと俺たちも潰す気で……!」
「阿呆! どこにお偉い御旗が見えるってんだよ! クソ! クソ!」
叫び合う者たちは後回しにして、火の混乱の中、ゼクは野盗を斬っていく。火を気にも留めずに剣を振る。野盗にはそれができない。
人は大きな火を前にして心穏やかにはいられないものだ。光が、熱が、否応なしに本能を刺激する。恐らく人の本性とは水に属するのだ。だから飲み、遊ぶ。欠ければ命が保てない。畢竟、火を畏れる。相反する属性がゆえに、憧れ、忌む。
ゼクは違う。ゼクは火を浴びてこそ勇躍する。
もはやその心身は、この世に生まれ落ちたものとはまるで違う。違ってしまった。
寒風に渇き乾き、火煙に焼かれ焦がされて、その心身は一振りの剣と化した。悪鬼により変えられたのではない。出会うよりも早く鍛え上がっていた。悪鬼は、それを拾って砥いだに過ぎない。
「お前が、やったのか。お前一人が」
最後の一人にそう問われた時、ゼクは傷だらけだった。
野盗は四十人からの人数がいたのだ。手練れも数人いた。どう策を用いたところで苦戦は当然のことで、危うい場面も何度となくあった。五体満足であることは幸運の結果だ。剣も四本目である。持ち込んだ一本はとうに折れ、手練れから奪ったものを握っている。それとて刃毀れしているが。
「その目……クソ、何てこった……」
あと一人だ。斬れないことはない。
「ゼカリア、なのか?」
呼ばれない方の名で呼ばれたから、野盗の顔をしげしげと見た。懐かしい男だった。父だ。あの寒く熱い日に死んだとばかり思っていたが、この寒くも熱い闘争の日に、剣を引っ提げて目の前にいる。
「くは、ははは……つくづくクソッタレだぜ、この浮世ってやつは! 俺を裏切りやがった女の! 死んだはずのガキが! 今更! 今更! 俺を殺しに来たかよ!!」
喚きながら父が馳せ来る。
剣を振りかぶったその姿には練達の迫力があって、ゼクは昔を思い出させられた。
父は、野良仕事の合間に剣を振っていた。鍬を用いる時とは違うその凛々しさに、幼いゼクは見惚れたものだ。その隣で母は長い棒を持っていたが、思えばあれは槍だったのかもしれない。
「死ねよ! 女が誰一人も残ってねえで、何でお前だけがのうのうと!」
生きる。そのために斬る。
人の道からは外れていよう。しかし剣の道においては道理に適う。
振り下ろされる剣へ、父の渾身へ、ゼクは下から斬り合わせた。手の指を狙った斬り上げだ。衝撃があって、耳に鋭く痛みが走った。手ごたえはあった。地には肉が幾つか落ちた。父の右手の指が三本と、ゼクの左耳の上半分である。
「クソが! クソガキがあっ!!」
闇雲に振り回される刃を避けつつ、ゼクは思った。どうして自分は手首を狙わなかったのかと。今の間合いならば切断できた。それは致命傷になったろうに。
「親だぞ、俺は!!」
そう、親だ。ならば斬らねば。
考えるよりも先に剣が動いていた。隙だらけの胴体を、女を犯すためにか鎧を脱いでいたそこを、擦れ違いざまに薙ぎ裂いた。後は待てばいい。誰であれ中身をぶちまければ苦しんで死ぬ。
ああ、悪い夢だ。どうしたわけか斬った感触が生々しく甦る。
胸に疼くものもある。後悔とは少し違うのだろうが。
斬ってから気づいたことだ。
父は、ゼクにとっての父というばかりではなかった。
ゼクは、セイにとっての継父をも斬ってしまったのだ。