吐息の帰路
「うお! おのれが!」
物陰から男たちが飛び出してきた。その数三人。既に剣を抜いていて、倒れた男を庇う構えだ。帽子のため人相は知れない。しかし服装から察するにどの一人もこんな場末で安酒を漁る類には見えない。剣の扱いにも練度が見て取れる。
さて、今宵この時現れたるは、いかなる所以による刺客か。
わかるはずもない。
数多を斬ってきたゼクには判断がつかない。狙われる当てが多過ぎるのだ。これまでに斬り捨てたどの一体にも親族友人がいて、断たれた縁を惜しみ、断った者を恨むのが道理なのだから。
それゆえにこそ、ゼクは見る。見入り魅入られる。自他の狭間で閃く白刃の煌めきに。
ああ……考えるまでもないことだ。
斬ればいい。あるいは斬られれば。
凍てつくような殺意を浴び、凍え震えたとて、胸の内に脈打つ熱量を抱き締めたなら夜を越えられる。命を捨てて初めて拾える命がある。
剣を握りしめる。
突き付けられた三本の長剣へ左半身を晒し、己が切っ先は地へ向ける。機に臨み変に応ずる構えだ。戦場でなし、ゼクは多数に対して自ら仕掛けるつもりはない。起こして崩す。つまりは寄らば斬る。
対峙し、数度の呼吸を重ねたろうか。
どこからか悲鳴が上がり、それが呼び水となってか辺りは騒然とし始めた。警邏兵を呼ぶ声もした。さもあれ、中々に凄惨な状況ではある。
刺客たちの行動は早かった。
二人がゼクを警戒し、一人が倒れた男を担ぎ上げ、さっと群衆の中へ分け入ってしまった。落ちていた腕と剣も忘れず回収していったようだ。
ゼクは追わなかった。剣を納めて頭巾をかぶる。道に残った赤黒さを見下ろし、思った。
最初の一人……あれはそこそこの使い手であったと。
人相を確かめられた時点で互いの左手は腰のものに触れていた。そういう音がした。すれ違った際にも間合いのやり取りがあった。組み打ちを嫌ったのもお互い様で、何を言うでもなく剣技のやり取りが確定していた。
そして振り向きざまに、斬る。速さ比べだ。
抜き打ち最速の技を用いたのは、相手の力量を察しての判断だった。並の兵法者であれば僅かも抜かせずに斬れただろう。結果は、半ばまで抜いたところを斬り上げる形だ。斬り飛ばした勢いで最後まで抜けた。
後から現れた三人については考えるに及ばない。ゼクは知る。顔を隠して戦う者に強者はいないと。己を偽る者に剣の神髄は得られやしないのだと。
「……斬り果ての、か……」
ふう、と嘆息を一つ漏らした。頭巾を目深にかぶり直す。
「何で、こんな……こんなことに……」
誰だかの呆然とした声を捨て置き、棒手裏剣を拾った。周囲に人がいなければ刺客へ投げつけてもよかったが。
未だざわめく人ごみを避けようとしたところで、先刻来の顔が行く手にあった。いるだろうと予想していた人物だ。トリスタである。
「ちゃんと気いつけたみてえで、何よりだ」
ゼクは肩をすくめることで返事とした。ちらと見やれば、散りつつある人ごみの中にも見知った顔が幾つかある。傭兵団の古株たちだ。つまりはそういうことなのだろう。
「ま、こんなことになんじゃねえかとは思ってたんだわ。まさかお前さん相手に抜き打ち勝負を仕掛けるたあ、想定の外だったけどよ? いったいどこの剣術使い様やらな」
これにはゼクも頷いた。トリスタは苦笑したようだ。
「なあに、すぐに素性は知れるさ」
これにもゼクは頷く。刺客たちには尾行がつけられている。確認するまでもない。
「その結果は後のお楽しみとして、だ……さあて?」
トリスタが首をゴキリと鳴らせた。口元は笑っているが、険のある目つきだ。その視線の先には棒手裏剣を届けてきた男がいる。青い顔をして腰を抜かせており、体格もあってか随分と幼く見えた。
「おい、坊主。わかってんのか? おめえがあっちゃこっちゃ派手に聞き回ったせいで今の襲撃があったんだぞ?」
言わずともいいことを敢えて言う様に、ゼクは呆れた。外套の内側で棒手裏剣を弄ぶ。鋳鉄の量産品は指にざらついて何とも味気ない。
「そ、そんな……」
「そんなもどんなもあるか。斥候にされたんだよ。使い捨てのな。実際よ、途中いくらでも殺せたんだぜ? さっきの店でも、おめえの後ろにゃ二人つけといたし」
「……っ!」
「けど、ま、見るも憐れな素人っぷりだったからなあ。殺すまでもねえやってんで、俺はおめえを再利用したわけだ。何者かを誘き出す罠としてな。わっはっは」
勉強になったなあ、と言い捨てたトリスタに促され歩き出す。人ごみに紛れ行く。
「危うい風が吹いてて嫌になるよな、全く……これだから大評定前ってやつは」
連れ立って通りを行くことしばし、ゼクは立ち止まって脇道を示した。
「これまた選り抜きの陰気さだな……ったく、そんなんなら、いっそ花街にでも繰り出さねえか? 奢っちゃるよ。何なら次の戦まで篭らしたるぞ? お前さんにゃつまるところ色恋ってもんが必要だと常々……ああはいはい、そんな顔すんなって。おっかねえってば!」
トリスタと別れて暗がりへ入ると、ゼクはよく知らないその道をあてどなく歩いた。
住まう者たちの庭のようにも見えるそこかしこを、慎ましい生活の明かりを辿るようにして巡っていく。椅子を引く音や食器の立てる音などを耳に拾い上げては、顔も知らない誰かの生活をつらつらと思った。
その内に用水路沿いの通りへと出た。風にざわめく街路樹の辺りは闇が濃い。枝葉が夜気を吸い寄せてでもいるものか。見下ろす流れもまた、大した水量でもあるまいに夜よりも黒い。人の営みの不浄を集めてのことか。
見上げれば、濃紺の空には星が散りばめられている。
ほう、とゼクは吐息を放った。僅かに白い。立ち昇って雲の切れ端になれるかもしれないと思うから、もう一度二度、息を吐いた。
そんな風にしてどれくらいを過ごしたろうか。ゼクは身を翻した。帰るために。
行き着いたのは、この町で最も上品な区画である。
ここでは夜更けの足音は憚られるから、忍び足ではないものの一歩一歩に気を配らなければならない。通りは敷石の色や形が認められるほどに照らされているから、予め靴の泥を落としてこなければならない。
角を曲がった。小ざっぱりとした家が軒を連ねている中の一軒……その表戸に手をかけて、ゼクはそれが固く閉ざされていることを確かめた。
小さく頷き、裏手に回る。勝手口にも厚い扉があって、それは外付けの金属錠前で封じられている。金色の小鍵でもってそれを解いた。
暗く静かな台所を抜け、清らかな居の間を抜けて、奥の間へ。扉越しに気配を探る。物音はしない。どうやら眠っているようだ。慎重に、ごく僅かに扉を開けて……少女がそこにいることを確かめた。
義妹のセイは、この秋に十三歳となった。
いつもの横臥せだから寝顔を窺うことはできない。しかしゼクがセイを見間違うことはない。通りすがりの詩人が「南海の輝き」と謳った髪が、夜闇の中でもその艶やかさを表していて隠すところもない。
慎重に扉を閉じて、ゼクはその場を離れた。
台所に戻ると洗い物が目についた。どうやら通い女中の得意料理が振る舞われたらしい。緑頭鳥と長根の鍋だ。それがどういうものかはゼクの知るところではないが、滋養のある食べ物だと聞いている。そういう食材を用意できるだけの金を渡してある。
火種を拾った鉄勺と水を張った手桶とを持って、居間近くの小部屋へ入った。寝そべればあとは長櫃一つを置いてそれきりというここが、ゼクの寝床である。
行燈一つにぼんやりと照らされて。
身を清め剣を手入れして。
そして、ゼクは寝た。
剣を抱えて。