咆哮の騎剣
蘭家軍の円陣が敵の腹中に入った。
それを見届けたから、パラアナは頭上でぐるりと剣を回した。
十以上に分かれていた各隊が戻って来る。『雷光』の指揮下へ。武器であり花である紋章の描かれた旗の下へ。その数、三千五百騎余り。
削られた。しかし、まだ。
速歩で馬列を揃える。それで整う指揮系統がある。失った血を振り払い、残すところの気血を部隊へと巡らせるのだ。体力は十分。三日三晩を戦い抜けるだけの鍛え方をしている。
敵方を、見る。大軍である。士気も高い。
だが緩みは散見された。
なんとなれば、郷土愛と復讐心とで兵卒を高揚させたに違いない軍勢だ。情動的で、優勢になると驕り高ぶる。華国軍の弱兵を追い立てた勝ち味に、その甘やかさに酔う。攻め慣れた強気は、一転、怯懦へ陥りやすいものだ。隙である。
他方、蘭家軍の歩兵部隊が生じせしめた混乱もある。負け戦の最中、苛烈な抵抗を示す……それは寄せ手の士気を大いに挫く。危うさは近寄り難さだ。
そして、あの一隊。
敵陣を滑らかに貫いていく、血塗れの小勢。
押し潰さんとする敵が戸惑ったかのように踏みとどまり、易々と抜かれる。合戦前の鏑矢を見送るのにも似た、不可思議な無抵抗を示す。死兵への対応とも違う。近寄りがたいのではなく、阻みようがないといった躊躇い……まるで畏怖。
パラアナは唸った。唸って、胸を焼く一つの直感をやり過ごして。
疾駆する。
駆ける先には敵の本隊が、端々を綻ばせつつも分厚い壁となっている。整然さを欠きながらも両翼を閉じようとしている。大軍の正解だ。中央、掲げられた幾十もの旗の中に大狼の紋様あり。総大将はそこか。
横合いからは騎馬隊が来る。大幅に数を減らしてなおこちらよりも多勢である、その群れ。そう、群れでしかない。もはや鬱陶しいだけのものと判断したから。
「大隊、行け!」
指示して一千騎を向かわせた。寡兵である。されど隊である。戦える。
更に敵が来る。逆方向から。目測して八千。騎馬と徒歩の混成部隊。武装が整っている。温存されていた予備兵か。精兵の迫力。決して逃さんという、その気勢。
剣を掲げて、パラアナは命じた。
「烈車!」
二千五百余騎が左右二隊に分かれた。それぞれに敵を避ける。いや、避けつつも戻る。戻って再びにぶつかる。円を描く疾走。すなわち車輪の陣。それが二つ。騎馬だろうが徒歩だろうが、寄せ来る限りは砕き飛ばす。
十周を数える頃には、敵八千を大いに怯ませた。さもあれ、勢いを逆手に取る戦術である。さりとて落ち着かせやしない。本隊と合流させるわけにもいかない。
二隊を合流させ、縦列で突っ込む。敵勢を容易く両断して。
「乱!」
戦意を解き放つ。小隊ごとに分かれての掃討戦術だ。切り裂く。蹴散らす。絞り潰す。騎馬による蹂躙とは嵐のようなものだ。夜気に土埃と血煙とが混じって濃く臭う。既に半壊させたか。
剣を回し、馬列をそろえる。横列で追い立てる。潰走の方向を限定する。向かわせる先は敵本隊だ。完成されつつある半包囲へ、必死の逃走者たちを馳走して。
「楔ぃ!」
パラアナは突出した。己を先頭として横列が変化していく。見ずとも馬蹄の音でわかる。鋭く尖っていく。楔型へ。
咆哮を上げて、突っ込んだ。
敵中央にではない。敵左翼の付け根へ。ここが最も薄い。数えるのも馬鹿馬鹿しいまでの剣槍の濃さで、肩に膝にと触れてくる刃には事欠かないものの、兵気散漫にして騎突を阻む壁なし。押し分けられる。行ける。征く。
突き抜けた。やや右方へと逸れて、敵軍を左方に縦深に窺う位置だ。敵の後方には予備兵力なし。既に打ち破ってあるがゆえに。
束の間、パラアナは逡巡した。
次撃でかの大軍を崩さなければならない。そうでなければ退けるものではない。だが、歩兵との連携を欠く現状、押し崩すための圧力がない。どれほど掻き乱したとて、一時の停滞を生むのみでは埒が明かない。
騎馬のみで大軍を崩す……その方法は一つきりである。
斬首戦術。総大将を狙って壊乱せしめる。首を獲れずとも重傷を負わせれば。
されど敵もさるもの、早々と左翼部隊の損耗を見切ってきた。中央と右翼部隊とで新たな陣が構えられるのは時間の問題だ。まだ相当に厚い。総大将の旗が遠い。
チラと、視界の端で何かが明滅した。
月光を反射したのは、一振りの、剣。
あの小勢だ。いや、小勢の中から跳び出してくる一人がいる。今まさに凄惨な者らが育み生み落したかのように、目を見張るほどの俊敏さで、屍の原を駆け抜けるその剣士は……その若者は。あの子は。
パラアナは吠えた。
吠えて、敵本隊へと突撃した。
「両爪! しかる後に私を目指せ!」
指示するや、左右それぞれ一千騎が先行する。喊声を上げての強襲だ。未完成ながらも槍並ぶ敵陣へ、その穂先へ身を投げ出すかのように肉薄して……迂回した。騎馬の風のみを叩きつけて、絶妙の間合いで、敵の兵気を左右へと誘って。
刹那に生じた、その、中央の間隙へと。
「吶喊!」
パラアナは突っ込んだ。四百余騎による突貫だ。
空振る余地とてない敵の園だ。敵を、というよりは敵の剣や槍を斬り払う。それでも脛当てを斬られた。肩当てを突かれた。パラアナを守護せんとした供回りが、一騎、また一騎と落とされていく。騎馬への対処が華国軍の比ではない。
「おおおおおっ!」
敵味方の血を浴びて、パラアナは猛った。
見える。旗はすぐそこだ。揺れている。動揺しているのが見て取れる。敵の圧力が集中してこない。外側から二千騎が波状攻撃を仕掛けているに違いない。届く。届かずに済ますものかと、更に突き進んで。
壁に、ぶち当たった。
総大将を護るようにして、重装の騎兵が数百騎、馬列を揃えている。ここで。このような陣の奥部で、そのように備えていようとは。
さては、総大将に王族を据えていたか。
騎影の向こう側に、それらしき一騎あり。
パラアナは剣の握りを確かめた。笑みもしたかもしれない。望むところだったからだ。討てば必ず策は成る。戦功甚大にして、味方勢の退却は確実だ。
この上もない。命と引き換えにする、その大義名分として。
「我こそは! 蘭家の大将パラアナである! 御首頂戴つかまつるぞ!」
朗々と名乗り、馬を竿立たせ周囲を斬り払って、まさに決死の戦働きを為さんとした時であった。
飛影、月を遮る。
落着した先は、敵重騎兵の並ぶところ。
首筋へと刃を差し込んで、吹き上がる血飛沫に乗るかのようにしてまた飛ぶ。騎馬の林に遊ぶ飛鳥のごとく、舞って、鮮やかに冴え渡る一剣の絶技。
「ま、魔物だ!」
敵の誰かがそう呼び。
「おお、飛剣士!」
味方の誰かがそう呼んだ。
「ゼ……」
続く言葉を胸元に押し留め、留めきれず、パラアナは叫んだ。
「ゼカリア!」
自らの声を追うようにして、パラアナは行く。愛馬を駆る。敵へぶつかる。剣を振りに振って、敵を斬り落とし敵を打ち倒し、掻き分け入って。
身分があると見て間違いようもない、華やかな軍装の一騎を。
鋭剣一閃。
討ち取って、駆け抜けた。




