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至純の剣士

 蘭家軍の戦振りは、ミトゥの想像を超えていた。


 彼らは五千卒からなる方陣を三つ組んでいる。互いに寄れば合力して敵を阻み、あるいは連携して敵を削ぐ。互いに離れれば回避して敵をいなし、再び寄れば挟撃して敵を潰す。恐ろしく強靭な戦術である。


 そんな歩兵陣の周囲を、パラアナ率いる五千騎が駆けている。高速で、強力で、巧妙だ。破竹の勢いで敵を打ち砕いていく。


 ミトゥは歯噛みした。


 それでも、足りない。力及ばない。


 これほどに戦いながらも、雲霞のごとく攻め寄せる狼国軍を相手取っては、いずれ呑み込まれてしまうに違いなかった。絶え間なく増えていく死傷者がその証左だろう。ジリ貧だ。夜闇の奮闘の先には勝利の光明はなく、ただ先延ばしにされた破滅があるばかりだ。


 足手まといがいるからだ。


 方陣の内側に護られたミトゥら負傷者だけではない。華国軍が、その軟弱さでもって狼国軍を勢いづかせている。その混乱をもって蘭家軍を妨げている。


 そら、隣の方陣が危機に陥った。華国軍の一部が崩れ、逃げ惑う者らがなだれ込んだからだ。本来の相手に加え、華国軍を追い打つ敵が攻め寄せている。その圧力は狂猛だ。さりとて援護は難しいだろう。こちらの方陣にもまるで余裕がない。


 パラアナの騎馬隊も来援しない。来援できない。ついに敵の主力が総掛かりを仕掛けてきた。


 咆哮が聞こえてくるかのようだ。蘭家の旗を掲げた馬列が、倍する数の敵騎馬隊との駆け引きをしつつ、何万という歩兵を押し留めている。よくぞ五千騎で大軍の包囲を阻んでいるものだが。


 ああ、とうとう隣の陣が崩された。戦友と隊伍を組まんとする必死懸命が、多勢の暴虐に呑み込まれていく。精兵が死んでいく。


「怯むな! 陣を合わせよ! 方円をもって負傷者を内に容れるのじゃ!」


 白髪の副将が声を張り上げている。暴力の激流を押し退けるように陣構えが変容していく。軍としての練度は窮地にあってこそ輝くものだ。行動は淀まず、戦意は揺らがない。


 それでも討たれる。討たれ続けている。矢が執拗だ。一つの陣となったことで的が絞られたからか。


「志願せい! 抜剣突撃、矢の来し方! 敵弓勢を蹴散らせい!」


 真っ先に応と吠えたのは、陣内にかくまわれたばかりの男たちだ。


 ミトゥの側で応急手当てをしていた青年が、矢じりを身の内に残したまま、駆け出した。腕を骨折した男が、鞘無しのひと振りを片手にひっ掴み、後を追う。出血の止まらない小男が、包帯でもって柄握る拳を縛り上げ、更に続く。


 死兵だ。事ここに及び、壮絶な死を選択したのだ。きっと一人として戻らず、されど多くを働くことだろう。


「ゼクさん……貴方は」


 ミトゥは呼び掛けていた。かすれたような声しか出せなかったが。


「ここは、こんなにも熱くて、寒くて……悲しみばかりが溢れているのに」


 一筋だけ、涙が頬を伝い落ちた。


「……ここでしか、生きられないんですね?」


 ミトゥは月を振り仰いだ。死闘を見下ろす冷ややかさに浴さんとして……それを目にした。


 まり、だろうか。


 黒く丸々しい何かが星空高くに飛び上がって、クルクルと舞って、地へと戻り落ちていく。音もなく無邪気で、まろやかに笑みを誘う、その童遊びのごときもの。


「ああ……そんなところで」


 戦の夜へと吐息して、ミトゥは微笑んだ。


「楽しそうなんだから」


 人首の放物線が上がり下がりするそこだけは、美しかった。激昂を見下ろす月光は眩しいばかりだ。酸鼻を照らして賛美するかのように。


 ゼク。人斬るゼク。


 彼の剣士としての在り様は、生き甲斐に満ち、天賦の才に彩られ、輝いている。真実を生きているのだ、彼は。日が照るように。花が咲くように。水が流れるように。馬が駆けるように。


 人は、戦う。どうしようもなく。剣は、斬る。いかなるものをも。


 万事を払い捨て、ただの人斬りの技だけを磨き抜いた人生……つまるところ、ゼクという人間は一振りの剣であった。


「貴方は、きっと……」

 

 矢の雨が止んだ。決死隊の意図をゼクが助けたようだ。弓弦を断ち切る高音が幾度も響く。まるで拍子をつけているかのようだ。踊れ踊れと。舞え舞えと。死地に躍動する人の生き死にを囃し立てて。


「破陣杭ぃ、用ぉ意!」


 副将が吠えるや、円陣の内側へと集まった男たちがいる。精兵揃いの蘭家軍にあっても、眼光の鋭さを感じさせる強者たちだ。


 ミトゥら傷病者を押し退けて、固く組んだ隊伍の形は、杭。


「よし行けぇい!」


 円陣の一角が開いた、そこのところへ、「杭」が突撃する。斬り入るというよりは体当たりだ。それほどの勢いで、猛然と押し出す。攻め立てるが。


 敵もさるもの、揺らぎはすれども崩れない。陣の厚みが違う。


 勢いを失った杭を円陣が回収した。そちらへ寄せて呑み込んだ形だ。「杭」の人員は一割も減ったろうか。先頭で突っ込んだ男も既にいない。


「用ぉ意……よし行けぇい!」


 それでも再び突撃するのか。先に勝る勢いで。喊声を上げて。


 敵は怯んだ。さもあれ、しのぎ押し返したところへ間を置かずの再突撃である。まさに出血を強いられるものだ。いや、臓腑へ至るものですらあるのか。


「押し立てぇい! 押し立てぇい!」


 敵陣の綻びへと円陣がぶつかって行く。歪みつつも分け入り、無理矢理に敵を分断していく。強引に、敵の指揮連絡を断ち切っていく。


「よし行けぇやあ!!」


 そこへ、三度の「杭」。人員の損耗をすら鋭さに変えて。


 突破した。敵前衛の一角を完全に破り、「杭」は敵後衛へ、やわらかな内側へ深々と突き刺さった。円陣もそれに続く。巨大な異物を呑み込ませるかのような、凄惨な攻勢だ。算を乱した敵兵を別方の敵への盾にもして。


 ミトゥも、もはや守られるだけではいられない。


 足元に転がる敵へ、とどめの一撃を加えた。重傷の味方には、転がっている武器の内から使えそうなものを見繕い、その手に握らせた。彼らは最後の刃をどのように使うだろう。誰のために振るうだろう。


 小男の死体に蹴つまづいた。手と剣とが包帯で縛りつけられている。敵の矢が散らばっている。到達したのだ。先の死兵たちが至った場所へ。


 まだ、いる。残っている。


 小勢ながら激しくぶつかり、血飛沫をまき散らす男たち……その先頭に、ゼク。


 呼びかけようとして、しかしミトゥは口をつぐんだ。満足に戦えない身体では、ついていけない。そういう余分をこびりつけていい相手ではない、彼は。


 だから、笑顔を向けた。そうやって目に焼き付けた。ゼクの人斬る姿を。


 あとはもう、闘争の激流に振り回されるばかりだ。


 殺して、殺されて。生きて、死んで。


 死地の泥土に汚れながらも、ミトゥは心に涼やかなものを感じていた。

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