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観照の疾走

 幾本目かの腕を、ゼクは斬り飛ばした。


 はじまりは敵軽騎兵の急襲であった。迎撃せんとした蘭家軍を避けて、陣地へと駆け込むや数十の部隊へと分散したようだ。そして方々で火を放つ。櫓を引き倒す。塁を崩す。駆け回る。


 そのようにして場は整えられたから。


 剣を振るう。


 宙を舞う腕が落ちて来ない間に、とどめを刺して。


 刃を返す。平突きへつなぐ。次の敵の喉を穿つ。身をひるがえして一閃、別な敵の首を飛ばす。血潮を浴びて怯んだ一人を撫で斬りにして、その隣の一人は回り込んで首を落とした。


 相手には事欠かない。方々の炎に照らされて、双眸の白がそこかしこで明滅している。怨まれ恐れられている。


 斬り進み、奥で鍔ぜり合っている一組へ寄り、敵の方を斬ると。


「ゼクか!」


 味方の方はトリスタであった。


 ゼクは首を傾げた。それで避けた矢が、トリスタの肩甲冑に弾かれる様を見た。いい鋼板だ。厚いところへ当たったとはいえよく護る。武運もあろう。


「お前……笑って……」


 トリスタを押し退けた。


 彼を狙い突き込まれてきた槍を、左手で払い、掴み、右の片手突きを繰り出す。命を穿つ手応え。抜き際、敵の襟元で切っ先の血をぬぐう。視線で後続を留めておいて。


「ん」


 トリスタへ、後ろ手に槍を渡した。


「……この戦いは、奇襲への対処じゃ終わらねえ」


 ゼクは背で聞く。怒声と悲鳴とに賑やかされたこの死地で、どうしてかその声はよく聞こえる。


「なにせ、こっちの斥候よりも速く襲い来た連中だ。精鋭軽騎兵で間違いねえ。それが一夜の攪乱だけを目的にここまでやるか? 損耗も度外視してだぞ? あり得ねえ、あり得ねえよ。間違いなく本隊が来る。この夜に決戦を挑んでくる」


 どうやら長くなるらしい。


 ゼクはチラと空を見上げた。立ち昇る灰煙に汚されてなお、月光は冴え渡るばかりだ。星々も輝く。地に舞い散る火花は、あるいはそれらが降り来たものか。さんざめいて。


「崩れるぞ、華国軍は」


 敵に囲まれた。足を止めたからだ。


「退路の谷へ向けて競走になる。我先に、押し合いへし合いして」

「負ける?」

「ああ。敵地の夜、しかもこの地形だ。最悪だぜ。勝つべきところで勝たず、勝っちゃまずいところで勝っちまったせいだ。あとは勝ち分を支払いながら退くしかねえ。あぶく銭で身を持ち崩す阿呆のように」


 弓弦の引き絞られる音が、二つ三つ。地を踏みしめて、筋と腱とに力を溜めた音が四つ五つ。


「逃げるなら、今しかねえ」


 笑った。


 ゼクは笑って、飛び来た矢のことごとくを斬り払った。跳ぶ。踏み込んで来ようとしていた一人の、その顔面を断ち割る。跳びすさってもう一人の肩を突く。寄って刃を押し付けて、喉笛を裂き、盾を奪ってからトリスタのもとへ戻った。


「ん」


 盾を受け取るや、トリスタは素早く言い募ってきた。 


「来てくれ。退路に布陣する。躑躅家軍と傭兵連中とでだ。そこで敵味方共に寄せ付けない岩になるんだ。隘路ってやつは、入口に邪魔物があったほうがむしろすんなりと人が通るからな。ましてやそれが名のある部隊なら、背に差し迫る恐怖ってやつも……」


 ゼクは答えず、ただトリスタの背を押した。味方の気配がする方へだ。


「……おい、まさか、お前」


 頷く。じりじりと狭まる包囲へ、己が刃を見せつけながら、また押すが。


「嘘だろ。おい。ふざけんなよ。生き残れるわきゃねえだろ。死んじまう。殺されちまうぞ。敵の本隊が来るって言ってんだろうが。何千何万って敵が来るんだぞ。どんだけ強くたって、人一人にできることなんざ知れてるだろうが!」


 一陣の風が吹き抜けた。それは冴え冴えとしていたから、きっと夜天より届いたものに違いない。刃先にフワリと残った感触すらも、そら、かく涼やかだ。


「これまで、一緒にやってきたじゃねえか。一緒に戦って、一緒に酒飲んで……これからだって……お前と一緒にやっていきてえんだよ、俺は」


 言葉が湿っていた。袖にこびりつくかのようだ。


 あるいはそれを潤いというのかもしれない。温かみというのかもしれない。幼き日には、求めるままに得られていたものだ。


 チラと見やった肩越しに、ゼクは己の来し方が想われた。


 山の炭焼き小屋で暮らしていた。寒かった。ひもじかった。寂しかった。村の営みは……豊かではないにしろ穏やかではあったろうそれは、遠く眺めやるものでしかなかった。欲せば辛く、欲さざれば美しかった。


 あの寒くも熱い日、それは壊れた。賊徒に踏みにじられた。それは一つの世界の終わりだった。ゼクが生き、死ぬはずであった世界は、脆くも崩れて。


 剣が、立ち上がった。


 弱き者を護るためだった。強き者に抗うためだった。そのためにこそ柄を握り、己の全てを刃に託した。死なば諸共に……そんな捨身の思い切りであったようにも思う。


 通じなかった。通じやしなかった。


 入魂の剣は断ち切られた。身命こそ斬り飛ばされなかったものの、同等同量の思いの丈が切断された。その程度のものでしかないと、否定されたのだ。


 何もかもを失ったところへ、手が、差し出された。強き者の手だ。


 惹かれ憧れて……つかんだ。


 そして修練が始まった。荒野で剣を振るう、新たなる日々が。


 今にして、ゼクは思う。


 なぜ、欲得の世界へ戻ってしまったのだろうかと。


 悪鬼と斬り結ぶ死活には、生の充実があった。一振りの剣をもって世界と向き合う、清々しさがあった。何もかもが片付いたそこでは……そう……セイばかりが余計なものだったのかもしれない。それ故にこそ、毒を呷るまでに追いつめてしまったのかもしれない。


 悔やんだ。セイのためにこそ、人の中で生きようとした。そうすべきだと思った。


 しかし、誤魔化しようもなく、虚しかった。朝も夕も退屈だった。他人事で散らかったそこでは、素振りの一つですら、場所を選ばなければならなかった。


 狭苦しかった。煩わしかった。それでも耐えた。我慢した。仕事に逃げもして。


 未練だ。つまるところが、未練だったのだろう。あれは。


 失くして初めて、そうとわかった。


 だから、ゼクは。


「ゼク、ゼクよお……お前は……」


 すがるような声に、わずかに苦笑いを浮かべて。


「お前は、人、だろう?」


 答えず、袖を払った。


 囲いが動揺した。味方が来たのだ。声と勢いから察するに躑躅家軍か。そちらに背を向けたまま、跳ぶ。槍を払い、腕を断ち、顔を裂き、敵中へ。血風吹き荒ぶ戦いの巷へ。


 斬り跳び斬り駆けながら、ゼクは嗅ぎ取った。強者がいる。複数だ。


 近い方の、孤立したそれへと斬り至れば。


「やあ、君。助けてくれてもいいよ?」


 ユラが戦っていた。さもあれ、この時この場で華国軍の御貸具足を着込んでいては襲われよう。


「奇襲は困るよね。所詮はやけっぱちのことでしかないのに、皆して大慌てでさ……逃げにくいったら。あれ、行っちゃう気? ねえ、ちょっと、助けようよ。ほら、笑ってないでさ?」


 彼女の直剣は朱に染まっている。肩で息をしている。手傷も負っている。


「どうせなら、君に斬られたいんだ。だから、今は……」


 血塗られた唇で、艶やかに微笑んで、ユラが言う。


「一緒に、人を斬ろうよ」


 ゼクは、手招いた。


 そして舞う。剣の舞だ。人の間を滑り抜けて、血の雨を降り散らせて舞い踊る。斬れば斬るほどに敵が来る。火の破滅に誘われる羽虫のようなそれらを、丁寧に斬り尽くす。斬らずとも倒れる敵がいる。見ずとも言わずとも、ユラが刺すのだ。ゼクの意のままに。まるで舞踏へ合いの手を入れるようにして。


「嫌、だな。すごく、楽しいや。もっと早く、こうすればよかった」


 ユラが言う。荒い呼吸の合間に、切れ切れに。


「寒いね。こんなにも熱いのに、凍えそう……喉も乾くし」


 ユラは笑う。咳き込むように、吐き出すように。


 斬りに斬って、気づけばゼクは敵を失っていた。闘争は続いているも、二人のいるそこばかりは人気がない。


 ゼクは空腹を覚えた。打ち捨てられた鍋から、雑炊を食べた。切り捨てられた死体から、水筒を取った。剣は抜身のままだ。歪みは微小で納まるだろうが、血油を鞘へ塗り込みたくはない。ユラは呼吸を整えられないでいる。


 遠く、喊声が上がった。


 その迫力と味方の悲鳴から察するに、敵の本隊が来たのだろう。そこへ向かわんとするが。


 張りつめられた殺意が、ゼクの足を留めた。


 振り返ればユラがいる。両刃の剣を諸手に構えている。真直ぐに突きつけてくる切っ先は、揺れ震え、今にも地へ落ちそうな儚さがある。


「あと、ひと突き……今なら、まだ、やれるからね」


 血の気のない真っ白な頬だから、血の色が引き立って鮮やかだ。口元だけではない。ユラは血塗れだ。


「届くか、な!」


 夜気を裂いて迫る一撃を、ただ、すれ違い様に斬り払って。それで仕留めて。


 ゼクは独り駆ける。戦いの盛んなる場所へ。

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