天命の一剣
芋を食い、肉も食って、ゼクは腹ごしらえを済ませた。少々の眠気は、意図せず口にした酒によるものだ。胸の奥が熱い。桶一杯の水を貰い、手のひと掬いを飲み、残りを馬に飲ませた。
「おう、生きてたな! 上々だ!」
トリスタが来た。甲冑の赤色が鮮やかだ。手の槍も綺麗なものだ。
「凄腕がいた」
「おお? 何だ、どうしたって?」
「斬ったけど、生きてるかも」
「お、おお、そうか。そりゃまあ……残念だったな?」
「うん」
馬ごと斬らんとしてきた男のことを思い、ゼクは己の首をさすった。恐らく痣になっている。掴んできた手は、切断した。しかしもう片方の手が残っている。生きていれば、剣を握ることもあるだろう。
剣を握る強者と、因縁がある。それは幸いなことだ。
斬れる。斬られもするだろう。とても幸いなことだ。
「……ゼク、お前……」
トリスタが指差すから、ゼクは己の頬に触れた。笑っていたのかもしれない。笑おうと思えば、すぐにも笑えるほどに気分がいい。
「とにかく、少し休んどけ! もうひと当てふた当て来るだろうが、お前さんは、何もしなくていい!」
乱暴に言って、トリスタは去った。供回りもつけずに忙しないことだ。
ゼクはそれを見送った。休めと言われたから、腰を下ろす。荷の中から干し肉を取り出して、しゃぶる。
そういえば、とゼクはもう一人の隻腕を思い出した。通りすがりに斬り合った男をだ。あの男もいずれ再び相対することになるだろう。来ずとも、行って、斬るかもしれない。
斬り損ねた相手が、片方の腕や手や指を失う―――よくあることだ。
さもあれ、得物を持つ手こそ、最も手前に突き出される肉体である。斬りやすく断ちやすい。それでいてその者の兵法を大いに損ないもするのだから、何とも儚い話だ。
ゼクは、己の左肩に触れた。
そこにも手の跡がある。古傷だ。七年前、初めて殺した男の手形だ。
関節か筋かを損傷したのだろう。これを負って以来、ゼクは左肘が肩より上へ上がらない。それを踏まえての兵法を構築してきた。
失敗しないことに、意味はないのだ。万全であることにも、また。
熱く吐息して、しみじみと思った。
歪みも、撓みも、欠けも捩れも折れですらも、磨き極めんとする道程においては何ほどのこともない。有利にも不利にもならない。むしろ切っ掛けとしては必要なものなのかもしれない。汚れ損なうことで初めて開ける視界もあるのだから。
悪鬼は、どうであったのか。
かの者の指は斬られ潰されて数が少なく、足もやや引き摺るようであったし、顔に至ってはこの世のものとは思えない有様だ。ゼクの知る限り、それでも人間としての尋常な出自があった様子だが。
「あんた、よく笑うからな」
ゼクは呟いた。独り言のつもりはなかった。紫色の髑髏顔が、どうしてかすぐ傍に感じられた。歯並びのいい口元が目に浮かぶようだ。
「……斬っても、笑うんだろ?」
戦場には喊声が上がっている。
トリスタの率いる赤色の軍勢は、強く、硬い。一千五百卒でもって方陣の一方を固めているばかりか、倍する華国軍の歩兵をも連携させ、敵二千五百騎ほどの波状攻撃を弾き返している。頑なさが防御となっている。
問題は、陣内だ。
華国軍の将校が怒鳴り散らしているが、再編が遅い。後から後から駆け込んでくる兵卒に処理が追いついていない。さして負傷者は多くないが、戸惑いが戦気を放散させてしまって、虚弱だ。
そら、その隙を狙う一千騎がいる。
赤色の軍勢を前面とするならば、後背からそれらは攻めてきた。鋭気を発する一団だ。恐らくは突き破ってくる。そうと察せられる。
トリスタは気づいたろうか。気づいたとして、どうにかできるだろうか。
桶の水を片手で掬い、唇を濡らして、ゼクは立った。馬に跨る。
「ゼクさん! 行くんですか!?」
ミトゥが来た。甲冑を着ておらず、右肩には巻きかけの包帯がぶら下がっている。硬鞭を携えてはいるが。
「避けとくといい。すぐに、陣が崩れる」
「え、え!?」
「トリスタなら、どうにかする。多分」
適当にそんなことを言って、ゼクは馬を進めた。単騎で騎馬軍に当たるためには工夫がいる。何よりも位置取りが大事で、それさえ調節すれば後はどうとでもなると知った。
「そんな、ゼクさん、独りでだなんて……!」
何か言っているが、聞き捨てて、陣の片隅へと寄った。馬が十数頭つながれているから、それらに紛れ込む。いっそのことと思い、鞍の上に寝そべった。
背に軍勢の振動を感じ、耳に戦場の喧騒を聞き、目に青空の清澄を仰いで。
ゼクは待った。好機を。
一千騎を槍に見立てたとして、その穂先を一撃のもとに斬り落とす機会を。
「……空、か」
ふと、ゼクは緋屋でのシハとのひと時を思い出していた。この戦に出立する前のことだ。小さく白い彼女は、熱心に言い募っていたものだ。
『お空にはね、なんにもないの。だから素敵なのよ?』
衝撃が、戦列を揺るがせたようだ。
『鳥はね、お空を飛ぶのよ? なんで飛べるかっていうとね、色んなものを捨てたから』
絶叫が、隊伍が裂かれている様を教えている。
「そうか。飛ぶって、そういう……」
人間の破ける音が、した。
時、来たれり。
起きる。馬腹を締める。駆け出す。最速を出させる。馬上、身は低くしている。左手を鍔に、右手を柄に、抜剣の構えである。
放つ技は、守捨流、魂風。遠間を切断する捨身の抜剣技だ。空振れば次が続かず大いに隙を晒す。恐らくは死ぬ。しかし当たれば何物をも切断する。必ず殺す。つまりは、自他のいずれにせよ、確実に一つの命を終わらせるのだ。
突破してきた敵の、先頭の一騎に、並走して。
「なっ!? 貴様は!!」
抜き打って、一閃―――首を飛ばした。
しかし敵もさるもの、突き出された剣がゼクの馬の首に刺さっていた。手から離れても、揺れて、激しく出血を強いている。
「おのれぇっ!!」
左右から槍と剣が来るから、一つ躱し、一つ捌いて、それでもう二つの首も斬った。片方は切断にまでは至らなかったが、それも皮一枚を残したきりのこと、命は絶っている。
更に、来る。それはそうだ。ゼクは今、突破してきた一千騎の先頭を駆けているのだから。
再び二騎に挟まれて、間合いを見定めたまでが、限界だった。
馬が転げた。その直前に跳びはしたものの、敵の馬を奪うまでには至らなかった。ゼクは地に転がり、這い、走った。馬蹄を避けるために全力を尽くした。
十数騎が、追ってきた。憎悪を吠えている。
本隊は方陣の一角を内側から突いて、そのまま駆け抜ける様子だというのに、来る。つまりは決死兵が来る。一千騎の指揮官の仇を討つために、襲い来る。
ゼクは、剣を構えた。
徒歩で騎馬に当たる形勢だから、剣は高くに在るべきだが、左肩の古傷が上段に振りかぶることを許さない。それでも出来得る限り、高く構えることを欲して。
柄を握る両の拳は、右頬につける。強くは握らず、剣の声を聴くように。
右肘をグイと上げ、切っ先を天井へ向ける。左肘は体に接着したように。
守ることも応じることも考えず、ただ、斬ることのみを突き詰めた形で。
息を吸い、それを胸に留めて。
剣を、振った。
騎馬の高速が髪を乱し、土煙が服を汚しても、血油が刃を濁らせることなし。
ゼクは息を吐いた。構えを解き、ゆっくりと振り返った。
湯気を上げて、死体が散らかっている。
人は全て絶命している。馬は半数が倒れ、残りは乗り手もなく彷徨っている。血の臭いが濃い。臓物の零れる音が、後から後から、鳴る。
二十……いや、三十と少し。
ゼクが心に数えたそれは、一呼吸の間に繰り出した斬撃の数だ。
無心だった。体捌きにしろ、足運びにしろ、斬り方にしろ……かつてないほどの速さと鋭さでもって、ゼクは剣を振るったのである。斬り尽くしたのである。
静かだった。方陣の内外では未だ戦闘が行われているにも関わらず、ゼクは独り、静寂の中にいた。
空を振り仰がなかった。
空から見下ろすようにして、戦場の全てを、心静かに感じ取っていた。




