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傭兵の巷間

 酒杯を手に、ゼクは賑わいに浴していた。


 戦勝記念の酒盛りは、傭兵たちの人数と素行の悪さが相まって、数軒の店に分かれての開催となっている。ゼクの入ったここは場末の安酒場だ。


 その片隅で、ゼクは独りだ。


 名も知らぬ男たちの合唱を聞いて、節と歌詞とを少し覚えてみる。顔も知らぬ男たちの乾杯を見て、自分も少し飲んでみる。腕相撲や札賭博で盛り上がる一画を、背中と背中の間から中が覗き見えることがあるかもしれないと、見つめる。そういう風に過ごす時間を、ゼクは好んだ。


「おう、ここにいたかよ」


 大騒ぎの中から、洒落た服装の男が来た。トリスタである。


 ゼクは首を傾げた。トリスタらは川向こうの高級店で飲んでいるはずだった。


「そう不思議そうな顔すんなって。隊長が稼ぎ頭んとこへ酌に行くってのは、別段おかしな話じゃねえやさ。好みのやつを買ってきたぜ?」


 酒瓶がちゃぷりと揺らされたから、ゼクは杯を乾した。とろとろと注がれたものを受け、また乾す。素朴で柔らかな甘さが舌先から喉へ、かすかに残る咀嚼できるものをとろかせながら流れ入った。


「しっかし、あれだな。お前さんが飲む場所ってな、いっつも女っ気ねえや。二つ隣の店なら、まだしも給仕は若えねえちゃんなんだが」


 だからというわけでもあるまいに、特に自らの酒を注文することもなく、トリスタは頬杖などをついた。ちゃぷちゃぷと酒を鳴らせて、ゼクが乾すたびに瓶を傾けてくる。


 飲む。ゼクは何を言うでもなく杯を重ねた。


 トリスタの四方山話はいい肴だった。身振りが大きく表情が多彩で、下らないくせにどこか教訓めいていて、いい意味で馬鹿馬鹿しいオチがつく。気づけば笑んでる。だからか彼の周囲にはいつも人が集まる。


 例外が今だ。ゼクとトリスタが差向いに飲む時は、いつだって誰も寄ってこない。


 そして、いつも思わず言葉が漏れる。


「……それで?」

「お、しゃべったか。今日はわりと早かったな」


 そうだろうか。己の唇に触れて、ゼクはその温かさを確かめた。


「もう一瓶用意してあったんだが、こっちは土産にやるよ」


 ニヤリと渡してくるものを受け取って、小さく礼を言った。呼吸をするたびに胸が熱い。その火種を護るように、そっと、もう一杯を飲んだ。


「さてと、だ。例によって仕官の話が来てるわけなんだが、どうする? 興味あるなら」

「興味ない」

「だよな、知ってた。つかお歴々も懲りろって話さ。首買いだけで満足してりゃいいのに、このところお互いの護衛同士を手合わせさせるのが流行ってるらしくてよ……ったく、闘犬かっつうの」

「闘犬……そういう」

「お前さんは一度派手に目立っちまったからなあ」


 言われて、ゼクは傍らに置いた剣の鞘に触れた。そっと撫でる。


 去年の秋のことだ。己の剣術に適した一振りを造らんと欲したゼクは、先立つものを得るために武芸大会に参加した。開催地は華国北都であった。


 北部は尚武の土地柄だ。先日の小競り合いしかり、狼国が北辺の国境侵犯を繰り返して飽くところもないからである。そのため武芸大会は腕自慢や兵法通の集まることまるで武の大祭といった有り様で、怪我人どころか幾人もの死者を出すまでに白熱し、富と名誉が華々しく行き来した。


 ゼクは無制限部門で準優勝を収めた。


 対戦した全ての武芸者に重傷を負わせて勝ち進んだ後、決勝戦を棄権した結果である。そして準優勝賞金と優勝賞金と棄権料とを得た。後の二つは優勝者から支払われたものだ。


「金ぴか衣装を覚悟すりゃ、ま、金にはなるかもな。やってみるか?」

「やってみない」

「だよなあ! 実は、是が非でもお前さんを家来にってうるせえ御家もあるんだが……そこが一番ど派手な飾り方しそうなんだよ。下手すりゃ歌と踊りのお稽古もあるかも」

「あり得ない……」

「ホントな。毎度お買い上げの首級にしたって、役者かよってなくらいに化粧すんだから」


 肩をすくめたのはどちらが先か、ゼクはまた盃を舐めた。


 この国で権力を握る者たちの多くは華美を好む。万事華やかであることが美徳なのだ。衣装風俗、街路軒並み、料理食器類……身の回りの何もかもに贅を尽くしたがる。煌めきをまといたがる。それは名声が物を言う官吏任用制度のためかもしれないし、あるいは大国の当然なのかもしれないが。


 ゼクは卓上の灯明へ目を向けた。小さく灯る火……だいだい色に先細って清く、切なげに揺らめいてなお音もないそれに見入る。


 杯を持つ右手を、左手でそっとさすった。


「すぐだぞ。次の戦は」


 酒瓶を置く音がゴトリとして、トリスタの声が更に続いた。


「半端な終わり方だったからな。軍の焦れ方からして、今度は狼国へ攻め込む形になるだろうよ。大評定前の最後の機会ってやつだ」

「……危うい?」

「ご明察だ。かなり危なっかしい。他の傭兵団も古参どころは警戒しまくってる。皇帝陛下がおこもりあそばす以上は、まさか『黄禍原こうかげんの悪夢』の二の舞ってことにゃならんだろうが……」


 トリスタが口にした言葉は、ゼクをして眉根を寄せさせるものだ。


 今から十三年前、華国皇帝は自ら指揮を執って狼国へと攻め入った。宿敵を滅ぼさんとする大侵攻であり、国境線の各所から北上したその総兵数は三十万とも四十万とも言われている。


 侵攻軍は狼国南部を広く同時攻略していき、そして一敗地にまみれた。


 親征の急所、即ち皇帝を狙われたからである。凄まじくも狼国のほぼ全軍をもってする急襲であったという、その合戦地こそが黄禍原だ。皇帝をのがすために支払われた犠牲は甚大で、以後、華国は狼国によっていいように国境を荒らされ続けている。


「……悪い夢、か……」


 言葉をこぼし、ゼクは空の杯を指で撫でた。安っぽい素焼きのそれは、硬くざらついていて、どんなにか酒を注ごうとも微塵も潤うところがない。


 十三年前の冬、ゼクの生母は失踪した。


 身なりのいい若い男と連れ立ってのことだったと聞く。


「しっかし、今日は冷えるな。どうも隙間っ風が通るしよ? 河岸かし変えねえか?」

「もう充分」

「そうかい? そんじゃ、ま、気いつけてな」

「ん」


 トリスタへ幾枚かの硬貨を預け、ゼクは席を立った。


 剣の鍔と鞘とを右手で諸共につかんで外套を羽織った。音もなく向けられた幾つもの視線を頬と肩とでやり過ごす。店先へ出るところで頭巾を目深にし、速やかに剣を腰に差した。酒瓶はふところだ。


 それからすぐに、であった。


 数歩進んだところで、後に続く足音を察した。大股に歩む。それでも離れない。まばらな人通りを敢えて縫うようにしても、さして距離は変わらない。


「あ、あの!」


 駆け寄って来たのは、小柄の、いかにも人の好さそうな男だった。平服で寸鉄も帯びていない様子だが。


「呼び止めてしまってごめんなさい! 僕、ミトゥっていいます! その、どうしてもお渡ししたいものが……」


 小袋から取り出してきたのは、一本の棒手裏剣である。


「ありがとうございました!」


 勢いよく頭を下げるものだから、一本結びの金髪が大きく跳ねた。首筋が晒されている。まるで落としてくれと言わんばかりである。


「これを投げてもらえなかったら、僕、絶対に殺されてました。あんなに敵味方の入り乱れた戦いって初めてで……もう、本当に混乱しちゃって……!」


 拝むように捧げられた棒手裏剣は、なるほど見覚えどころか投げ覚えのある一本だ。清められてか、街灯の乏しい明かりにも硬質の照り返しを見せている。


「あの……どうか、受け取ってもらえませんか?」


 上目使いでゼクを見上げてくる瞳は紫色だ。曇りなく透き通っていて、まるで星空のようだ。


「どうしてもお返ししたくって、色んな方に持ち主を聞いて回ったんです。そうしたら貴方のことを教えてくれた方がいて、もう居ても立ってもいられなくって、傭兵の集まる酒場を巡って……実はさっきのお店に、僕もいたんです。けど、何だかちょっと話しかけられる雰囲気じゃなくて」


 早口に放られる言葉を聞き流して、ゼクは耳を澄ませた。いや、ずっと澄ませている。


 ヒタリヒタリと近寄る足音があるからだ。酒場を出てからずっと、である。


 その踏み締め方に魔が潜んでいる。左足の音が重い。即ち帯剣している。一歩一歩にねばつきがある。即ち重心を下げた歩みである。兵法の心得がある。


 そら、来た。


「おお、そこにおられるのは!」


 つば広の帽子をかぶったその男は、上物の外套の下に長剣を佩いている。ゆらりと露わにした右手に指輪の類はない。口元には、笑み。


「先年の北都でのご活躍、実に見事でござった! いやあ、不躾ぶしつけで申し訳もないが、あの凄まじき剣技にすっかり魅了された者の一人でしてなあ……ここでお会いできたのは得難い幸運!」


 わざわざ帽子を取っての挨拶をしてきたから、ゼクもまた頭巾を外して目礼した。男の細められた目を見る。暗闇のようなそれを。


「では失礼! よい夜を!」


 快活さを振り撒く男と、互いの右肩の間で風を巻くようにすれ違って。


 一閃。


 男の右肘から先が、抜き身の長剣を握りしめたまま、街灯よりも高く舞い上がった。


 対するゼクは、横腹に引き付けた左手で鞘をひねり持ち、右手は切っ先も高々と剣を掲げている。


「ぎゃああああっ!?」


 ゼクは聞く。己が斬った者の叫びを。聞き馴染みのそれを。


 そして、鮮血の散る夜へと呟いた。


「守捨流……影抜き」


 腰を抜かした誰かが落として、棒手裏剣がころころりと音を立てた。

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