憧憬の挑戦
馬上にて槍を避け、長柄を打ち払い、ミトゥは奮闘していた。
狼国軍の軽騎兵は精強である。
子どもでも知る常識だが、実際にぶつかると、その非常識なまでの強さに驚かされる。連日の戦いを経てなお五体満足でいるのは、多分に、運の要素が強かった。
「んやっ!」
左手の硬鞭でもって剣と一合し、右手の硬鞭でもって敵の顔を打った。
双鞭だ。強敵に対抗するための工夫である。手数を増やさねば、殺される。
「う、わ、わ!」
体勢が崩れた。強く打ち込み過ぎたためだ。
慌てて鞍を掴んだ。両手でしがみついた。鞍がカンカンと鳴る。手からぶら下がった硬鞭が、鞍に当たって跳ねている。それもまた工夫だ。柄頭には輪状に紐が結びつけてあり、それへ手首を通している。敵の剣の造りを真似た。
「後ろだ、坊主!」
何も考えずに硬鞭を背中へ回した。十字に交差させたそこへ、何か刃金が叩きつけられた。長柄か。音と衝撃とで吐きそうになるも、敵を見る。やはり長柄。右後方から来る。
受けるも、打つも、必死だ。一合の度に心身が削れる。
苦悶の声が聞こえた。先の窮地に警告をくれた、傭兵団の男だ。助けるどころか、そちらへ顔を向ける余裕すら、ミトゥは持ち得なかった。討たれたらしいことを物音から察し、歯噛みし、目の前の敵を打つ。
もとより、無茶な戦いだった。敵は精鋭中の精鋭であり、味方は、傭兵団以外は敗残兵の寄せ集めに過ぎないのだから。
それでも、ミトゥは挑んだ。工夫の限りを尽くして、挑み続けている。
敵へではない。一人の驚嘆すべき傑物に対してだ。
飛剣士ゼク―――まるで武の化身のような、彼の後に続くべく、ミトゥは全身全霊を奮い立たせているのだ。
見れば、わかる。彼こそは万夫不当である。何十騎、何百騎に囲まれようとも、彼は物ともしていない。その剣技の凄まじさよ。鎧袖一触とはまさに彼の戦いぶりを表現するための言葉である。
強いことは、知っていた。しかし、こうまで強いとは。
敵もさるもの、彼一人に対して五百騎を当ててきた。しかもそれらを率いる一騎は、華国にも聞こえた武芸者である。『断騎』のカリュウ。紅糸巻きの長柄と、兜の羽飾りからそれと察せられたが。
見たい。その対決を。心から欲したところで、こちら側の五百騎がミトゥを阻んでいて駆けつけられそうもなかった。
突かれるから、叩いて避ける。斬りかかられるから、やはり叩いて、離れる。
防戦一方だ。
ミトゥの得物では組み打つほどの間合いに寄らねば討つことは叶わない。敵もそれと知っていて、代わる代わるに仕掛けてくる。硬鞭は削れ歪み、甲冑の傷は増え、少しずつ血も失われていく。
左方より、左手に鋭い一撃を受けた。紐が切れて、硬鞭が落ちた。
右方より、槍が来る。それがやけにゆっくりと見えたから、ミトゥは首を傾げようとして……動けなかった。音が遠い。身体が鉛のように、重い。
槍の穂先が、緩やかに回転しながら、手を伸ばせば届くところまで来た。
死ぬ。
殺される。
音ばかりか色をも失った世界で、ミトゥは一つの光景を思い出していた。
月下、躑躅家の中庭で繰り広げられた激闘をだ。不意をつくようにして、女剣士がゼクを襲った。恐るべき刺突だった。命を消し飛ばすかのような、その剛撃を。
ゼクは、そう、こういう風に迎え入れたものだ。ミトゥは槍へ硬鞭を添えた。
それから、こう、巻きついたものだ。ミトゥは内回りに右手首を捻った。
しかし、足らない。ああはならない。穂先が脇腹に触れる。冷たく刺さり、熱く痛む。それでも身体は動いていく。目に焼き付いている動きを、なぞっていく。槍を右方へ逸らしはした。肉を抉り、裂いて、穂先は背へと向かっていって。
―――突き抜けた。貫通はしなかったから。
「う、あああああっ!」
ミトゥは硬鞭を捨てた。槍を掴んだ。引き寄せて、腕へ掴み直した。なお引く。引いて、頭突きを見舞った。頭を押さえられたから、首を掴んだ。爪を立てる。全身をこわばらせて、馬から落ちないようにして。
やがて、敵は地へ転げて消えた。
金色の髪が風に乱され、頬を肩を打つ。兜を持っていかれたようだ。切り裂かれ、肩紐を断たれた胸甲もまた、取っ組み合いの中で半ば脱げていた。覗き見れば血塗れだ。服も、その下に巻いた布も、台無しだ。
力が抜けていく。手綱を握ることも億劫で、鞍の前輪へと前のめりになった。
「あーあ……折角、苦しい思いして、胸潰してるのになあ」
誰に聞かれるでもないから、そんなことを呟きもした。
ミトゥは、女である。
泥を啜るような生い立ちの中で、性を偽ることを覚えた。躑躅家に引き取られてからも、その癖は抜けなかった。戦場に出るためにも都合がよかった。将軍や将校ならばまだしも、兵卒として従軍するに際し、女性の不利は多すぎるから。
そうまでして追いたかった人は、もう、背中すら見えない。
「ここまで、かあ……頑張ったけど」
鞍が鳴る。左方から敵が寄せてくる。その鋭い視線と白刃とを、何ということもなしに、ミトゥは見続けた。右手首にぶら下がった硬鞭がカンカンと鳴っている。
向いていると言われた、得物だった。
だから、握り直していた。戦う力も湧かぬままに、目は間合いを計っていたが。
来ない。それどころか、慌てて離れていく。敵勢が動揺している。ミトゥたちは既にして殲滅されかねない形勢だというのにだ。
何かが、飛んだ。クルクルと舞い、落ちていった。
また一つ飛んだものを、ミトゥは見た。首だ。兜からして、狼国軍の軽騎兵の首だ。それが鞠遊びのようにして、また飛ぶ。強敵が児戯のようにして討たれていく。
ミトゥは手綱を握った。
馬を駆る。そこへ。軽騎兵が集合していく、闘争の現場へ。
ミトゥだけではない。周囲の味方もまた、吸い寄せられるように寄っていく。三十数騎といったところか。誰もが傷だらけで疲労困憊であるも、目ばかりは、熱く一点を凝視していて。
それを、目撃するのだ。
刃が閃くや、二騎が同時に斬り落とされた。再びの剣閃は、別な首を斬り飛ばした。槍と長柄とが殺到するも、そこには無人の鞍があるばかりだ。
馬の背を踏み、鞍を蹴って……馬群の上空を舞い飛ぶ姿の美しさよ。
飛剣士とは、真実、飛ぶ剣士であったということか。
ゼクである。ゼクが独り、戦っている。
乗り手を斬って馬を替え、困惑する敵を目に付く端から斬りに斬って、血煙の中のゼクはどこまでも涼やかだ。その剣風からは、殺人と不可分のはずの怨念が感じられない。暴力に伴うはずの殺意もまた。
斬ることとは、殺すこととは異なるのかもしれない。
何かしら、もっと、綺麗で在り得る行為なのかもしれない。
ミトゥはそんなことを思い考えていたから、突如として乱れた敵の馬列に、観劇を邪魔されたかのような苛立ちを覚えた。何事かと見渡せば、前方に馴染みの旗が見える。
赤色を備えて、躑躅家軍が槍衾を構築しているのだ。
狼国軽騎兵たちは、それを避けて左右へ迂回していく。先んじてぶつかったと思しき本隊と合流するのだろう。
ついて行く必要はないから、ミトゥは手綱を引いた。降りようとしたが。
「邪魔だ! 後ろで合流しろ!」
槍の合間を通されて、陣組の内側へ。慌ただしく兵馬が行き交っている。躑躅家軍が中心となって散らされた兵卒を糾合しているらしい。
華国軍を伏撃したあの四千騎は、また来るのか。それとも駆け去るのか。
そんなことを考えている内に、ミトゥは馬から落ちた。地べたにへたり込んでいた。今更のように脇腹が痛んだ。身体が冷えていく。血が、体内の熱を溢し漏らしていく。
乾きと眠気とを覚えたが、ミトゥの目は、彼を探していた。
探すまでもなく、いた。
馬上から、空を見上げている。地へ転がる者たちも、地を踏みしめ戦う者たちも、来るとも去るとも知れない敵も、彼にとっては眼下の諸々に過ぎないとばかりに。
その手には、今、剣が握られてはいない。芋だ。芋が持たれている。
ゼクは黙々と食べる。貪るようなその食べ方は、野蛮というよりは幼稚で、ミトゥにとっては馴染み深い仕草だ。親に愛されなかった者の食べ方だ。裏路地での日々が思い出されて、ミトゥは笑った。そら、喉につまる。
ミトゥは立った。鞍に結わいてあった荷の一つを取り、大事に抱えて、ゼクのところへ届ける。
「ゼクさん、これ。飲んでください」
頷き、飲んで、彼は珍しく嫌な顔をした。
「酒だ。これ」
「え!? あ、そうだ! そうでした! す、すみま……」
高い酒だと、思い出した。落とすなよと言ってきた男は、ミトゥの危機にも声を掛けてきて、そして討たれた。傭兵団の古参という話だった。
「……傷に、かけとくといい」
ゼクの顔がぼやけて見えた。頬に触れて、ミトゥは己が泣いていると知った。
嗚咽は、噛み殺した。
戦争はまだ続いている。




