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雷公の軍略

 戦場において、長考とは十中八九が愚考である。


 そうパラアナは考えるから、伝令分隊からの報告を受けるや、即座に決断した。赤貂市における諸作業を速やかに中止し、麾下の軍勢に進発の用意を急がせ、自らは完全武装の姿で市城へと出向いたのだ。


「我が軍は出撃する。進路は南、目的は国への退路の確保だ」


 接収した市城に置かれた臨時司令部では、六人の将軍が、それぞれに唾を飛ばしてきたものである。


「何を唐突な! 今は、情報の真偽を確認することが先決であろう」

「しかり、しかり。我々の放った斥候がまだ戻っていない」

「うむ。あるいは虚報をもって我らを動揺させる計略かもしれん」


 認めたくない現実と向き合うことが、戦いであろうに。


「そもそも、退いてどうする。いかにここを保持するかだろう」

「そうだ、それが肝要だ。この大戦果を失って何とする」


 将としての責任からではなしに、個人の欲得から発想して。


「しかし、敵軍の本隊が無傷だ。どうにかならんのか」

「とにかくも兵力の集中だろう。そうすれば、敵本隊とて」

「いや、市壁の損壊は大したことがない。遊軍を出した後に籠城するのはどうか」

「それはいい。後詰めと連携すれば、兵糧も運び込めよう」


 今更に敵を恐れ、弱腰の理屈を吐く醜悪をわからず。


「うむ。それであれば、遊軍は精鋭にして攻勢に強い軍が担当するべきだが」

「おお! それこそ音に聞こえた蘭家軍の出番であろう!」

「まさしく、まさしく。蘭家軍の進路は北だ。北へ向かっていただこう!」


 現実と乖離した提案を決定事項のようにして、恥も知らないのだから。


 パラアナは、一笑に付した。


「卿らは勘違いをしている。私は決定を伝えに来ただけだ。連絡は大事だからな」


 そして、怒気も露わに、言い募った。


「情報の真偽? 我が軍の情報を信じぬという言だ。首を刎ねるぞ! 大戦果? 生餌の間違いだろう。釣られたのだよ! 敵本隊? 戦わずに済むものか。すぐに押し寄せる! 籠城? 敵地で? 全滅したいのならば勝手にするがいい。卿らは自滅したと陛下には奏し奉ろう。それぞれに一万将兵の身命を軽んじた、その軍人としての不見識と不覚悟を罪と断じ、罰を係累にまで及ぼそうぞ!!」


 凍りついたような空間に、か細く、我らは協力すべきだという言葉が生まれた。


 それは次々に唱えられ、またぞろ熱を帯びようとしたが。


「協力しなかった結果、ここにいる。赤貂市の攻略は壮挙ではなく愚挙と知れ」


 言い捨てて、パラアナは退室した。靴音が高く鳴るようにも工夫した。


 策、であった。


 どう言葉を重ねても退却をがえんじなかった六将軍を、挑発し脅迫し見捨てることで、動かそうとしたのである。危局を迎えての荒療治ともいえる。


 そしてその策は、成った。


 蘭家軍が赤貂市より退出した後、華国軍もまた門外へと出始めたのだから。


「どうだ。私の策謀も中々のものだろう?」


 愛馬を傍らにして、パラアナは一人の男へと笑いかけた。


「このところは戦場外での剣抜かぬ戦いも多いし、何よりも、魔窟たる宮中で揉まれているからな。猪武者との評は、過去のものとなって久しいのだ」


 おどけてみせるが、反応は芳しくない。


 その男―――トリスタには笑みもない。金髪を垂れ碧眼を伏せ、由緒ある赤色甲冑を誇ることもない。


「見事なものです。あちらは随分と無様ですが」


 口調は冷めたものだが、表情には苦みがあった。


 なるほど華国軍の有り様は不恰好なものである。急ぎのこととて、隊列は混雑しているし、事前に積載していたのだろう戦利品を運び出すのにも苦労している。


 隙だらけで遅々としたその様を、蘭家軍は整然と並び見守る形だ。


「戦利品の少なさを、司令部は嘆いているでしょう」

「将兵の命を贖ったのだと、理解させるさ」

「……全て、狙い通りですか」

「うむ。まず成功であろう。退却の初動はな」

 

 頷いて見せ、パラアナは付け加えた。


「これで、万一にも華国軍の壊滅はあるまい。次善策・・・としては上々だ」 

「……次善策」

「最善の手段をとれることなど、稀だからな。それに、お前の策もまた活きた」

「策など、私は」

「噂の『飛剣士』とやらを使ったのが、よかった。武名を挙げた者が去るなど、兵士らにとっては不安材料でしかない。下から醸される雰囲気というやつは馬鹿にできんぞ? 退却を決める最後のひと押しになったろう」


 私も会ってみたかったが、とパラアナはおどけて見せたが、やはり笑いは引き出せなかった。


 俯いたトリスタの口元が震えている。歯を食いしばる理由は知れないが。


「あまり気に病むな、トリスタ。そもそも、赤貂市の攻略などすべきではなかったのだ。何をやったところで後悔が付きまとう……それが退却戦ならば尚更のことだ」


 肩をすくめて思うのは、市城に寝泊まりしていた六将軍の顔つきである。


 まるで、王侯貴族にでもなったかのような、彼らの目つきである。


 都市の占拠とは、軍人を支配者にする麻薬だ。立場が判断を惑わせ、軍を加虐的に、独善的に暴走させる嫌いがある。事前計画にない占拠なら尚更に作用しよう。


 パラアナはその暴挙を阻止すべく心を砕いた。


 蘭家の処方であるとして都市の民の保護に動き、華国軍兵士らの乱暴狼藉を抑止した。大評定が念頭にある司令部六将軍の思惑も利用し、可能な限り穏当な軍政を敷かせた。それは戦争の常道からすれば非常識な行為であったが。


 虐待された民は、隙あらば牙を剥く。逃げる背中に追いすがる。情報を流す。


 懐柔された民は、様子を見る。守りえた日常に籠る。見て見ぬふりに徹する。


 かの「黄禍原の悪夢」において蘭家軍が得た戦訓の内の一つである。諸軍が蹂躙した土地の民は、凶暴な遊撃兵であり、執拗な斥候兵であり、狡猾な工作兵であった。そのように化して退却の障害となった。


 さればこそ、パラアナは赤貂市の民の慰撫に努めたのだ。全ては退却のためだ。


 油断もない。念押しにと一個大隊を都市内各所へ配置してある。


 狼藉や略奪の類を「追討を助長するもの」として取り締まり、捕虜の連行を「退却の足並みを乱すもの」として禁ずるためである。


「よし、歩兵全隊、進路を南にして行軍用意だ! 華国軍の前衛と心得よ!」


 指示を出し、パラアナはその後の指揮を副将に委ねた。


「トリスタ、躑躅家軍は両軍の中間に位置どるといい。分断されないための備えであることは勿論だが、広く全体を見ておけ。そして適時適所へ鉄壁の千本槍を並べるのだ。お前の戦術眼に期待する」

「承知仕りました」

「油断するなよ。後詰め二万を襲った軽騎兵は、練度から見て、狼国の最精鋭部隊である可能性が高い」


 華国が重装歩兵の精強を誇るように、狼国は軽騎兵の剽悍を誇る。


 国民の気質もあろうが、根本のところでは資源の差であろうとパラアナは理解していた。鉄の産出量と冶金技術では華国が、良馬の生産と馬術では狼国が、それぞれに周辺国よりも長じている。


「奴らは騎馬をもっての伏撃もしてくるぞ。それが最も厄介だ。斥候は通常の倍以上を出すように、副将には言い含めてあるが……お前も留意しておいてくれ」

「……パラアナ様は、どうされるのですか?」

「五千騎でひと当てしてくる」


 言うや、パラアナは馬上へと身を躍らせた。


「退路の確保も疑わしい退却だ。敵本隊を勢いづかせてはならん。まずは一勝してその出鼻を挫く。追討の先鋒部隊を叩いてもいいし、中軍をかき乱してもいいな。いずれにせよ一度退かせる。それで初めて全軍の生きる目が出る」


 勝ちて、しかる後に退く。それもまた蘭家軍の知る戦訓であった。


「貴女は!」


 トリスタが大きな声を出した。目が、合った。


「……貴女様は、死んではならない人です。このようなところでは」

「どうした? 決死隊のつもりなどないぞ?」

「そう、ですね……そうでした」


 また目を逸らされたから、パラアナは笑った。


「私は戦うことしか能のない人間だ。いつかは戦場に果てる。しかし、そんなものは戦士の本懐でしかないからな。どんなにか過酷に戦おうとも、無残に死のうとも……我が罪科を僅かも減じはしないだろうよ」


 再びに向けられた碧眼へ、パラアナは告げた。


「いい機会だ。十三年前のあの日、私を説得に来たお前にしか頼めないことを、今ここで頼んでおきたい」


 目を見開いたトリスタへ、パラアナは笑顔で託すのだ。


「万一の時は、我が子ゼカリアの供養を頼む。墓は、あの村の丘の上にあるのだ」


 それきりで、もう、振り返りはしない。


 パラアナは騎馬部隊を率いて北へ向かった。すぐにも寄せてくるであろう、狼国軍本隊数万へ一撃するためである。

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