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狂騒の陣営

「何を馬鹿な。敵など来るものか。ここら辺りは今や華国領であるぞ」


 後詰めの将のその言葉が、馬を潰してまで駆け来たことの成果だった。まず間違いなくここへ襲い来る狼国軍を、しっかと追い抜いて、ゼクたちはここへ到着したのである。


「『飛剣士』殿、護衛はこれまでに。我々はこのまま行きます」


 伝令分隊の男は、休息もそこそこに、馬上へと上がったものだ。


「もしも叶うのならば、再びくつわを並べたいものですな……御免!」


 駆け去った先、山間の隘路を越えればまず安全な地域だ。いっそ少数二騎の方が、素早く国境線へと抜けられよう。


「僕、もう一度、将軍にお話ししてきます。敵が来るぞって」


 ミトゥは困ったような顔をして、言っていた。


「躑躅家の名前も出してみます。ここで何も動かないんじゃ、きっと、ジュエイ様に叱られてしまいますから」


 頑張ります、などと小走りに去った先は、ここの司令部だ。広々として気の抜けた陣の中央に位置する大幕舎で、今も何事か弁舌を振るっているのかもしれない。


「俺らは、今もまだ、護衛小隊だ。どう動くにしろ一声かけろよ」


 八人の傭兵は、得物を手入れしたり昼寝をしたり、それぞれに過ごしている。食料や酒をせしめてきて、ゼクに分けてもくれた。思わぬ情報も拾ってくる。


「今回の遠征軍は、どうも蘭家軍を磨り潰す目的もあったらしいぞ。攻城戦のせいで被害の割合が逆になったと、軍司令部は愚痴りに愚痴っている……まだ機会はあるはずだ、ともな」


 ゼクは聞き流す。陣の片隅で、火もなく、ぽつり置かれた荷のようにして。


 傍らの小桶には水が張ってある。布を浸し、絞って、右の足首に当てた。まだ随分と腫れている。紫色に内出血してもいる。馬上戦闘における無茶の代償だ。折れてはいないようだが。


 吐息し、南を眺めやった。


 切り立った岩山は灰色に乾いていて、触れられぬ青さに透き通る空の下、いかにも寒々しい。水場で見つけた白骨にも似ている。生にまつわる色々が抜け落ちた、その果てにあるものをゼクは思った。


「綺麗なものでも、見えるわけ?」


 背後から届いた声に、ゼクは答えない。布が水音を立てて落ちた時、左手は剣を引き寄せ鍔に指をかけていた。


「どうせ、つまんないものでしょ? 悟ったような顔しちゃって」


 足音は、ゼクの間合いまであと半歩というところで停まった。


「所詮、君も男。何かに納得しないと、生きるも死ぬもままならないんだろうね」


 肩越しに、声の主を確認した。


 ユラだ。頭巾から灰髪をこぼし、眼光を鋭くして。


 厚手の外套の合わせ目から、金色飾りの柄頭が、男根のごとくにょきりと姿を見せている。包帯塗れの右手が、ぬるりとした動きで、それを撫でしごいている。


「抜きなよ」


 パチリと鍔を鳴らせて、ユラが言う。


 ゼクは座したまま、ゆっくりとゆっくりと振り返った。立ち上がろうとすれば斬られる。跳び退れる右足でもない。剣は腰、右手は膝の辺りに浮いている。


「人足に紛れるまでして、追いかけてきたんだ。足を挫いているからって、何だって話さ……知ったことじゃないね!」


 抜いた。同時に。


 間合いを跳び越えて迫るのは、ユラの剛剣だ。あの刺突だ。ゼクは膝立ちである。この姿勢では体を捌けない。かの秘剣をもって迎え撃つことはできない。受け止めるより、ない。


 剣腹と鎬でもって、右へ払うように受けた。


 火花散る凄まじの剣勢だ。顔面を狙ったそれは、貫通するどころか首ごと吹き飛ばしかねない威力であるが。


 受けきった。そして、流しきりもした。


 順当な結果ではなく、また、偶然の結果でもない。剛剣に対抗するための秘訣は、左手の握りにある。柄と右肘とを、諸共に握るのだ。剣と腕とを一体化させる金城鉄壁の技巧である。


「今のを!?」


 突き終えたその隙へと、斬り込んだ。左足で踏み込んだ斬り下ろしだ。


 空を、切った。


 上半身の捻りだけで避けられた。両腕に残る痺れと、地に残した右ひざとが斬撃を鈍化させたからだ。


 ユラの剣が動く、その起こりを潰すように斬り上げる。腕の力だけで振った。当たらずとも、仰け反らせただけで充分だ。畳み掛ければいい。それで剣も技も心も殺せるというのに。


「怖い、怖い。一度ならず二度までも、通じないなんて」


 飛び退いたユラを、ゼクは追い打てない。


 右足だ。右足がいけない。


 並の相手ならばいざ知らず、このユラを相手にしては致命的だ。せめて固定していればやりようはあった。しかし、今は素足を晒している。力が入れられない。


 息を吸い、吐いて、ゼクは意を決した。


 座り技で迎えて、立ち技の一つきりで斬る。 


 ゼクは、剣を寝かせて右脇へと引いて構えた。左肩を晒して、剣を身体で隠す。この形勢から狙うのは『馳氷柱はせつらら』だ。捨身の技となるが、勝算はある。


 ユラは無構えだ。切っ先を地へ放ったままだ。どちらも相手に応ずる形である。


 自ずと、居ついた。


 手の湿り気が、じわじわと、柄に沁み込んでいく。握りがより固くなる。


「君の剣って、特別ないわれがあったりする?」


 間合いに入って来ない。来なければ応じられない。


「そういう感じはしないよね。良さそうな剣ではあるけどさ」


 あの逃げ足の持ち主だ。来るときは、きっと速い。


「つまり……君という剣士に、何か、特別な来歴があるってことか」


 パチリと音を鳴らせて、ユラの剣が鞘へと納められた。抜き打ちの技を用いるつもりか。いや、違う。二歩三歩と間合いが開いていく。


 ひょいと両手を上げて、ユラは嘆息した。


「ちょっと休戦。何だか、大きなやつが始まりそう」


 言わんとすることを、ゼクは遠く立ち昇る砂埃でもって視認した。


 北と、北東と、北西と、三方向から軍勢が迫り来る。全て騎馬だ。それぞれ数千騎ほどか。今、鐘が鳴った。遅い。幕舎から飛び出してきた兵卒たちが、あちらでこちらで右往左往している。鈍い。


「ゼクさん! ゼクさん、敵襲です! やっぱり来た!」


 ミトゥが駆けてきた。それを確認した僅かの隙に、ユラは姿を消したようだ。


「司令部は大混乱です! あれじゃ、まともな応戦は……!」


 聞きつつ、右足首を布で縛る。過剰に巻いて動かないように仕立てていく。


「おう、小隊長。ここにいたか。人数分の馬を確保しといたぞ」


 傭兵団の男たちも来た。それぞれに何かを咀嚼しながらだ。そら、と投げて寄越したものは燻製肉だ。


 かじりつつ、ゼクは案内される先へ向かった。十頭の馬は全て体格がいい。糧秣を結わいつけた馬も二頭いる。それら全てが、先の遭遇戦で狼国軽騎兵から奪った軍馬だ。


 全員跨ったところで、傭兵たちから次々に問われた。


「さて、小隊長。どうするよ。逃げるか戦うかだが」

「どちらにせよ、方角は決めてくれな」

「わあ、僕の鞍に結んであるの、お酒じゃないですか」

「高えやつだぞ、それ。落とすなよ」


 ゼクは馬上より戦場を見渡した。


 陣の広さが幸いしてか、二万兵力は徐々にでも集合しつつある。北門、西門、東門と、それぞれに五千が方陣を敷くつもりらしい。中央の五千が司令部か。旗から察するに、どこも二個師団の混成であるようだ。


 敗れる。これは。


 ゼクの目に、華国二万兵力の在り様は道場剣術の拙さにも似て映った。


 形にこだわることで安心を得ようとしているも、却って能力を損なう強張りとなっていて、しかも地形の利を十全に活かせていない。礼に始まる試合ならば、いい。しかし実戦における急変には応じられまい。


 対する狼国軍一万余騎は、さながら狂猛な野獣だ。


 最も威圧感のある中央部隊は、牙だ。高速で迫る両翼部隊は、左右の爪だ。己が獲物を一息に喰い殺さんとする殺意が、不可視の突風となって、ゼクの頬に吹き付けている。


 ゼクは、静かに、南を指差した。


「お、逃げるか」

「逃げるんですね?」

「伝令の奴らを追うと」


 首を横に振り、剣の鍔を鳴らした。


「戦うため」


 宣言して、馬腹を蹴った。


 合戦の熱を背に受けて、矢のごとくに馳せ去った。

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