危急の騎行
轟々と風が鳴る。騎馬の疾走である。
「ゼクさん! 右の崖に!」
南への騎行は、五十騎によるものとなった。
「ああ!? 左の崖にも、敵影が! それぞれ四十騎!」
その内訳は、護衛小隊三十騎、伝令分隊十騎、荷馬十騎である。敵地には兵站拠点などあるわけもなく、替え馬を引く余裕もない。糧秣を抱え、馬を労わりながらの移動だった。
「『飛剣士』殿、護衛の半分を借り受けたい! 分隊は半数を帰還させる!」
「き、帰還ですか!? この状況で!?」
「この状況を、知らせなければならんのだ! よろしいですな!」
水場は経ていくものの、途上の村々には寄らず、最短距離を来た。
「副長が十五騎で! それでいいですね!? ゼクさん!」
「よし! 五騎、戻れ! 必ずや、閣下の元へ辿り着けよ!」
だからこそ、この襲撃は、深刻である。
総勢の知れない八十騎は、南側から来たということなのだから。
「き、来ます! 左右から!!」
「この崖を駆け降るだと!? 何たる馬術!」
ミトゥが硬鞭を手に取った。分隊長は長剣を抜く。他の傭兵たちもそれぞれに得物を構えた。
ゼクは、剣に触れない。
抜かず、両の手に棒手裏剣を持った。狙いを定める。人ならぬ速度と揺れでは、当てやすきに当てる。
即ち、馬体である。
馬の顔へ、首へ、胴へ、腿へ。一馬一本の腹積もりで、右へ左へと十本全てを投じた。落馬させた者は三騎に留まった。後は多少とも馳せ方を乱しただけだ。軍馬の質、騎乗者の馬術、共に高い。
左方より一騎が寄せて来た。その右手には片手剣だ。
ゼクも抜剣し、間合いを測った。馬上にあっては自らの脚で踏み込むことができない。高速で流れる風景とは裏腹に、もどかしいほどの遅さで、自他の距離が詰まっていく。
敵軽騎兵の、吸うと吐くとの拍子も、視線のやりどころも、全て把握して。
迎え撃った。
こちらを斬り払わんとする、その持ち手を突いた。切っ先は手甲の隙間へ。
二指は貰った手応えだが、剣が落ちない。見れば、柄頭に輪状の紐がついていて、それに手首を通してから柄を握っていたようだ。すぐにも左手に持ち替え、また来る。怯むこともなしに。
だが遅い。いかにも鈍い。
身を反らせて刺突を躱し、その勢いのままに顔面を斬った。刃を返して斬り下ろす。手綱を握る右手首を切断する。それでようやく落馬していった。
「うわ! た! と!」
「手強いぞ! 各騎、注意せよ!」
周囲もそれぞれに交戦状態だ。押されている。騎数の多寡と馬上兵法の巧拙もさることながら、馬の力が違う。等速で駆けていても、向こうには余力があり、こちらにはそれがない。既に前方へ数騎回り込まれた。包囲が完成しつつある。
ゼクは、馬腹を蹴った。
今この瞬間に出しうる最速で、前の数騎へと肉薄する。矢をつがえる暇も与えない。一騎の真後ろへ着いた。長柄の横薙ぎへ合わせて振り止める。弾くまでには至らずとも、止まれば、掴める。
鞍へ乗り、跳んだ。左手は敵の長柄を握ったままだ。
引き寄せることで敵へ向かう。長柄が手放されたが、もう遅い。首へ組みつき、剣刃でもって喉笛を切り裂いた。吹き上がった血が風に揉まれてなお温かい。
「何という奴!」
槍が来た。抱く人体を楯として受ける。穂先が飛び出て頬に触れた。人体を捨てれば、槍もまた投げ出される。その隙を逃さず、首元を突いた。鎖骨をなぞっていい具合に刺さったようだ。また血が霧となる。
すぐにも別な一騎が剣を振るってきた。避けるも、肩をかすめた。鋭い一撃だ。
ゼクは両手で剣を構えた。当然、馬の操り方はおざなりになるが、それでも速さが拮抗し揺れも安定している。良馬であり、調練をつんだ軍馬であるということだ。共に駆けたのだろう日々が、今、ゼクに味方している。
斬り込んで避けられ、斬り込まれて避けて、小手先の技術が応酬した。
この敵は中々の使い手だ。踏み込めない馬上では、難敵である。
右方で数合する内に、左方からも馬蹄の音が近づいてくる。ゼクとしては背後に迫られる形勢だが、そちらへ剣を向けることはできない。目の前の敵がその隙を許すはずがない。
討たれる。このままでは。
何が必要だ。前後の敵を討つためには、何を支払えばいい。
脚の一本。
そう覚悟して、ゼクは右方へと跳んだ。
左足で鞍を蹴り、右足を鐙に残して、身を投げ出すようにである。
「うおっ!?」
声を上げつつも、敵は剣で受けようとした。己が左肩へと剣が迫るのだから、その受け方は尋常にして適切なものだが。
ゼクは、斬った。
剣勢をそのままに、切っ先転じて、右肩から左脇腹へと剣を走らせたのだ。
守捨流、日影。
右手の手の内に捻りを蓄えて打ち込み、途中、引き絞ることをもって軌道を表から裏へと転ずる技だ。無拍子で変化するから、受け身に回って受け切れるものではない。
致命傷を与えたから、敵は落ちた。
しかし、ゼクもまた落ちた。左肩から地にぶつかって、弾む。速度の暴力に翻弄される。右足は鐙にかかったままだから、引きずられる。肘が、膝が、削られる。馬の蹴り足が、唸りを上げて耳元をかすめる。
それでも、生きているから、剣は落とさない。
だから、命を抱いて、身を起こせる。
ただ、斬り果てるために。
只今の戦場へ……馬上へと、ゼクは不恰好にでも復帰した。鞍にしがみつく、その手を槍が狙ってきたが。
「させない!」
ミトゥだ。硬鞭の一撃が槍の柄を跳ね飛ばした。そのまま襲いかかっていく。
引きずられている間に馬が減速し、後続との距離が縮まっていたらしい。
血塗れ土塗れで、ゼクは周囲を見渡した。護衛小隊にしろ伝令分隊にしろ、幾騎も欠けているものの、戦いは味方の優勢へと転じている。どうやら先ほど討った男が、敵部隊の指揮官だったようだ。敵の動きに乱れがある。
「各騎、奮起せよ! 『飛剣士』殿が見ているぞ!」
分隊長の呼び声に、伝令たちばかりか、護衛小隊の傭兵たちもまた吠え応えた。
見ていろということだろうか。
ゼクは首を傾げるも、すぐに、馬を寄せて一騎へと斬りかかった。戦場にあって敵を斬らない理由が、ない。何一つとしてない。斬り尽くす。
一度優勢に傾けば、後はそう長くかからなかった。
残敵十数騎が、元来た道や東西の崖へ散り散りに逃げ去っていく。
ゼクたちは追わない。いや、追えない。人馬ともに傷だらけの上に、行く手を思えば一先ずの休息が必要と思われた。先の戦闘で装備を落とす、あるいは欠損した者も多い。
敵の物も含めて、使える物を回収する。疾走から脱落した負傷者と合流する。乗り手を失った馬を集める。それらの諸事を速やかに行うも、林の中に身を潜めた頃にはとっぷりと日が暮れていた。
「おお……馬が三十六頭とは素晴らしい。ここからならば、十二人して、後詰めの二師団のところへまで早駆けてゆけますぞ」
「十二人って、そんな、分隊長さん」
「ミトゥ殿、十二人でござる。今夜は月が明るい。疾く、行かれよ」
分隊長の傷は、深い。槍で腿を抉られていて、止血処置も万全にはならず、早駆けなどできようはずもない。
「ああ、私の馬も連れていっていただきたい。よく駆けます」
「分隊長、さん……」
「水と食料と、一振りの剣。それが最も理に適う。そうでしょう? 飛剣士殿」
呼びかけられたから、ゼクは置き捨てる一人へ顔を向けた。
血の気のない男の顔には、何かしら、清められた微笑が浮かんでいる。
「貴殿の凄まじき戦振り、我が魂魄に焼き付き申した。共に駆けられたことは誇りであります」
頷かず、ただ、見つめた。
「……本当に、凄まじい。まるで、磨き抜かれた剣のような御仁だ」
男には、もはや死の色が窺えた。それはつまり、半ば死の側から、ゼクの生を見られているということだ。
「不思議なものですな……どうしてか、貴殿が、閣下のようにも見える。強さゆえか……いや、本当に似ているな……まるで、亡くされた御子の……」
虚ろな表情で、聞き取れない何事かを漏らす。戦士の、そんな弱々しい死に様は、見守るに忍びなかった。
護衛小隊十騎、伝令分隊二騎、荷馬替え馬二十四騎の編成となって。
ゼクらは進発した。
月下、南へと。




