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真情の横顔

「狼国軍の被害は、実のところ、そう大したもんじゃねえんだ」


 灯篭に照らされて、トリスタが前のめりに語っている。


「蘭家軍は速攻で敵を崩したが、そりゃあ、先鋒の役割として露払いをしただけさ。観戦した俺が言うんだから間違いねえ。要は、敵先鋒を追い散らして、本隊同士の決戦の場を整えたってだけのことだ。有利な地形でやれるようにな」


 噛んで含めるようなその言い様は、何か切実さを感じさせる。


「それなのに、だ。本隊の方は目先の軍功に釣られやがって、都市攻略に乗り出した。その報を聞いて気が気じゃなかったぜ。んなもん、狼国軍の猛攻を招くだけだからな。ところが、今の今に至っても、奴らは来やしねえ。おかしな話さ」


 卓に腕を乗せ、身を乗り出すようにして、トリスタは言う。


「覚えとけ。戦場のおかしさってのは、大概、ヤバさってことなんだよ」


 ゼクはいつも不思議に思う。


 トリスタは、強い言葉を発する時に限って辛そうな顔をする。まるで、本当に言いたいことを言えないとでもいうように。


「もしかすっと……この都市は、生贄にされたのかもしれねえ」


 もとより、トリスタという男は奇妙なのだ。


 出会ったのは十七歳の晩春の頃だった。レイチ老からの紹介であったが、面会するなり、やたらに好意を向けられた。ゼクの事情を聞きたがり、話すと、一軒の家を貸し渡してきた。セイのためにありがたかったが。


「退路ってもんを考えると、今ここにいるやばさがわかる。もともと、ここは攻めにくい場所だったんだ。隘路の先だからな。それが、敵本陣の後退なんて異常事態があって、はじめて攻められた……落とせちまった」


 都会の暮らしを知ればしるほどに、傭兵稼業に詳しくなればなるほどに、トリスタから受ける厚遇がどれほどに異常なのかがわかった。


 当座の生活費すら、準備金だと寄越してきたのだ。トリスタは。


「向こうだって、落とさせたかなかったろうよ。だが、現実問題として、赤貂市が戦場になることは避けられなかった。なら、もう、いっそのこと……そう考えた奴がいたとすると、やべえ。やば過ぎる」


 尽くしても尽くし足りないといった風に、トリスタは色々と気を使ってくる。


 どうしてだろうかと、ゼクはこれまで何度も考えた。理由を尋ねても埒が明かない。やれ期待の星への先行投資だの、やれ稼ぎ頭への特別報酬だのと、曖昧な言葉が返ってくるばかりだ。


「わかるか? っつうか、聞いてるか?」


 ゼクは、首を傾げた。わからないものは、わからない。


「南に回られたら、終わりだっつってんだ。狼国側に閉じ込められる。袋叩きにされる。そんでもって、南側を確保してんのが、腑抜けの後詰め二万ときた。なんつう、うすら寒い命綱だよ」


 そもそも、どうしてトリスタは傭兵などやっていたのだろうか。


 その軍学教養といい、戦術眼といい指揮能力といい、仕官先など幾らもあったに違いない。豪族の私軍だけでなく、国軍に入ったところで重用されただろう。それだけの能力が、トリスタにはある。


「俺は進言したよ。すぐにも撤退すべきだってな。いっそ、まつろわぬ都市を焼き討ちにして、あるだけの財物を運び去りゃあいいんだ。それが戦争ってもんだ。それなり以上の、いい戦果だろうが」


 正規の軍属になることが嫌なのかもしれない、とゼクは思う。此度躑躅家へ雇用されたことも、不承不承であった。


 隠しきれない嫌悪の情が、言動の端々から感じられた。


「一顧だにされなかったぜ」


 吐き捨てるように言い、トリスタは杯を呷った。


「司令部の馬鹿たれ将軍どもめ! 掃討戦の中途半端さも、夜回りなんて手緩い対処も、この都市をピカピカにして皇帝へ献上したいからだ! ほんっとに、大評定ってやつは!」


 卓に腕が叩きつけられた。酒瓶が転び、皿が跳ねた。


「蘭家軍も駄目だ! 炊き出し? 住居の修繕? 阿呆が! てめえの自己満足に周りをつきあわせやがって……罪の上塗りだってんだ! 誰が割を食ってるかも知らねえでよお!!」


 ああ、少しだけ本音が出た。


 そう感じたから、ゼクは食べるのを止めた。じっと見る。静かに聞く。


 神妙に聞いていたミトゥは、逆に、騒ぎ立てることにしたようだ。


「あ、あの、でも住民からは感謝されてますよね? 無体なことをされないから、その、暴動にならないというか……」


 トリスタは鼻で笑って応じた。


「懐柔するのなんざ、後も後でいいんだよ。ここは最前線なんだ。それどころか、敵のはかりごとのど真ん中かもしんねえ。綺麗事に時を費やす暇があるかよ」

「綺麗事……綺麗事だなんて」

「おいおい。攻めて来た奴らがやる人助けなんざ、綺麗事以外の何だってんだ? そういうのは戦後にやりゃいい。少なくとも、だ。戦争上手が、戦争の最中さなかに、戦争そっちのけでやるこっちゃねえ」

「……戦争を、しているから」

「おう、戦争中だ。俺もお前も、他の連中もな。勝って終わらなけりゃ、何もかも台無しになっちまう賭け事の真っ最中だぜ? 落ち着く暇もねえんだぞ?」

「勝って……終われそうもない、と?」


 ミトゥの問いに答えず、金髪をかき上げ、外の賑わいを見やって。


「―――ゼク。あの旗を持って南へ行け」


 名を呼ぶ際の、いつもの横顔だ。激情を下っ腹に堪えたような。


「役割は、蘭家軍の伝令分隊の護衛だ。出発は夜明け。目的地は蘭家領。目的は援軍要請。編成は、傭兵団から三十人を抽出して護衛小隊とする。隊長は……お前さんだ」


 隊長。


 思いもかけない言葉に、思わず、ゼクは口を動かしていた。聞こえた言葉を小さく呟いていた。


「名前を貸りたぜ、『飛剣士』様」


 ニヤリ笑って、トリスタは言う。


「まあ、二つ名持ちの定め事みてえなもんだが、利用されるよりは利用しろってこったな。上手く使えば便利なもんだ。その名があればこそ、あちらを納得させられたし、旗も拝借できた。あるとないとじゃまるで違うからな。あれを掲げてりゃ、誰に咎め立てされることもねえんだからよ」


 おどけたような素振りをする。何かを誤魔化すようにして。


「副隊長には古株をつける。副官は、ミトゥ、お前がやれ。それで体裁は整うだろ」

「拝命しました!」

「いい返事だ。上手く補佐してくれ。お前が躑躅家の身内だってことは、あちらも承知している」

「はい!」


 ミトゥの陽気を他所に、ゼクには暗く思い出されるものがあった。


 合戦に出る前の夜、あの萱原かやはらの先の小屋で、トリスタは言っていた。万一の時は蘭家領へ走れと。後詰めは頼りにならないと。


 その万に一つが、今、現実のものになろうとしているのではないだろうか。


「トリスタ」


 名を、呼んでいた。


 見開かれた碧眼を見つめて、ゼクは言う。


「死ぬ気?」

「……死なねえために、援軍を呼ぶんだろうが」

「逃げ時って?」

「それは……全軍の話だ、全軍の。退却のためにも、強力な後詰めがいるんだ」


 本当のような嘘へ向かって、ゼクは問う。


「その後は?」

「は? 何が」

「護衛して、それだけ?」

「そりゃあ」

「敵は?」


 脇に置いた剣の、黒い鞘を撫でて。


「誰を斬る?」


 鯉口が緩んでいる。拵え直す予定は、ない。


「どこで、斬る?」


 鍔を指でいじり、カチカチと鳴らせて。


「人を斬るために、戦場にいる」


 酒も入っていない冷めた胸で、尋ねた。


「逃げた先では、何を、斬ればいい?」

「お前はっ!!」


 トリスタが立ち上がった。その勢いで、酒瓶が卓から転げ落ちた。


 ゼクは後に続く言葉を待った。静かに、じっと、待った。


「お前は……お前さんは、だ。そうさな。『飛剣士』様らしくやってくれりゃいい。言っとくが、場合によっちゃ、南行きは決死行だかんな? 伝令が分隊規模で行われ、なおかつ護衛もつける……遊びでそうしたわけじゃねえぞ」


 肩をすくめて、ゼクは果実へ手を伸ばした。


 もう、何を話す気もなかった。

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