巡回の飛剣
夜、ゼクは小路を行く。ミトゥを連れている。
占領下の赤貂市である。馴染みのないそこかしこは、どこもかしこも身を竦め息を潜めていて、漂う埃すらもどこか余所余所しい。
物音がした。屋根の上を猫が歩いている。ミトゥの持つ弓張提灯がそれを照らして、吐息と共に、また戻された。
そこを、蹴り飛ばした。
浮いた灯りに照らし出されたのは。
驚愕の顔で転げんとするミトゥと―――閃く槍の穂先である。
ゼクは抜き打ちでもってそれを切断した。反す刃で持ち手を狙う。斬るも、浅い。物陰へ踏み込む。軽装の男が槍を捨てた。腰の剣を抜く、その隙を逃さず、突く。剣を横にしての平突きだ。手応えあり。肋骨をかすめて肺腑を破った。
「が、あ、あああ!」
剣身を掴もうとしても、無駄である。突いた後は即座に引いている。獣のような叫びと共に振るわれた剣を、ゼクは余裕をもって避け、男の首を飛ばした。
「ゼ、ゼクさん!」
ミトゥの声と、金属と金属のぶつかる音を聞く。別な物陰から跳び出してきたらしい、長剣の男と戦っている。
ゼクは懐から棒手裏剣を取り、投じた。また別の物陰へだ。悲鳴と、弦の弾ける音がした。転げ落ちたのは矢だ。射手がそこに潜んでいた。夜のしじまに弓を引き絞り、悟られぬと思う方が間抜けだとゼクは思う。
跳んで間合いを潰した。眼の前には、短剣を抜こうとして焦る、小柄な兵の姿……胸の膨らみからして女だろうと思われる。
その細首を、断った。
結んでいたと思しき髪が、はらはらと散る。
「おのれらああっ!!」
男が吠えた。大上段からの振り下ろしがミトゥへ迫る。
「んわっ!」
ミトゥは、それを、叩いた。
硬鞭で右からひっぱたいたのだ。次の瞬間には顔を打っている。すぐにも頭を、更には別の頬をと、鉄製の棒がひっきりなしに振るわれる。打撃音がたて続く。
その荒ぶり様……暴力の衝動に呑まれたかに見えて。
ミトゥの左手は男の握り手を押さえている。ミトゥの右足は男の左足に絡みついている。これはこれで実戦の工夫なのだろう、とゼクは得心した。戦場斬り覚えならぬ、殴り覚えとでも言うべきか。
よろめき、尻餅をついた男へ。
「う、なっ!!」
ミトゥは、両手に持ち直した渾身の一撃でもって、止めを刺した。飛び散った色々が、パタパタと路を濡らした。
三つの呼吸が、絶たれた。一つの呼吸は、乱れている。
どこか近くで夜泣きが始まって、慌てたような物音の後、それはくぐもったものとなった。寝具を被って必死になっているであろう、どこかの親子をゼクは思った。
提灯を取り、転がる首を検めた。どちらも若い。ミトゥが討った男は壮年だったから、見ようによっては、親子に見えなくもない。
笛が、鳴った。
悲鳴のようにも聞こえる、それ。
鳴らし終えたミトゥが、よろよろと寄ってきた。
「ありがとうございました、ゼクさん。危うく串刺しでした」
いつもの調子で言うが、顔色が青白い。目も血走っている。
さもあろうと思われた。ミトゥは初陣でこそないものの未だ新兵である。先の攻城戦では、容易く大量に死ぬという、過酷さに揉まれたろう。その後の市街戦では、獰猛に徹底して殺すという、凄惨さに浴したろう。どちらも殺伐を極める。
「これで最後だといいんですけど……まだいるんでしょうね。何人も。生き残れっこないのに」
赤貂市の駐屯軍は壊滅したが、これら三人は敗残兵ではない。遊撃兵という認識が正しい。かなり特殊な類だが。
この者たちは、都市に潜んで抗戦しているのだ。
二、三人で組んでじっと機を待ち、兵を襲う。住民に紛れている者もいれば、廃屋や軒下に隠れている者もいる。戦意の高さは死兵そのものだ。その凶刃は中級将校にも届いている。
そんな凶手を誘い出し、討つ。
そんな任務を引き受け、ゼクはここにいる。ミトゥは志願しての相棒だ。
やがて、幾つもの提灯が近づいてきた。物々しく武装した歩兵半個小隊二十五卒だ。方々で同じ編成の部隊が巡回している。昼夜問わずにだ。それが赤貂市の今現在である。
「おお、『飛剣士』殿であったか。ご苦労でありました」
部隊長からの労いに対して、ゼクは会釈した。南門での戦い以降、専らその名で呼ばれている。
「今夜は大漁ですな。先刻も、大通り向こうの路地で三匹駆除の報がありました。あちらでも我が軍の被害はなし。常にこうありたいものですなあ」
嬉しそうに笑う、その口元を一瞥して、ゼクは息を吐いた。白むも、すぐに解けて消えてゆく。
「ここだけの話ですが、あちらの功労者も凄腕でしてな? 御年齢からいって門扉の上へと舞い上がることは叶いませんでしょうが、剣術においてはまさに万夫不当のものが」
荷車へ、死体がぞんざいに積まれていく。武器の方は丁寧な扱いだ。矢も残さず回収したようだ。
「おっと、無駄話が過ぎましたな。後は我々がお引き受けいたしますので、どうぞ、貴殿は休息に入ってくだされ」
言われるままに、ゼクは帰途についた。壊れ提灯が後に続く。
傭兵部隊に宛がわれた営所は、遠い。北門に近い鉱産物関係の役場だ。とりあえず屋根があり火を使えて、敵が来るとすればそこからだろうと思われる場所に配置される。騒げばすぐに憲兵が来る。傭兵とはそういうものである。
ところが、今夜は様子が違った。
篝火が幾つも焚かれていて、方々で男たちが賑やかに飲食している。肉も酒もふんだんにあるようだ。それが許される理由は、一目でわかった。大きな火の脇に一旗が翻っている。蘭家の旗だ。どうしてそこにあるかは、わからないが。
「よう、割と早かったじゃねえか」
トリスタが、出迎えた。赤色の戦装束であることを除けば、いつもの通りの態度である。
「お前さんが戻るまでは、意地でも騒いでるつもりだったんだが」
「え、トリスタさん!?」
「おう、ミトゥもお疲れさんだな。少しゃ見られる面構えになったじゃねえか」
「あ、あの! 躑躅家軍は、その、どんな感じに」
「まあ、待て。それも含めて話があるんだ。来てくれ」
ついて行った先は鉱石置き場の内の一つで、屋根がある分だけ、他所よりは暖かだった。卓の上には肉や野菜が取り置かれている。酒もある。
「食いながらにしようや。俺も腹減ってんだ」
「何か、凄いご馳走ですけど」
「遠慮はいらねえ。蘭家の奢りだ。司令部からの差し入れも、ちびっとは入ってるけどな」
「奢り。差し入れ」
「聞きたがりだな、ミトゥ。まあ、教えといてやる」
豚の骨付き肉を噛み千切り、酒で流し込んで、トリスタが言う。
「ここの攻略が長引くと、蘭家軍はやばかった。孤立してたからな。そのくせ華国軍は手こずった。考えなしだからな。その両軍を救ったのが『飛剣士』様だ。所属部隊に飲みもん食いもん寄越すなんざ、当ったり前なんだよ。むしろ全然足んねえぞ、こんなもんじゃ」
手近なところの肉や野菜を取り、ゼクは口へ入れた。酒は好みのものがない。
「しかも、だ。その辺りの常識ってやつを教えてやりに行ったら、事もあろうに、その『飛剣士』様を夜回りに出してやがる。舐めんな。攻城戦のみならず、掃討戦の尻拭いまでとか」
果物があった。ゼクは黄丹果を取って齧った。村で暮らしていた頃、木の高い所に実るこれを採ることも仕事とされていた。食べれば棒で打たれたが。
「司令部は、駄目だ。一から十まで期待できねえ。だから、俺なりに下した結論を言っとくぞ。耳かっぽじって、よおく聞け」
言われるままに、ゼクは耳に指を入れて抜き差しした。ミトゥもそうしたようだ。
「今が、逃げ時だ」
トリスタの碧色の瞳が、ゼクを見据えていた。