門壁の攻防
前進することを、ゼクは強いられていた。
降りしきる矢が板に突き刺さる、鋭いそれらの音を聞く。喊声は遠い。共に板を支える男たちの息遣いが、この板の陰の内に、生き物の気配を熱く濃く上塗りし続けている。
板が何かにぶつかった。見れば、死体が幾つも折り重なっていた。申し合わせて迂回する。踏み締める泥土は黒々としていて、足首にこびりつくかのようだ。
すれ違い様に、ゼクは死体の山の軍装を見た。華国本隊第三師団の兵卒だ。南門への第一波攻撃の際の戦死者だろうと察した。
それは思い出すも無残な力攻めだった。攻城兵器も組まずに門へと殺到した兵士たちは、射られるだけ射られた挙句、門内より吶喊してきた軽騎兵部隊に蹴散らされたのだから。
バツン、と矢の命中する音がした。死体になってなお射られる。それが兵士だ。もはや血も流れないそれを横目に、前へ。板を押してて、進む。進めと太鼓が鳴り響くからだ。勝ちつつあるぞと騒々しいからだ。
狼国への侵攻作戦は、今、大きな戦果を得ようとしている。得るために血を支払っている。
何しろ、主要な都市を一つ包囲しているのだ。敵の援軍を遮断して、である。
蘭家軍の大勝が影響している。
打ち破られ潰走した敵迎撃軍は、まさに這う這うの体でもって、後方の敵本軍六万の陣へと駆け込んだという。
決着の早さといい、潰走の勢いといい、敵本軍も堪ったものではなかったのだろう。蘭家軍の追撃の圧力も相まって、大いに混乱し、本陣を大きく後退させることとなった。
結果として、敵防衛線のこちら側に取り残された都市……それが赤貂市である。
華国本軍は都市攻略を決定した。
蘭家軍をそのまま敵本軍への備えとし、六師団各一万兵力が競うようにして都市への攻城戦を仕掛けたのである。総勢六万というその兵力をもってすれば、孤立した都市を陥落させるなど造作もないこと―――そう、司令部は考えたのだろうが。
堅い。この都市は。
市壁の高さにしろ、弓矢火油の用意にしろ、さすがは国境線近くに位置しているだけはあった。駐屯兵はおよそ五千ほどと目されているが、昼夜分かたずの攻勢に対してまるで怯むところがない。
太鼓と共に攻め寄せ、鐘と共に退く……それを繰り返して幾昼夜が経ったことか。華国軍の被害は相当なものとなっていよう。
ゼクたち傭兵部隊は、常に激戦区に当てられている。
既に、半数近くが負傷して後方へ送られた。死んだ者はその更に半数ほどか。
「ぎゃああああああっ!?」
絶叫が上がった。ほど近いところでだ。火達磨の誰かが傍にまで駆けてきて、倒れ、のた打ち回る。火勢から、粘油と火矢による被害とわかる。
バシャリ、と黒いものが板を濡らした。
板を捨てるのと、火炎が逆巻くのとが、ほぼ同時であった。
開けた視界に、ゼクは無数の生き死にを……生存と死滅の可能性を見て取った。
市壁までは十数歩の距離。石の壁の根元には空濠あり。周囲には第五師団を中心とした味方勢が、それなりの数。壁上には敵の射手多し。しかも増えつつある。
そして、南門の上の敵に、動きあり。
ゼクは駆けた。火を離れ、矢を避け、味方を無視して、先ほど迂回した死体の山へと跳び込んだ。
名も知らぬそれらへと分け入り、潜り、被る。そうしている間に、地を揺らす衝撃があった。次いで、喊声と馬蹄の音が続く。地響きが腹を揺らす。血肉に塗れながら、隙間を確保し、周囲を窺った。
やはりか、南門を塞ぐ吊り橋が降ろされている。軽騎兵による吶喊が行われたのだ。ただ籠城するだけでなくこういう反撃もしてのけるのが、この都市の堅さであり、狼国の猛勇なのだろう。
攻城せんとする歩兵は、騎兵に対してあまりに無防備だ。板を掲げ持った兵たちが次々に討たれ、方々で板が虚しく地に伏していく。
対抗するには隊伍を組むよりないが、そんなことをすれば矢のいい的だから、生き残らんとする者たちは散る。隠れる。逃げる。
しかし、軽騎兵の数は少なく、しかもこの場の殲滅にはこだわらないようだ。駆け去っていく。別の門から帰還するものか。
さてはと見れば、門が閉じていく。吊り橋が上がっていく。
そこへ果敢にも梯子をかけようとする者たちがいた。ゼクが名を知る男たちだ。
梯子の固定は、いい。板を掲げて持ち手を護れもしている。いざとばかりに梯子を登った男が、射られ、落ちた。そこは護れない。二番目の男も射られたが、落ちず、引っ掛かっている。ならば。
梯子へ、ゼクは全速をもって馳せ寄った。傾いたそれを、表側ではなく、裏側から手足で張り付くようにして登る。
「ゼクか。頼むぞ」
途上で、二番目の男に声を掛けられた。その直後に、同じ口から吐かれた血を浴びた。矢の突き立つ、幾つもの鋭い音と、絶息の掠れ音を聞く。
身をひねり、宙を舞って、ゼクは吊り橋の頂点へと立った。吊り上げられていく勢いのままに、跳ぶ。降り立った場所は門の上だ。
ああ、絶景かな。
今、ゼクの片方には数千兵力の護る街並みが広がり、もう片方には万の兵力が必死に攻め立てる様が眺められる。生と死を眼下に置いて、ゼクの頭上には冬空があるばかりだ。
これが「果て」か?
殺し合いの全てを見下ろすここが、あるいは「果て」の風景か?
ならば斬らねば。斬り飽きるほどに斬らねば、こんなところは寒いばかりで、どうしようもこうしようもない。
抜剣し、ゼクは壁上へと飛び降りた。
唖然とする敵兵を手当たり次第に斬り捨てて、吊り橋の先端から伸びた鉄鎖の元へ。そこにある車輪のような巻き上げ具の留め金を、蹴り外した。鉄鎖は二本あるから、もう一方へも行く。行く過程でまた何人も斬る。
当たる敵が弱い。いっそ呆気ないほどだ。やはり疲労困憊なのかもしれない。
かくて吊り橋は降りて、すぐにも味方が門へと取りついた。そうなれば、後はもう、時間の問題だ。もとより多勢である。攻城兵器のための木材も、用意されている。
「貴様! 敵ながら天晴なやつ! だが死ね!」
将校らしき敵が駆け寄ってきた。得物は長柄だ。威勢よく振りかぶるが、足捌きが浅い。見せかけだ。やはりか刃が返る。右半身に転じての踏み込み。狙いはこちらの脚か。脛への薙ぎ払いか。
跳び避ければ勢いづかせるだろう。間合いを制され、猛攻を浴びるだろう。
「うおっ!?」
だから、ゼクは剣の峰でそれを受け止めた。いや、止めるどころかむしろ弾いた。
剣で長柄の一撃に勝るためには秘訣がある。振った剣を当たる刹那に止め、身も固めて「ぶつからせる」ことだ。拍子の合った際の衝撃たるや、金剛不壊である。
「お、おおおお!?」
そしてそのまま間合いを詰める。長柄を剣で押し抑えて、技も動きも封じて、速やかに擦り寄る。例えるのなら、山からの吹きおろしを受けてもなお山へと向かう、粘り強き踏破者のようにして。
肉薄し、敵の胸甲を擦り昇るようにして、突き上げた。
切っ先は顎の付け根から入って、色々を貫き、兜を内側より押した。
「守捨流……山到」
呟き、剣を引き抜けば、あとは人間が崩れ落ちるのみだ。
首級を獲るや否や、迷う暇もあればこそ。
見回せば、敵、敵、敵である。門前の攻防に過半がかかりきるとはいえ、ゼクを見逃す道理などあろうはずもない。幾本もの剣が、幾竿もの槍が、幾箭もの矢が、ゼクへの殺意を尖らせている。
死地だ。紛うことなき死地である。
では、とゼクは思うのだ。では、ここかと。ここが『斬り果て』かと。
ゼクは剣を握りしめた。斬ればいい。あるいは斬られれば。それでわかる。わかるまで斬り生き、わからなければ斬り死ぬ。何とわかりやすいことか。
矢を払い、跳んで、槍の柄に乗った。更に跳ぶ。
しかし足元が悪かった。持ち手まで届かない。落ちる。ここぞと迫る白刃を、転げて避ける。槍と槍とが格子となって、立てない。空が見える。格子越しの、切り刻まれた空が。
衝撃が、背を叩いた。立っている者が膝を着くような衝撃だ。また、来た。
破城槌だ。
破城槌による門扉への打撃が始まったのだ。
ゼクは跳ぶ。動揺する敵を掻き分け、空へ。高みへ。今度こそは敵中へと着地し、嵐のごとくに斬り、再び飛ぶ。それを繰り返す。あるいは地を転げて、足という足を斬りもする。息せき切って斬る。
やがて、ゼクは足下からの大歓声を聞いた。
華国軍は、ついに、都市へとなだれ込んだのであった。




