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二人の女傑

 ミトゥは不義の子である。


 母は躑躅つつじ家の分家筋の生まれで、その聡明さから首都の太学へ進み、許嫁のいる身で教授職の男と密通した。血族結婚ではあり得ざる金髪の赤子を抱えて行方をくらまし、数年後、困窮の果てに死んだ。


 浮浪児となったミトゥは、必死に生きた。


 狼国に面する北部の町には、似たような境遇の者も多かった。日の当たらぬ場所で、ゴミ虫のように群れ、ドブネズミのように育った。生きる手段の多くは、犯罪だった。拾い、盗み、追い掛け回される日々だ。


 足の速さがミトゥを生かした。仲間の分まで盗み、走った。そうすることで幼い仲間を助けた。たまの炊き出しで得られる食料なぞ、貰いこそすれ、ミトゥは口をつけなかった。それを与えてやっと生き延びられる者がいたから。


 それでも、遂には捕まった。


 気を失うほどの鞭打ちの後、鉱山の強制労働へと送られた。もはや逃げることはおろか走ることもできないそこで、来る日も来る日もツルハシを振るい、両の手首を骨折して働けなくなった。それは死を意味した。殺されはしないものの、食と水が断たれるのだから。


 僅かなそれらを得るために、ミトゥのできることは限られていた。


 躑躅つつじ家の捜索人が鉱山へやって来た時、ミトゥは、ゴミ置き場の隅でうずくまる何かでしかなかった。朦朧としつつも誰かが来たことを察し、愛想笑いを浮かべ、物乞いをした。


 連れられていった先は、宗家の屋敷だった。身柄を引き受けた人物は、躑躅家当主の母親、即ちジュエイであった。長らくミトゥ親子を探していたという。


 ひれ臥すミトゥの手を取り、ジュエイは言ったものだ。


「貴方の両親は幾つもの罪を犯しました。その内の最たるものが、貴方を幸せにしなかったことです。顔をお上げなさい。貴方は躑躅家の人間です。この家で健康的に育つ権利と、一人前の大人になる義務とがありますよ」


 ミトゥは忘れない。手を包む手の温かさを。目と目の合う誇らしさを。心と心が通じる安らかさを。


 その日より、ミトゥは宗家の家人となった。文武を学び、雑事を引き受けて、ジュエイのために働いてきた。失敗も多かったが、誠心誠意務めてきたのだ。


 だから、ジュエイにどう説得されようとも、返事は一つきりとなる。


「お断りします。僕は、蘭家軍への仕官を望みません」

「ミトゥ、これは貴方にとって素晴らしいお話なのですよ?」

「奥方様が仰るんですから、そうなのでしょうね。勿論、躑躅家のために行けと命じられたなら、行きます。前線だって何のそのです。でも、僕のためにってことでしたら、行きたくないとしか」


 臥せるジュエイへそう答えてから、ミトゥはもう一人へと笑顔を向けた。


「僕のごときにお声掛けいただき、感謝申し上げます。将軍閣下」


 赤銅色の髪の女傑がそこにいる。甲冑を脱いだとて軍服姿もまた秀でて凛々しく、蘭家軍軍団長・パラアナ、その人である。腕組み、ミトゥを見据えている。


「されど、お聞きいただいた通りです。僕は、躑躅家の人間として生きていきたく思います」


 無礼では、あった。何しろ華国の英雄の誘いを断っているのだから。事実、パラアナは気難しげな表情を浮かべている。むう、という唸り声も聞こえたが。


「天晴れな武士もののふだな、貴公は」


 ニカリと笑んで、パラアナは膝を打った。


「火中での奮戦を聞くに、まず豪胆ではあろうと思っていたが……忠孝の精神をも備えているではないか。ますます我が軍に欲しくなったぞ。まあ、言ったそばから諦めたがな」


 嬉しそうに、そんなことを言う。


「ジュエイ殿の病については、知っていような? 長くを望めないことを。此度の荒療治も、それゆえのことであったのだと」

「はい。一生懸命、奉公するだけです」

「貴公の立場もわかっていような? 此度のことを経てなお、血族のしきたりが貴公の立身を難しくする。あるいは放逐される未来もあり得るのだと」

「もう大人です。その時は、躑躅家の人間であったことを誇りとして、生きていくだけですよ」

「そうか。うむ。そういう覚悟なのだな!」


 晴れやかな顔で、パラアナは笑った。


「ジュエイ殿、これはもう計画を変更するよりないぞ」

「……そのようですね。申し訳もありません」

「なに、もとより士官交換という形式にも問題はあった。こうも見事な覚悟を見せられては、我々もまた見事に差配しようぞ。多少の悪評には、ま、この際は目をつぶろうではないか」

「部将が揃って不忠者の上に、焼死までした当家にございます。今更に怯えるものなど」

「病根は断たれた。なれば轟かせるべきは『躑躅千本槍』の勇名ばかりさ」


 躑躅、千本槍。


 その誇らかな響きを、ミトゥは舌の上に確かめた。


 今より十三年前、華国皇帝は数十万という大軍を擁して親征した。宿敵・狼国を滅ぼさんとするその大侵攻は、敵の大奇襲を受けたことで状況急転、皇帝の首級をとられかねない事態に陥る。いわゆる『黄禍原の悪夢』である。


 近衛軍すら散り散りとなったその絶体絶命の窮地にあって、命を投げ出すようにして戦った軍が二つ存在したという。


 一つは、華国最強であるがゆえに最も戦う三万将兵、蘭家軍だ。


 そしてもう一つが、伝統の赤色兵装でもって果敢なる三千将兵、躑躅家軍であった。


 蘭家軍が殿しんがりとして決死の戦いを繰り返すも、敵の追撃は多勢にして猛烈であり、その全てを阻むことなどできるはずもなかった。突破あるいは迂回して、皇帝へと襲い来る敵……それを受け止め、打ち払い続けたのが躑躅家軍である。槍を並べて堅固なる壁となり続けた。


 生還者は語る。それは、激戦と評してもまだ足らぬほどの壮絶さであったと。


 戦死した人数よりも、むしろ、戦死した人物を思えばその壮絶さを理解できるかもしれない。両家とも、当主とその息子たちが討ち死にしたのだ。退路を捨てていた。血路を開く、そのために。


 かくて謳われた名こそ、躑躅千本槍である。


「血族に有能な部将がいないのなら、外部から招けばいい。軍事顧問を雇い入れよう」

「蘭家からではなく、でしょうか」

「そうだ。短期的には家の弱体化とも取られようが、なあに、先々を思えばむしろ家を興す選択だろう。家門の独立性は強化されるのだからな」

「何やら、我が家にとってばかり都合のいい話のようにも思われます。ご尽力をいただいておいて」

「合戦が近い。躑躅千本槍の戦力を欲するのは将の当然だが、我が軍との合流という形にこだわる必要はないさ。連携が取れればいい。そういう調練を施そう」

「お心遣い、ありがたく存じます」

「全ては国のためだ。礼には及ばん」

 

 この二人は、雰囲気が似ている。ミトゥはそう思った。


 たとえば立場に類似性がある。片やパラアナは蘭家当主の姉であり、軍団長という役職上、その影響力は家門の実質的な長といっても過言ではないと聞く。片やジュエイは、幼き躑躅家当主の祖母として、家中の一切を取り仕切っている。どちらも強い女性だ。


 では、弱さはどうか。それもまた似通っていやしないか。あの渡り廊下の決闘の夜、朱鞘の凶手は言っていた。強みと弱みとは表裏だと。ミトゥはそこに真実の響きを聞いた。

 

 ジュエイが強さの裏側にひた隠す弱さ……親しき者たちの死に心引き裂かれた、悲嘆。


 あるいはパラアナにもまた、そのような何かがあるのかもしれない。


「それにしても、軍事顧問ですか。軍学に長じていて、尚且つ前線で指揮の執れる方となると……いずこの家から引き抜くことになりましょうか」

「いや、在野で当てがある。まだ若いが歴戦の戦巧者だぞ。実はその者も我が軍に欲しい人材ではあるのだが、先日、断られてしまった。大隊を用意すると告げたのだが」

「それほどの人物が、まだ野に埋もれておりましたか。はたして、当家へ雇われてもらえますでしょうか」

「奴とて戦人だ。躑躅千本槍を任せようと言われて断るものか」


 悪戯に笑うパラアナを、ミトゥはジッと観察した。


 明るければこそ陰るものもあると知るから、神妙に探り見て―――はたと気づいた。


 髪の色といい、顔立ちといい……どこかで見覚えがある。誰かに似ている。


 それは誰か。思い当たりそうで思い当たらず、ミトゥは首を傾げた。

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