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軍閥の紋章

 晴天の下、幕舎の脇に立って。


「いやあ、そこからが大変でした! 火は熱いし煙は煙いし、お集まりの皆様揃って敵だしで、もうしっちゃかめっちゃかですもん」


 ミトゥが上機嫌で語る色々を、ゼクは聞き流していた。


 躑躅つつじ家の敷地内ではあるが、目に映る風景はまるきり野戦陣地のそれである。壮麗な屋敷は半ば焼け落ちていて炭が香り、持ち込まれた幕舎の数は五十を上回っていて整然と並ぶ。歩哨も巡回している。精兵だ。規律正しい。


「最初こそ、ああこれ皆様で計画した火着けなんだろうなって思いましたけど……抵抗してたら誰も彼も焦り出しちゃって。でも、とりあえず停戦しましょって訳にもいかなくて」


 荷車が通った。黒々としたものを山積みしている。焼死体だ。


 それらは、八割がたがゼクの斬った男たちである。風向きの偶然から、蔵に押し込めた面々も一人残らず黒焦げたようだ。それも数えれば割合は九割に達する。


 ポトリと落ちた欠片は、さて―――誰のどこか。


「理屈じゃなくなると、何かこう、意地が出てきますね。相手の顔色が気にならなくなるっていうか、気に入らなくなるっていうか……野蛮な感じになってきて」


 門外に集まる土地の者たちへは、騎士が出張って対応している。


 心配せずに日々の営みを為せ、などと指示している。駆けつけてくれた気持ちに感謝する、などと餅菓子を配っている。実に手慣れたものだ。


「やってやる、やっつけてやるって。やられる前にやっちゃうし、やられても負けずにやりかえすぞって。そんな風に思い切ったら、身体に火が付いたみたいになりました。実際に火傷もしましたけど」


 誰ぞが手引きした野盗については、百人規模の追討隊が出た。逃げた数を思えば過剰な戦力だが、士気は高く、そんな兵士たちの様子が民衆を安心させるところもあるようだ。


 土地の中枢を占拠し、軍政を敷き、民心をつかむ。


 躑躅家が他家の軍門に降った、というのがゼクの素直な印象だった。


「要は肝っ玉ですね、実戦って! 戦場での経験がなかったら、僕、死んでましたもん!」


 大きな声を出すから、ゼクはチラリとミトゥを見た。目が合った。


 昨夜の騒動で、ミトゥは大いに働いた。ジュエイを害さんとする者たちを単身相手取り、護りきったばかりか、動けないカオロを火災から助け出しもしたのだから。


「つまりですね、ゼクさんに助けてもらったからこその、昨夜だったんですよ。えへへ」


 しかもミトゥは無傷である。思えば、先の合戦においても怪我一つ負わなかったのだ、この男は。それが偶然ではないことを、ゼクはもう理解している。


「戦場、もう一度行ってみようかなあ」


 そう言うミトゥがもてあそんでいるのは、丸木の棒だ。ところどころ血と焦げで変色している。群がる敵を叩きのめし、障害物を叩き壊した名残りであろう。


「これだと、稽古の時みたく戦えたんですよね」


 何気ない素振りに、ゼクにも真似できない技術がある。全力に近い振りで、どうして途中で二度も三度も軌道を変化させられるのか。


「叩くのでも、これはこれで結構倒せましたし、前よりは働けるんじゃないかなあ……師範代からは、お前は実戦に向かないって言われますけど……相談してみようかなあ」


 刃物の扱いが下手なのだ。ミトゥは。


 まず、手の内が酷い。指の使い方が不器用で、柄を隙間なく握りしめてしまう。しかも大層な握力でだ。そして手首が硬い。しなやかに動かない。結果、刃筋が立たず、物を斬れない。


 しかし、得物を鈍器としたならば、まるで話が違ってくる。


 そう考えるから、ゼクは忠告した。


「……硬鞭」

「えっ?」


 硬鞭とは、つまるところが刃のない剣だ。その強く頑丈な手首でもって、思う様、振り回すだけでいい。どこがどう当たろうとも、ミトゥであれば砕骨の打撃になるだろう。戦槌や戦棍より、剣の術理を転用しやすくもある。


「向いてる」

「は、はい! ありがとうございます!」

 

 それきりミトゥが黙ったから、ゼクは空を見上げた。千切れ雲が、大きな雲の塊と着くでもなく離れるでもなく、静かに流れていく。どの雲とて、同じように押し流されていく。慈悲も容赦もなく。


 今日が終われば、この仕事も終わる。


 ゼクは待てばいい。


 護衛対象のエンジェは、背にする幕舎の奥の奥で、母親と共にまだ眠っている。昨晩の騒ぎの後だ。眠れるだけ眠るべきなのだろう。


 そんな彼女らを側近く護っているのは、複数人の女性武官だ。火災の晩に駆け付けた一団の人間であり、この陣地を構築運営する側の兵士であり、つまるところが今後の躑躅家を支配する勢力の人員だ。


 各所に掲げられた、風にはためく軍旗を見る。


 そこに描かれているのは、槍斧にもどこか似た、花の紋章である。


 蘭家。


 名にし負う華国随一の武門である。兵権をもって抱える三万余の軍勢は、強力無比にして勇猛果敢、常に合戦の勝敗を左右するという。畢竟、対狼国戦争の趨勢もまた蘭家次第とすら言われている。酒場の話題に上がらない日とてない。


 しかし、ゼクは彼らとの共闘の経験がなかった。トリスタが彼らを避けるからだ。戦功を独占されては商売にならないという。なるほど道理だ。傭兵には傭兵の働きどころというものがある。


 次の合戦でも、あの旗の近くで戦うことはあるまい。ゼクはそう思うのだが、どうしてかその縁なき旗から視線を外せない。


 遠い昔、どこかで、あの紋章を見た―――触れた気がする。刺繍の膨らみが指先に思い出される。


 音が、した。


 馬蹄の音だ。近づいて来る。


 周囲の反応から、これはと察せられるものがあった。


 ゼクはその場にひざまずいた。戦場のならいだ。敵陣においてよく見ぬ者は死に、味方のそれにおいては見過ぎる者が死ぬ。尊貴を前にしてこうべを垂れぬ傭兵を生かしておくほど、この国の支配層は大らかではない。


 やはりか、馬は幕舎の側で止まった。甲冑の音を鳴らせて降りた者が、この陣地の指揮官と思われた。


 地面を見ながらやり過ごせばいい。それが傭兵の処世だ。


「うむ、ご苦労」


 女の声だったから、ゼクは驚いた。女性武官程度ならば華国でもそう珍しくはないものの、それは宮中や軍営における貴婦人の警護を役割とする者たちであって、兵を指揮する立場の女騎士などまずいない。


 いや、ただの一人だけ、ゼクの耳にも名の届く人物がいる。


 軍靴が近づき、通り過ぎて、幕舎の内へ入っていく。


 視界の端に映った佩剣は、反身の実戦仕様だ。


「わあ、今のって、パラアナ様ですよ」


 跪いたままに、ミトゥがコソコソと話しかけてきた。


「凄い。蘭家軍の軍団長が来るなんて!」


 ゼクは納得した。蘭家軍の指揮官といえば音に聞こえた『雷公』で、常勝将軍であると持て囃されているが、女性の豪傑であるとも聞いていた。大軍の将なれば、早々、自ら剣をとって戦うこともあるまいが。


「これはもう確実です! 奥方様も、ウィド様もエンジェ様も、幸せになれます!」


 立ってミトゥは小躍りなどする。パラアナの従者であろう兵士たちが居並ぶ中、いつも通り物怖じするところがない。


「蘭家は、女性や子供に優しいって評判ですからね!」


 ですよね、などと兵士へ笑いかけるのだから、ミトゥの緊張感のなさも筋金入りだ。


「やっぱり御当主様が女性の方だからなのかなあ。戦災孤児への援助とか、浮浪児の救済とか、ちょっと他では聞かないくらい手厚くやってくれますもん。兵隊にするため囲い込んでるとかっていう悪い噂も、あんなの、他家の誹謗中傷ってやつですし」


 媚びへつらいにも聞こえるが、どうやら本人は至って真面目に語っているつもりらしい。困ったもんですとウムウム頷き、ニコリと笑った。


「かく言う僕が、一つの証明です。裏路地の育ちですからね。蘭家の炊き出しがなかったら、僕ら、そう何度も冬を越えられなかったんじゃないかなあ。奥方様が僕を見つけてくれた時には、もう骨だったかも」


 ゼクは改めてミトゥを見た。ジュエイの遠縁と聞いていたが。


 もとより、不思議な印象ではあった。


 戦場での必死、夜街での醜態、屋敷での陽気……そして、修羅場における日常的な振る舞い。軽薄な言動の裏側に潜む、得体の知れない強靭さ。それらの根にあるものを、ゼクは思った。


「子供を大事にできる人が、大人ですよね!」


 ついには兵士たちと頷き合うに至ったミトゥを、ゼクは見ていた。


 頬を撫でる風の冷たさに、次の合戦までの期間を計りながら。

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