狂刃の激突
篝火の燃え盛る、凍りついたその夜に。
「ごぎゃぶばばばば!!」
喚き声が上がる。死に際になって出てくる生き意地が、嫌だ嫌だと世を呪う。泡立つ諸々の飛沫が、色と熱と臭いとで、人の心をかき乱す。幾重にも悲鳴が弾ける。恐怖が激しく咳き込まれて。
来た。空気を裂く一撃。ユラだ。
諸手の刺突。速い。ゼクもまた左片手突きで応じたが。
「っ!?」
ゼクは目を見開いた。刃が触れ合うや襲い来る、衝撃。指の爪が剥がれたかと錯覚するほどの、痺れ。しかも絡みつかれる。巻き上げ技か。胸元に剣を引き寄せて。
二合目。体を捌いて横に薙ぐ。更なる刺突を繰り出してくる、その手首を狙うも。
「くっ!」
弾かれた。どういう剣だ。女の腕力で振るえるからには、そう重くはないはずだが。
三合目。またも刺突。中央に割って入られる。体幹を狙われている。無理矢理に裏から合わせる。組み打ちを狙う。いや、勢いを殺しきれない。胸に迫る、鋭利なるその切っ先。
ゼクは後ろへ跳んだ。渡り廊下から転げて、中庭へ落ちた。すぐにも起き上がる。
武官服の胸飾りがない。刃が触れたということだ。
「斬るところ、見てたけどさ」
廊下の縁に足をかけて、ユラが笑う。その手には細身で両刃の直剣……妖しき剣身は、火の揺らめきを映して、熱帯び脈打つかにも見える。
「強いね、君」
ゼクは息を細くした。形勢が悪い。
道が開けたと見たか、渡り廊下の様子を窺っている者がいる。複数人いる。
「速いし、上手いし、思い切ってるし」
二人、廊下を走り出した。
「でもさ、所詮、強みなんて弱みと表裏」
棒手裏剣を投擲した。一息に三本だ。
一本は、剣を佩いた男の横腹に刺さった。あそこは急所だ。即死はせずとも、もはや動けやしない。もう一本は、文官服の女―――カオロの腿に刺さった。
「きゃああああっ!?」
もんどり打って倒れた様を見る。傷は深いようだ。充分だ。護衛対象の所へ行かせなければ、それでいい。
最後の一本は、少しでも牽制になればとユラへ投じたそれは、意味もなく柱か欄干かに刺さって。
ユラは、もういた。目の前だ。
「守り方を知らないよ、君は」
突き刺してくる、その妖剣に諸手突きで応じる。これならばという一撃は、しかし、何の手応えもない。萎されたのだ。引き込まれたのだ。そしてひと突き、左肩を刺された。身を捻って貫通は避けたが。
「ぐ……!」
痛みが強烈だ。やはり尋常の刃ではない。毒か。いや違う。ならば何だ。
「どうせ、命を捨ててでもなんて、思ってる」
斬り払いが来た。上下に左右にと、変幻自在だ。虚実の駆け引きも凄まじい。退きつつ技に応じてはいるが、押されに押されている。体勢が崩されていく。技が出せなくなっていく。傷が増えていく。
「剣が、いじけてるのさ!」
剣と剣とがぶつかった。火花散り痺れ走り、ゼクは戦き総毛立った。
閃きの中に、見た。目撃した。槍を持つ武者の姿をだ。おぼろげな顔の、口元ばかりが目立っていた。奇妙に清らかで、矢鱈に白い、その美しく整った歯並び。ゼクには見覚えがあった。
悪鬼。あの、悪鬼。
これは、化物と化す前の、人の姿か。
「死ね」
刺突だ。反応のしようもない、急所を鋭く抉らんとする、冷徹を極めた剛撃だ。
しかし、ゼクは既に体を捌いていた。突いてくるとわかっていたからだ。
先んじて見たのだ。人馬を諸共に貫く、恐るべき槍技を。その幻を。
体験済みなのだ。剣により同等の威力を放つ、悪鬼の絶技を。
されば喰らうべし。化け物を斬るための技の一つを。
守捨流、試作、落空之秘剣。
右方、表から剣腹で張る。張ってそのまま貼り付けて、鎬でいなしつつも剛撃の勢いに逆らわず、上から左方へ、裏へと巻いていく。握りは肘の上がった右手に任せ、左手は柄を手放した。剛撃と脇腹との間で、剣の風に触れるなどして。
かくて切っ先を避け、ゼクの剣の柄頭はユラへ向く。あとは勢いのままに。
「がっ!?」
喉を打った。やや浅い。悪鬼を想定した反攻の技なればだ。相手の技の威力が足らない。当てが外れて、ゼクの体勢もまた前傾に崩れた。
それでも攻める。斬りかかる。
攻守交替だ。互いに不十分な技の応酬なれど、ゼクが押している。形勢は有利で、しかもその度合いが増していく。ユラの剣の妖気は厄介だ。されど斬れぬわけでなし。斬らぬはずもなし。浅くも斬った箇所は十を超え二十に迫り。
「ご、ごのっ!」
ユラが強引に突いてきた。これは悪手だ。
ゼクは手首も柔らかに受け流し、ユラの背後へと回り込んだ。もはやこれまで。即座に斬る。肩口から腰元まで深々と斬り裂く、そのはずであったが。
「ぎえっ」
またも、浅い。斬撃は尻を裂いただけだ。
ユラの妙手であった。己が突きを受け流されるや、そのまま前方へと跳び込んだらしい。クルクルと転げて、実に素早く間合いの外へ出た。
「なに、ざっぎの、のどうぢ……げほっ」
仕切り直しだ。
呼吸を整え、ゼクは剣を握り直した。肩から伝ってくるもので左手が熱く濡れる。痺れも残っている。
しかし、斬れる。もはやユラの手の内は、見切った。
「ぐ……ごわいね、ぎみ」
言うや、ユラはくるりと身を翻した。止める間もあればこそ、地を蹴り壁を蹴り、あっという間に姿を消した。いっそ見事なほどの逃げ足である。追って追いつける気もしない。
瞬きを二度三度として、ゼクは持ち場へ戻った。
「お見事でした! ゼクさん!」
ミトゥだ。いつの間にやら戻ってきていた。その手には、何のつもりだろうか、丸木の棒を握りしめている。
「さあ、皆さん! 奥方様のお言いつけを聞いたでしょ! 今夜、ここは通行禁止ですよ!」
ミトゥが声を張り上げた。棒を振り回す様はまるで牧童だ。
渡り廊下の向こう側では、未だ混乱が収まっていない。老人の死体を取り囲むようにして、来るでも去るでもなく、右往左往するばかりである。
「もう夜更けですよ! お休みくださいな! お腹が減っているなら食堂に用意もありますよ! さあさあ! 後はこちらでいいようにやっておきますから! ね!」
元気で、場違いに日常的な物言いだが、それが却って望まれていたのかもしれない。ミトゥが向こう側へ渡っててきぱきと指示し始めると、口では何事か文句を連ねるものの、男たちはぞろぞろと広間なり個室なりへ戻っていった。とにかくも逃げる理由を得たとばかりに。
そして、一つの死体と二人の負傷者が残された。
「さ、カオロ、抜きますよ。歯を食いしばって……えい!」
「あううっ!」
「大丈夫、この出血は大丈夫な方のやつです。駄目な方のだと、もっとこう、どばあってなりますから」
そんなやり取りを背に聞く。
ゼクの目の前には血の池があって、息も絶え絶えな男がうずくまっている。この様子では朝までもたない。息絶えるまで苦しみ続けるよりない。
「……死にたくない、死にたくない……ううう……許して、助けてえ……」
傍らに立ち、首に狙いを定める。
「あああ……寒い、寒いい……さ、さ、さ、さみし」
ゴトリと、首を落とした。
「ひいいっ!?」
何事かと顔を向ければ、カオロがゼクを見ていた。夜闇にも白く浮かび上がるほどの顔色で、血と汗と涙と涎で汚れ、怯え震えて歯の根も合わない。
「……この人、知ってます。よくウィド様に恋文を寄越してきた人です」
ミトゥが、男の首を両手で持ち上げ、言った。
「戦功があればもしかするって、いつも言ってたから、誘ったんですよね。一緒に傭兵やりましょうって。戦争に行きましょうって。あ、この間の時の話ですけど」
指で、髪の乱れを正して。袖で、頬の汚れを拭いて。瞼を閉じさせて。
「でも、断られちゃいました。無理だって。そういうことじゃないんだって。あと、怒られちゃいました。木剣での稽古と、本物の戦争を、一緒にするんじゃないって」
身体のそばへ、首は置かれた。
「でも……それなら、なんで、剣を持ったのかなあ?」
男の佩剣を指でつつくミトゥへ、ゼクは答えず、ただ隣りへ立ち続けていた。




