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殺生の廊下

 渡り廊下のこちら側で、ゼクは独り、夜を呼吸していた。


「エンジェを当主と定めます。後見は然るべき高名な武門へとお願い申し上げました。此度の催しが終わり次第、当家はその庇護下に入ることになります」


 そんなジュエイの宣言もってして、広間は混乱の坩堝と化したという。


「は、話が違うではないか! 私を後見人にすると言うから、来てやったのだぞ!」

「何!? どうして貴様のごときが後見など! 私だ! 私こそが後見人である!」

「どういうことです! 本家の断絶を宣言するという話だったでしょう!」

「馬鹿なことを! 今日日、分家筋の正当性など中央が認めるものか!」

「ま、待ってくれ! ウィドとめあわせてくれるって、あの時……!」


 渡り廊下の向こう側はまさに喧々囂々、まるで合戦だ。祭事の進行が滞るどころか、食事もしないままに日が暮れた。中庭には篝火が焚かれている。いつ終わるとも知れない、そんな騒動の内側から。


 また、誰か来た。


 コソコソと足音を忍ばせて、身なりのいい青年が廊下を歩いてくる。夜空の雲行きにも中庭の陰影にも目もくれず、ゼクの佇む側へとやって来る。


 ゼクは、青年の正面に立ち塞がった。


「な、何だ君は。私はウィドに用があるんだ。どいてくれ」


 どかず、腰の剣に手を添えた。少し抜き、刃の鋭さを示す。


「ひっ!?」


 来た道を戻っていったから、ゼクは剣を納めた。今の男はこれで済んだ。先の男はミトゥが運び去っていって、まだ戻らない。


「話にならん! 女の差配など受けるか! 忌々しい!」


 次いで現れたのは、初老の男だ。壮年の男と若者を伴っている。三人とも武官の装いで、長剣を帯びている。顔つきからして三世代の繋がりか。憤懣やるかたなし、といった様子だ。


 先頭は、初老の男である。ゼクをまともに見もせずに、迫り来る。


「邪魔だ! 下郎!」


 伸びて来た腕を、ゼクは払いのけた。いや、左で払うと同時に右の掌底を突き上げていた。


 顎割れ、歯砕け、鼻血散らせて、初老の男は倒れた。受け身もとらなかったが、死んではいない。しかし、血が喉に詰まれば死ぬこともあるだろうと思われた。


「貴様!」


 壮年の男が抜剣せんとする、その右手もまた左手で払った。


 払いざまに柄を掴む。体が開いて隙だらけとなった男の、その驚愕に満ちた顔面を、右で殴る。怯みを見逃さず左手を引く。引き倒して、最後に鳩尾を踏み潰した。血反吐が飛び散った。致命傷かもしれない。


「守捨流、牙砕きばくだき……」


 若者は逃げた。いや、あれはすぐに戻ってくる。そういう目をしていた。


 老と壮との二体を後ろ手に縛ったところへ、ミトゥが戻った。


「わあ、躑躅つつじ家の部将が親子して」


 まるで、食事に嫌いなおかずが出たような顔である。


「評判悪いんですよね、この人たち。何でか兵権を握っちゃってて偉そうだし。奥方様の言うこと全然聞かないし。すぐ怒鳴るし」


 ブツブツと言いながら、二体を引きずっていくが。


「やあ、孫の人も来ましたね。あらら、手勢まで引き連れてきちゃった」

「あいつだ! あの狼藉者を討って父上たちを助けるんだ!」


 敵は十一人だ。得物は長剣で、既に抜き放っており、鎧は着ていない。


 来る。渡り廊下の幅は、並べても三人だ。だからゼクは前へ出る。真ん中の一人の腹へ頭突きをするようにして、顔も見せず音も立てず剣も抜かずに。


「お、うおっ?」


 予測のできない相手を前にすると、人はまず構える。不安から防御に回る。攻めることは常に賭けなのだ。反面、自分に危険が及ばない時には攻めやすい。どちらも弱気からの行動だ。


 だから、真ん中の一人は剣で受ける姿勢となる。両脇の二人は剣を振りかぶる。


 最後の二歩だけは、最速の足運びで踏み込んで。


 ゼクは抜き打った。右の一人をだ。腹から肩へと斬り上げた。返す刃で真ん中の一人を斬り下ろす。肩から胸まで斬り裂いた、そのままに半歩出て、突く。左の一人の下腹部を貫く。中で背骨を削いだ感触あり。


 鮮血が散って夜気とまぐわうも、未だ床を彩るには至らない、その刹那に。


 ゼクは跳ぶ。残る八人の中心へ。


 姿を消すためだ。武器を手に興奮する者は近視眼である。徒党を組めば尚更で、敵を求めつつも味方におもねる。そんな互いが邪魔となって、己らの足元で身を低くする者を見失うのだ。


「守捨流、血嵐ちあらし


 告げて振るうその技は、剣刃の乱舞だ。低きから斬り払うこと四方八方、絶え間なく斬り、途絶えなく斬る。そして血を浴びる。肉片を散らかす。凄惨な嵐の中心に片膝をついて。


 最後の一人は、刃を向けるまでもなく倒れた。失神したのだ。糞尿の漏れ出る音が間抜けに響く。


「凄い……やっぱりゼクさんは、ゼクさんの剣は……特別だ……!」


 震えるミトゥを促し、死体をどかせる。中庭へ落とすのだ。一夜くらいはそれでいい。これら十体を加えれば計十七体が転がっている計算だ。朝には何体になっていることか。


「あ、孫の人、生き残ったんだ。臭いけど。弱さで生き残るってこともあるんですねえ。臭いけど」


 言うほど嫌そうにでもなく、ミトゥが縛った三人を引きずっていく。ここと蔵との往復が、今夜ミトゥの主な役割である。何をどう開き直ったものか、寸鉄も帯びていないのだから不思議な男だ。


 ゼクは死体から服を千切り取り、剣の血のりをぬぐった。次に懐紙でもく。拭きつつあらためるが、刃に異常はない。大枚をはたいただけあって、強靭な剣である。


 使った懐紙を折り畳み、死体の一つの袖口へしまい入れた。わざわざ散らかす必要もないからだ。最後に、鹿革の手巾で白刃を挟み、なぞる。反身に沿ってゆっくりと、温めるようにして丁寧に、進んでは戻ることを繰り返す。輝きを甦らせる。


 そして、静かに向こう側へと顔を向けた。


 息を呑む集団の先頭には、女が立っている。


「あ、あんた……なんて、なんてことを……なんてことを!」


 カオロだ。声を戦慄わななかせている。親族たちを背で押し留めているのか、それとも果敢さから前へ出てきたのか、渡り廊下越しに向かい合う形である。


「こんな、こんなことをしたら! 家督の譲渡どころじゃないわよ! 御家の危機よ!!」


 夜に爪を立てるような声だ。こちらへ渡ってくる様子はない。


「あんた、わかってんの!? このままじゃ、躑躅つつじ家は他門に吸収されちゃうのよ!? 誉れ高い槍歩兵団も、大繁盛の農園事業も、全部取られちゃう! しかも、それだけじゃない!」


 ゼクは切っ先を床へ向けたままである。鞘には収めない。


「姉さんが! 姉さんが、囚われたままになるじゃない!! 姉さんを護るはずの男たちは皆死んじゃって! 厄介なものばかり遺されて! この上、更に、他門のいいように扱われろって言うの!?」


 ゼクは音を聞いている。高くは鳴らずとも、堪えきれないとばかりに連続しているその音を。


 中庭の隅の、篝火の照らしそびれた物陰に、しばらく前から潜む者の気配がある。


「そこまでだ、カオロ」


 喚き立てるカオロの後ろから、大柄の老人が進み出てきた。カオロを制し、肩を撫でさすったその指は、爪の先が妙にまろやかである。


「父亡き母子の行く末を案ずれば、過酷を引き受けて安逸をもたらさんと思うのが人情である。それをわからないかたくなさも、憐れといえば憐れ。そんな意固地に雇われた若者もまた、憐れ、憐れ」


 ああ、ここにもこういう年寄りがいる。ゼクはそう思った。


 似たような老人を知っていた。生まれ育った里の長だ。身の置き所がないゼクを憐れみ、山中の炭焼き小屋をあてがってきた。食料を得る手段がないゼクを憐れみ、忌まれ仕事をあれもこれも押し付けてきた。頑張るんだよと微笑みながら。


「憐れだが、家中の者を殺めたとあっては、もはや是非もない」


 やはりか、この老人も微笑んでいる。


「残念だが、死んでもらうよりない」

「え、でも……あいつは……」

「カオロ、わかりなさい。これは仕方のないことなんだよ」


 老人はカオロを抱き寄せ、さも残念であるといった風に、言った。


「仕事だ、ユラ」


 言われて篝火の下へと出てきたのは、あの灰色の髪の女だ。


 ユラ、とゼクは呟いた。発音を覚えておこうと思ったからだ。呼び掛けたわけではなかったが、聞こえたものか、笑顔の会釈を受けた。


 朱色の鞘を見せつけるようにして、ユラがスラリと剣を抜く。


 既に抜いているゼクは、応じるようにして、右手で空を薙いだ。


 絶叫が、轟いた。


 棒手裏剣が、狙いあやまたず、老人の顔面に突き刺さったからである。

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