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第8話

 翌朝。

 普段目を覚ます時間よりもさらに一時間早く起床し、現時刻五時二十五分ほど。

 妹の部屋を覗き、ぐっすり眠っているのを確認してから、私は一度二階のベランダに出て本日の天気を確かめる。


「アイツが来るなら、間違いなく今日ね」


 ベランダから見える街並みには、まるで山頂から望む雲海の如き濃い霧がもうもうと立ち込めている。

 今日は彼女にとって、絶好の日和と言えよう。

 手すりに体を預け、私は何処をと焦点を当てるでもなく、ただただ前を見つめる。


「……魔女、か」


 その言葉には少々の感慨があるけど、耳にするのも口にするのもずいぶんと久々な気がした。以前、歩ちゃんには魔法使いみたいだと言われたこともあるが、それとはまた少し違う。

 何というか……懐かしくもあり、少し寂しくもある。

 そんな感じかもしれない。

 思い描くのは、最愛の母の後ろ姿。

 手入れを怠る癖に、いつも綺麗で艶のある、地面すれっすれまで伸ばした長い髪。

 白衣を着こなし、指で挟んだフラスコや試験管を見れば誰もが科学者と連想するだろうに、中身はてんで科学とは果てしないほどに縁の遠い、未知と魔法の薬。

 八重歯を覗かせて笑う顔は、元気な妹とよく似ている。

 魔法を使う時の楽しそうな顔は、きっと私とよく似ている。


「……」


 ……止める。

 今それを考えても詮無い話。

 私はぺちぺちと軽く頬を叩いて目を覚ましてから、キッチンへと降りて食事の支度をする。

 食パンをやや厚めにスライスして、卵と特製のシロップとを混ぜ合わせた液に浸して、フライパンに落とす。軽く焦げ目がついたのを確認してひっくり返して、これを数回繰り返せば完成。

 真っ白いディッシュに出来上がったフレンチトーストを乗せて、その上にミントの葉と、それからホイップクリーム、マーマレードを隣に添える。これで完成。紅茶は……普通のアールグレイでいいか。どうせ茶葉の違いが分かるような上品なコじゃないし。

 時計を確認し、カウンターの上に出来上がった料理を乗せてしばらく。

 何処からか、カコン、ポコン、カラカラカラ、と、珍妙な音がごちゃまぜに聞こえてくる。音は、どんどん近付いてくるにつれてその種類が増えていく。コロコロ、カタッ、カタッ、パシン、ペシン。奇妙な音は、お店の玄関の前でピタリと止む。


「んちわーっす!」

「……来たわね」


 来客を告げてくれるはずのドアベルは、奇妙な和音のオーケストラにかき消されてしまった。そして彼女の姿を見るなり、変わってないな、と、相変わらずね、と安堵と少々の困惑が混じった吐息が漏れた。

 ほとんど櫛を入れていないようなぼさぼさの髪を乱暴に一つに結った頭に、若干気だるそうな赤茶色の瞳。膝辺りに穴の空いたジーンズと、大き過ぎる胸が災いしてくたびれたシャツ。そして背中には、奇妙な音の原因である大きな大きなリュックサック。中身がギッシリ詰まって肥大化していることもだけど、リュックサックのいたるところに奇妙なアイテムが糸か何かで括りつけられている。その所為で、歩くたびにそれが揺れ動いて奇妙なオーケストラが自動で開催されるというワケ。


「やー、お久しぶりっす先輩。ちっと老けましたかね?」

「そりゃあ誰だって歳を喰えば多かれ少なかれ老けもするでしょ」

「ご尤もで。あー、お腹空いたなー」

「フレンチトーストでいいなら、用意したわよ」

「お、マジっすか。えへへ、んじゃゴチになりますよん」


 背負っていた巨大な荷物を玄関にどっかと置き、彼女は鼻歌交じりに私の正面の席に腰を落とす。用意しておいたディッシュを差し出すと、一目散にフォークを掴んでフレンチトーストに突き刺し、そのまま勢いよくかぶりつく。


「ふふぉ、相変わらず、先輩の料理は、美味い、っふね」

「喋るか食べるかどっちかにしなさいよ……未雨は何にも変わらないわね」

「失礼な……んぐ。背も胸も大きくなってますよ。まだまだ成長期真っ盛りっす」

「あっそ」


 ごくごくと喉を鳴らしながらアールグレイを飲みほし、これ見よがしとカウンターにご自慢の胸を乗っけながら、私の後輩――未雨はいつ間にか二枚目のフレンチトーストを攻略している。

 彼女――未雨(ミウ)は、私の高校時代の後輩。

 初めて会ったのは三年生の時、授業か何かで一年生とオリエンテーリングをした時。

 たまたま同じ班になって、何故か私にばかりちょっかいをかけてきて、それが今の今まで腐れ縁となって続いている。

 気さくで気分屋だけど、人懐っこい性格で自分からぐいぐいと話しかけてくる性質は、正しく今の彼女の生業にフィットしている。未雨の両親は“魔女”が生成した不思議なアイテムを扱う行商人をしていて、彼女もそれに倣うような形で行商人をしている。

 そして、彼女自身も歴とした“魔女”だ。


「ほれで? 例のカレは何処です?」

「ちょっと待って。……君、出てきてちょうだいな」

「あいよっと」


 私が声を掛けると、すぐにカウンターの上に小さな気配がひとつ現れる。

 未雨はフォークを咥えたまま視線を右手に動かした。

 彼の、気配が現れた方向に。


「おや、こりゃ本当に『ミミック』っすね。日本で見たのは初めてっす。先輩ってば、どうやって見つけたんですか?」

「まぁ、紆余曲折あってね。最初は手こずってたのよ? 何をしても、どうやっても開かないんだから」

「ッハハ。ミミックの弱点を知らない人には決して開けられない、しかも一度契約しちゃえばキズは勝手に直るわ核兵器だって耐えうるとんでもない頑強性だわ。大昔の魔女は家出に旅行にと大活躍だったらしいですけど、昨今ミミックに守ってほしいような魔法の薬を作ったりする魔女ってのも少なくなりましたからねぇ。っていうか、外に出る魔女が減ったというか何というか」


 よいしょ、と小さな声と共に未雨は玄関に置いていたリュックサックをゴソゴソと漁りだすと、小さな長方形の箱を取り出してこちらに持ってきた。高さ十センチ、幅二十センチほどのとてもシンプルな木製の箱で、もう少し飾り気を足してやれば宝石箱として見栄えしそうなものなのに、小さな留め具がある以外何の特徴も見られない。


「移動用の箱で地味な箱っすけど、どうです?」

「あん? アンタは……普通に話せるってコトは魔女なんだな」

「そっすよ。アタシは未雨。専門は魔法のオモチャなんすけど、色々手広い行商人をやってるんす。実はミミックを探してるってお客さんがいましてね。よかったら、ちょいとご足労いただいても?」

「なるほど……ここにいるよか、行商人さんとやらにくっ付いていった方がいいな」

「えぇえぇ。ちゃんと契約してくれる魔女までアタシが案内いたしますよ」

「オーケー。よろしく頼むわ」


 未雨は、私や妹と違って姿も見えるし声も聞こえる。

 何て言ったって、彼女は正真正銘の才能を持った魔女だから。


「短い時間とはいえ世話になったな。あの小さいお嬢ちゃんにもよろしく言っといてくれな。オイラは少し中で寝るとするよ」

「えぇ、ごゆっくり」


 ブーツがカウンターを叩く音が、未雨が用意した箱の方へと伸びて、止まる。

 どうやら彼は箱の中に移ったらしく、未雨はゆっくりと蓋を閉じて留め具を掛けた。

 彼の気配がなくなって、私は見えない肩の荷が下りたような気分になっていた。


「助かったわ。今回ばかりは、私の力だけじゃどうにも出来なくてね」

「いやいや、こっちも大助かりっすよ。このご時世に運良く“ミミック”を手に入れられるなんてね。外に出る魔女は確かに減ったけど、それでもこうした精霊を求める魔女ってのがいるのもまた事実っすから」


 需要と供給ってヤツっす。

 何故か未雨は得意げで、私は少し肩をすくめた。


「私には縁の遠い話ね」

「先輩は出不精っすからねぇ。美人なのに勿体ない」

「インドアで結構。私が人混みが苦手なの知ってるでしょ」

「そのくせ、結構な寂しがり屋なのも知ってますよ。っくく」

「……いい性格ね」


 自分でも驚くほど砕けに砕けた口調は、数少ない友人の前だから。

 フレンチトーストのお代りをせがまれつつ、私と未雨とで他愛もない世間話に興じる。

 お互いの近況、学校での思い出話、同じクラスの誰それが事業を立ち上げて云々、そんな何処にでもあるような話。

 ふと、未雨の視線が明後日の方向へと彷徨った。


「妹ちゃんは、起きてないっすか?」

「今日が何曜日かご存知?」

「日曜日」

「見たいアニメの時間にならない限りは起きないわよ」

「そっすか。ちょっと顔見たいなー、なんて思っちゃったり」

「アンタの都合で無理に起こすのもかわいそうでしょ?」

「……おやおや?」

「ん……?」


 にやつく未雨の視線を辿ると、いつの間にか階段のところにパジャマ姿の妹。

 寝起きの瞼をごしごし擦りながら、まだ半分夢心地らしく壁に身体をぶつけながら歩いていた。


「おねえ……ちゃ……あ…………?」

「あら、起きたの。おはよう」

「へぇ、ありゃま! ずいぶん可愛くなっちゃってまぁ……!」

「え……だ、だれ」


 妹の寝ぼけた眼に、未雨は不審人物のように映ったらしく、あっという間に意識が覚めて怪訝そうな顔を浮かべる。

 まぁ、そもそも未雨とは一度か二度しか顔を合わせていないだろうし、その時は妹ももっと小さかったから、覚えていないのも無理はない。


「はっはは。覚えてないっすか?。五年くらい前、何度か先輩の家に遊びに行ったコトあるんすけどね」

「う、うぅん……?」

「んじゃ改めて。アタシは未雨。先輩の後輩兼親友っす。以後、よろしく」

「よ、よろしく……」


 まだ何となく不信感が拭えないらしく、妹はわざわざ私の後ろに隠れてからかなり控えめな返事をした。未雨も思わず苦笑いしながら、残りのフレンチトーストを手で掴んで一気に頬張った。


「久々に先輩に会えたし美味しい手料理も食べれたし、そろそろアタシはお暇するっすかね。今日は他に仕事の約束もありますし、霧が無くなっちゃう前に出ないと」

「霧……?」

「そそ。アタシは『霧渡り』っていう、霧の上を歩く“魔法”が使えるんすよ。んー……そうっすね、歩くエスカレーターって分かるっすかね? イメージ的にはそんな感じで、風に流れる霧の上をアタシは歩けるんっすよ。行商人は足が命、ってワケで、アタシは基本的に霧の上を歩いて旅をしてるんすよ」

「何言ってんの。実際は電車とか交通機関が恐いだけでしょ」

「し、失礼っすねー。ちゃんとパスポートも持ってますし、今なら電車とかバスとか乗ろうと思えば乗れます」

「本当に? バスの整理券取らずに乗ったり、自動機札の前で切符入れるの恐いって泣きべそかいてたりしてたじゃない」

「過去は振り返らない主義っす」

「調子いいんだから」


 そうやって、また他愛のない話題で私と未雨とで笑い合う。

 おいてけぼりの妹は不思議そうな顔をして、やがて未雨は席を立つと、玄関に置いていた自分の荷物を背負った。

 屈託のないスッキリした笑顔を浮かべ、そして小さく手を振る。


「えへへ、今日は先輩と妹ちゃんに会えて楽しかったっすよ。名残惜しいけど、行きます。あ、今回のお礼は後日に」

「いいわよ、別にお礼なんて」

「ダーメ。女ってのは義理堅くなきゃ廃るってモンっす。そいじゃ!」


 身体を横に、リュックサックが玄関で詰まらないようにと器用に抜ける未雨。

 見送ろうかと思った瞬間、


「……あわぁ!!」

「わ、ビックリした。どうしたのいきなり?」


 突然妹が大声を上げたので、思わず私は足を止めてしまった。

 何故か妹は慌てた様子で家を飛び出し、そして何やら残念そうな調子で「あぁ~あ」と付け足した。


「あの、未雨……お姉ちゃんの魔法……って、本当? 霧の上を、歩くって」

「あぁそれ? なら……そうね、ちょっと見に行きましょうか」


 妹の手を取り、二階へと続く階段を上ってベランダへと出る。

 私が朝確認した時に見えたあの霧の海は、地平線から顔を覗かせる朝日に照らされて淡い金色に輝いている。そろそろ消えてしまいそうな薄い霧の上、ちょこん、と人影がひとつ辛うじて見える。

 大きなリュックサックを背負って、きっと鼻歌交じり上機嫌に、でも霧が晴れそうだから、ほんの少し焦りながら、霧の上を歩く未雨の姿。


「わ、あぁ……!」

「……いざ目の当たりにすると、『霧渡り』の魔法って羨ましいわ」

「私も、霧の上……歩きたい……なぁ……」

「残念だけど、あれは……私たちじゃ出来ないの。あれはちゃんとした……?」


 ぽふ、と私に寄りかかってくる柔らかな重み。

 視線を落として見ると、眠気をこらえ切れなかったらしい妹が私の身体を借りて眠っていた。


「……あらま」


 起こさないようにゆっくりと抱えて、そのままベッドの上まで運ぶ。

 シーツの上で綺麗な寝息を立てながら、何処となく幸せそうな寝顔を浮かべている。

 精霊やおまじない、もしかしたら、未だ見ぬ“魔法”も。

 不思議なことに興味が尽きない好奇心旺盛な子だから、今頃は夢の中で霧の上を歩いているのかもしれない。


「いつか、そんな日が来たら……いいわね」


 少し乱れた前髪を直してあげて、私は静かに妹の部屋を後にした。



 ~お終い~

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