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 今日一日の授業を終え、帰宅の準備をして廊下に出ると“嫌な気配(プレッシャー)”を感じだ。

 

 全身を刺すような危険な空気――――僕は首に巻いた<聖骸布のレプリカ>で顔の半分を覆い、まるで充満する臭気に反応したかのように痛みだす眼帯の下の右目に触れた。

 

 教室を出て広がる長い廊下の空気が、濁っているように見えた。まるで黒の絵の具を落したかのように、全ての色が黒ずんでいるみたいだった。

 

 僕は警戒を厳にして足を進める。


 そして、一階に降りるための階段に足をかけたところで、背中に気配を感じた。


「へぇ、ちゃんと警戒できてるじゃない? 意外にやるみたいね」


 声が聞こえて振り返ると、二階と三階を繋ぐ階段の踊り場に――――その声の主は立っていた。


「――――かぐや…………迦具夜今日子?」


 迦具夜今日子は腕を組んで胸を張り、剣呑で妖しげな微笑を浮かべていた。黒い檻のような制服の上に、黒い外套を纏い、膝上の短めのスカート、黒いタイツという姿だった。


「安心して、月臣君――――かなり強めの“結界”を張ってあるから、ここで起きたことが外部に漏れる心配はないわ。まぁ、持って三十分ってところだけど、この魔術学園には“生徒の魔術の発展に干渉しない“っていう不文律が存在しているから、よほどのことがない限り介入されることはないと思うわ」


 肩にかかった髪の毛を撫で、よく通る凛とした声で言う少女――――


 僕には、何が「安心して」なのかまるで分からなかった。

 

 彼女の言う“結界”とは――――“魔術”によって区切られた空間のことを指す。

 

 つまり、ここは迦具夜今日子の魔術の中ということだ――――


 急に胃が痛くなってきた。


「…………えーと、もしかして、僕と二人きりで喋りたいから、こんな手間な結界をかけて待ち伏せしてたのかな? 言ってくれれば学食ぐらいいつでも付き合ったのに――――ひっ」

 

 そう言った、その瞬間――――


 僕の頬がぱっくりと切れ、赤い血が滴った。背筋が凍った。股間ものが縮み上がった。


「ねぇ、月臣君? 私ね、この世の中で二つだけ許せないものがあるの。一つ、つまらない男の、つまらない冗談」

 

 声音と視線を鋭くし、彼女が惜しげもなく放つ魔力に当てられ、僕はすでに気分が悪くなっていた。


 魔力に耐性のない人間が魔術師の放つ魔力に当てられると、それだけで気絶することがあるという。


「――――二つ目は…………何だよ?」


「あなたの存在よ、月臣君――――」


「…………僕の存在?」


 僕は尋ねると、迦具夜今日子が不機嫌そうに目を細めた。


「魔術世界を震撼させ、恐怖で包み込んだ最悪の夜|――――<悪夢の前夜祭ナイトメア・ビフォア・クリスマス>」


 ――――<悪夢の前夜祭ナイトメア・ビフォア・クリスマス>。


 それは、僕が生まれた日であり、僕の両親が死んだ日でもある。


「<魔術都市>を一つと、そこに住む大勢の無関係な魔術師の命――――そして、儀式に参加した“七つの家の魔術師”を犠牲にして行われた“悪魔召喚の魔術儀式”」

 

 その儀式によって、僕は“異端者”の烙印を押されてこの世に生を受けることとなった。


「だけど、結局、その魔術世界最悪の夜――――<悪夢の前夜祭>は、悪魔の召喚に失敗し…………ただ一人の生存者を残して幕を下ろした」


「……………………」


「その儀式で、悪魔召喚の供物として捧げられた“赤子”…………そして、その儀式唯一の生き残りである――――“月臣夜半”」


 魔術世界最悪の夜と言われている、その日――――僕の“誕生日バース・デイ”である<悪夢の前夜祭>は、僕の右目に“悪魔”が宿り、僕が“異端”の烙印を押された夜だった。


 僕を鋭く睨み続ける迦具夜今日子の翡翠の双眸には、ありとあらゆる負の感情が混在して、複雑な斑模様を描いているように見えた。


 そして、放出される魔力は留まるところを知らず、彼女の周りの空気を歪ませ、光を屈折させているかのようだった。ここまで桁違いの魔力を放出してもなお、疲れや衰えを微塵にも感じさせない彼女の堂々たる姿に、魔術師としての底なしの素質ポテンシャルを感じた。


「確かに、僕はその夜の唯一の生き残りだけど――――」


「…………ここまで言っても分からないなんて…………あんたの頭の中、どうかしてるんじゃないの? 蛆でもわいてるわけ?」


 手厳しい言葉が、僕を頬を叩くように振ってきた。


「“迦具夜”――――その名前を聞いても、あなたは何も気がつかないの?」


「…………もしかして?」


 ようやく、彼女の存在に心当たり程度の手がかりを見つけて言うと――――迦具夜今日子は腕を組んだままの痩躯をわなわなと奮わせた。


「そうよ。あなたの両親に、悪魔召喚の儀式に利用されて殺されたのは……私の両親よ。どうして、あんたみたいな、存在自体が禁忌で、異端な…………“悪魔”がッ、のうのうとこの学園に通って、私の前に現れたりするのよ」


 振り絞るように放たれた言葉の重みに、僕は胸を抉られた。


 彼女は、僕のことを“悪魔”と呼んだ。


 ようやく、今日の悪魔学の授業での琴乃さんの嬉しそうな顔を思い出した。そして、迦具夜今日子が何故“悪魔が存在しない”という理由に、懐疑的だと答えたのかも理解できた。


「私にとっての“悪魔”は――――今、私の目の前に存在している」


 冷たい刃を差し込むように、彼女が言った。


「――――ちょっと待て。確かに、僕の両親のしたことは、許されることじゃない。たくさんの人が犠牲になって、都市一つが壊滅したなんて…………」


「なに他人事みたいに言っているのよッ――――あんたの両親がしでかしたことで、私の家がどうなったか分かっているわけ? 魔術世界で、血統や家柄がどれだけ重要か……あんただって魔術世界に身を置いているのなら、分かるでしょう?」


 確かに、魔術の世界で“家”や、“血”は、何よりも重要とされるものの一つだった。


 長い期間、研鑽を積み重ねてきた魔術は、歴史と代を跨いで研究され、発展してきたものが多い。魔術師とは、その魔術を先へ進めるための“器”に過ぎない、という考え方さえある。そのような魔術は、一子相伝や、門外不出であり、その家の魔術師以外には決して教えられることなく、秘匿されている。だから、迦具夜今日子のように、師となる両親を失うことで、迦具夜家が代々受け継いできた魔術を失い――――その結果、魔術師の家としての“格”までも失ってしまうことがあるのだろう。


「迦具夜家は没落した魔術師の“大家たいか”として、その格も、称号も、全て失って、私は路頭に迷わされた。もともと他の魔術師の大家と違って、魔術の歴史のない極東の魔術師の家――――そんな新参の魔術師の家に、大家の一角を担わせていることを面白く思っていなかった、他の名門貴族家からの当てこすりや、嫌がらせは…………それはもう酷いものだったわよ」


「…………ちょっと待ってって。僕の両親が悪いってことは間違いないし、否定もしない。でも、その文句は嫌がらせをした名門貴族家に言ってくれ。僕だって、そこまでは面倒見切れないし、それじゃあ逆恨みってもんじゃないか?」


「そうよ、逆恨みよ」


「…………開き直りか?」


「ええ、そうね。開き直りで、逆恨みよ。だから、これから起こることの全ては、どうしようもない、ただの逆恨みなの――――言ってしまえば、“復讐”ね」


 迦具夜今日子が残酷に笑った。そして、何かの魔術を行使しようと両手を広げる。


「復讐って…………おい、あんたは親のつくった借金を子供に負わせて、死ぬまで返済させるって言うのか?」


 僕は我慢できなくなって声を上げた。


「ええ……私は、あなたに対してそれを行おうとしている。私は、貸したお金は利子を含めて、耳を揃えて返してもらわないと、気が済まない性質タチなの。十倍返しでね。それに、あなたは破産し、破滅した所で許さない。身包ぜんぶ剥がして、けつの毛までむしり取ってやるんだから」


 そう言いながら、彼女の両手が淡い緑色に発光する。魔術を行使する“前段階スタンバイ”、空気中の魔力マナが彼女の魔力に反応している。

 

 僕は咄嗟に算段をつけて両足に力を込めた。


「ああ、そーかよ。だけどっ、僕は生まれた時から絶賛破産中だッ。それに、女の子が、けつとかいうな――――――――――――――――――――――――――――――――ッ」


 僕は大声でそう言いながら、彼女の“結界”の外に出ようと階段を勢いよく下った。三十六計逃げるにしかず。あんな頭のおかしい女と魔術戦闘を行うなんて馬鹿げてる。

 

 ダイナミックな跳躍で一階へと降り立った僕は、姿勢を低くして廊下を駆け抜けた。



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