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四月のあくる日に、僕は強制的に<庭都魔術学園>に入学させられた。
そして、早二週間――――
龍驤琴乃に与えられた、この黒い檻のような制服に袖を通し、学び舎の門を潜って広がった世界は、僕の人生で初めて景色ばかりだった。
同世代の男女、穏やかな街並み、痛みや束縛のない日々、わけの分からない授業の数々、友達の一人もいない学園生活、右も左も分からない寮暮らし――――その何もかもが初めてのことで新鮮だった。
「まぁ、なんとかこの学園生活にも慣れてきたし、異端審問会の依頼もこなせていけそうだし。少しずつだけど、僕の“刑期”も減らしていけるだろう」
そう呟いて、本日最後の授業となる“悪魔学”の講義を上の空で聞いていた。
「――――“悪魔”の召喚に必要なものは、供物となる“生贄”。悪魔の一部や、その能力だけを召喚することも可能ですが、そのどちらにも膨大な魔力――――そして、生贄は必要です」
龍驤琴乃は椅子に座ったまま、気のない授業を続ける。胸元を開けた黒革のボディスーツの上に白衣を纏い、長い足を組んだまま面倒くさそうに唇だけを動かしている。。
「悪魔を召喚するうえでも最も効率のいい“供物”は、人間の“血”と“魂”。魂はもちろんのこと、血液にも魔力は溶け込みやすい。他にも“精液”なども有効です。魔力とは留まるものよりも、流れ出るものに宿りやすい性質を持っています」
精液?
ということは、ほぼ全ての男性諸氏は毎晩魔力を無駄にしていることになる。
まさに、“無駄撃ち”だな。
「しかし、現在の魔術で悪魔そのものを召喚することは不可能です。なぜだか分かりますか――――月臣君?」
突然指名された僕は、どうしようと当たりを見回した後、自分の股間を徐に眺めた。
カーテンで閉め切られた手狭な教室には、十人にも満たない生徒が座っている。正直、閑散としていた。悪魔学は、現代魔術においてまるで役に立たない雑学みたいなものだと琴乃さんが言っていたが、それはどうやら本当みたいだった。
僕を指名した琴乃さんは意地の悪い笑みを浮かべていて、僕は恐る恐る立ち上がった。
「わ、わかりません」
「じゃあ、迦具夜今日子さん。もちろん分るわよね?」
少し離れたところに座っている黒髪の少女が音もなく立ち上がった。
「はい。現在悪魔を召喚できない理由は、大きく分けて三つ――――」
迦具夜今日子は、規律と折り目正しい優等生然とした態度で答え始めた。
「まず、絶対的な魔力不足。神秘と奇蹟の大半を失った現代においては、魔力自体が枯渇しており、大規模な“魔術儀式”自体が成立せず、不可能になっていることです。“霊地”や“龍脈”を利用するという手段は一般的ですが、それをもってしても悪魔を呼び出すには程遠いい」
迦具夜今日子の凛とした声は淀みなく流れていく。
「二つ目は、悪魔を召喚するための魔術――――現在で言うところの<エーテル式>が確立されていないためです。召喚の儀式を行ったとしても、魔術師自身が何を召喚しているのか理解していない状態では、召喚自体が成功しないということです。三つ目は、悪魔自体が存在していないという悪魔学の一派閥の声を拾い上げれば、理由の一つくらいにはなると思います。しかし三番目の理由について、私は懐疑的です。以上」
そう言って言葉を締めくくると、迦具夜今日子は静かに席についた。
「素晴らしい。私から補足することは何もないわ」
琴乃さんは、迦具夜今日子の答えに満足して褒めたが、直ぐに嗜虐的な瞳で発言者を見つめ直すと、血で濡れたように赤い唇を開いた。
「けれど、三番目について懐疑的な理由を教えてもらえるかしら? もちろん、迦具夜さんが話してもいいというならだけど。ああ、座ったままでいいわよ」
迦具夜今日子は少し間を置いた後、徐に口を開いた。
「話したくありません」
頑なな調子、有無を言わせないといった感じだった。
「ありがとう。その答えだけで満足よ」
なぜか、琴乃さんはとても楽しそうだった。
それにしても、僕にはまるで何を言っているのか分からなかった。
迦具夜今日子。
墨で書いたような黒髪を肩の先まで伸ばした、翡翠の双眸をもつ怜悧な少女――――
そんな彼女も、僕と似たようなところがあった。
迦具夜今日子も、他の生徒と関わらることなく、そして誰からも話しかけられず、いつも一人で行動している。どことなく、この学園では鼻つまみ者扱いされているみたいだった。
優秀過ぎて嫌われているのだろうか?
彼女とは、悪魔学以外の授業でも一緒のことが多いけれど、もちろん一度も会話をしたことはない。
「――――?」
迦具夜今日子のことを考えていると――――不意に、肉体と魂を貫かれるような冷たい視線を感じて、僕はそちらに目を向けた。
迦具夜今日子が、僕のことを睨みつけていた。
その美しい翡翠の双眸に宿った危険な光を――――その光に込められた感情を一言で表すなら、間違いなく“憎悪”だった。
どうやら、迦具夜今日子にまで、僕は嫌われているみたいだった。
――――まぁ、慣れたことだ。