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赤い瞳は慈悲で燃えて、優しさに揺れていた。
金色の空間の中で、僕とマリアティアの二人が対峙している。
僕の体は氷のように冷たくなり、石のように硬くなっていく――――僕の魂が死を迎えたんだ。
僕は“黄金の柩”の中にいる。
そんな僕を看取る“送り人”のように、マリアティアは僕を見下ろして微笑んだ。
「ヨハン、あなたは自らの力で試練に打ち勝ったんですね」
マリアティアの声はどこまでも優しくて、そして神々しかった。まるで彼女の声帯を通じて、別のナニカが――――もっと高位で高次の存在が言葉を発しているみたいだった。
本当に、“天使”が降りてきたみたいだった。
「あなたは死の陰の谷を歩むとも、災いを恐れなかった――――今度は、私がヨハンに報いる番です」
「僕に報いる? マリアティア、何を…………どういう意味だ?」
僕は戸惑いに満ちた声を上げた。
「あなたのおかげで、私は、私の為すべきことを見つけられた。私がこの時代に目覚めた意味を知ることができた。ヨハン、あなたは呪われていなんていません。あなたは“祝福”されているんです。これから先、あなたには数々の困難と試練が待ち受け、絶望の陰が襲い掛かるでしょう――――けれど、あなたはだいじょうぶです」
「マリアティア、まさか最初からこのつもりで…………ぜんぶ分かっていて、やったのか? だったら、僕のやったことは、何だったんだ……ぜんぶ、無駄だったのか――――――――」
僕の言葉に、マリアティアは答えない。
彼女は、ただ与えられた<啓示>に従っていただけなんじゃないか、ただ救済を齎すための機械だったんじゃないか、そう思うと胸が苦しかった。
僕の行動の全てが、僕の決意の全てが、あらかじめ決められた“道標”の上を辿っていただけなんじゃないか、そう思うのは本当に虚しかった。
とても、悲しかった。
「違いますよ、ヨハン」
だけど、そんな僕の心のうちを読んだように、マリアティアは否定の言葉を優しくこぼした。恵みの雨のように。
「これは、私の“意思”です。こればかりは、誰のものでもない、私だけの“想い”です。あなたを助けたい。あなたを救済したい。それは、私の想いなんです。だから――――」
「だめだ。やめてくれ――――これから先、人生を歩むのは僕じゃない。僕の“悪夢”は、ここで終わる。僕は、最後に“夢”を見た。それでいいんだ」
マリアティアの言葉の意味を理解した僕は、泣きつき、懇願するように言った。
「いいえ、これから先の人生を歩むのはあなたです」
マリアティアの言葉は、どこまでも力強く厳しかった。頬を強く叩かれたみたいに。
「私は、あなたに出会うために生まれた。そのために、この時代に目覚めたんです。あなたに“祝福”を授けるため。だから、私たちは出会ったんです。それが、今は理解るんです。そのことが、私はとても嬉しいんです。この場所にいることで、私は“完全”な存在へとなれる」
「完全な存在って…………何だよ、それ? ここはいったい何なんだ?」
「あなた方が、<大源>と呼ぶ場所。魂が星へと還る、大きな流れの中――――」
「これが、全ての魂が帰る――――<大源>?」
「はい。ここは、<星の回廊>――――<オールモスト・ヘヴン>」
「<星の回廊>?」
そこは、光の河のようだった。
幾筋ものの光が集まり、束ねられ、螺旋を描く、光の脈だった。
「この中で、私は“完璧”な存在――――“聖人”へとなる。わたしは道であり、真理であり、命です。わたしを通してでなければ、だれひとり星のもとに来ることはありません」
幾千幾億の蛍が、僕たちの周りを飛び回っているかのようだった。
その光の一粒一粒が、誰のかの魂の形なんだと理解った。
この場所にある全ての魂が、マリアティアがこの場所に――――“星”に帰ってきたことを祝福しているみたいだった。
―――――“おかえりなさい”と。
「違う。だめだ。こんな場所に来るために…………こんな所に、マリアティアを連れて来るために、僕はマリアティアを守ろうとしたんじゃない。僕は、マリアティアに生きていて欲しいんだ。たのむ、僕のかわりに生きてくれ」
僕の言葉に、マリアティアは微笑んで首を振る――――
その赤い双眸を塗らぬ大粒の涙が数滴、僕の頬に落ちた。
その涙は、渇いた大地を潤す雨のように、僕の肉体に沁み渡っていく。
「ありがとう。でも、生きるのは、ヨハン――――あなたです」
涙をこぼしながら、言葉をおとす。
そのどちらもが、僕の魂を大きく揺さぶった。
「あなたは、まだ“大源”に来るべき人じゃない。もっと多くを苦しみ、もっと多くを悩み、もっと多くの絶望に打ち勝ち、それ以上の愛と喜びを知るべき人です。まだ、星に還ることは――――死に、逃げることは許しません」
「……………………」
“逃げる”という言葉に、僕は何も言い返すことができなかった。
都合の良い夢に逃避している――――そんなことは、とうに気づいていた。
僕は逃げるためにこの場所に来た。
そんなこと、初めから分かっていた。
だから、マリアティアを助けようとしたことも、死を恐れない戦いをしたことも、敢えて危険に飛び込んで爆弾を抱えるようなことをしたのも、全ては“逃避”――――僕の“エゴ”。
「私は、“エゴ”に救われるよりも、“愛”で救いたい――――それでも、ヨハンの気持ちが嬉しかった。誰もが、私に救いを求めます。誰もが、私の差し伸べる手を求めています。そんな中で、あなただけが、私を救おうとしてくれた。私に、手を差し伸べてくれた。そのことが、私はとっても嬉しかったんです。ヨハン、誰かを愛で救う人になってください。約束ですよ?」
「…………マリアティア?」
「だいじょうぶ。私は、いつでもあなたのそばにいます。ヨハンが目を瞑った時に感じる、全ての中に――――私は存在している。だから、安心して目を覚ましてください。これから、あなたは世界に生まれるんです。おめでとう。私の―――――――――迷える優しい子羊さん」
マリアティアの白皙の貌が、黄金の柩に横たわる僕の顔に近づいた。
そして、形のいい赤い蕾のような唇を――――僕の唇に、そっとあてた。
その瞬間、暖かな“奇蹟”が、僕の肉体の中に流れ込んできた。
美しい蛍が一匹、僕の魂の中に居場所を見つけて落ち着いたみたいだった――――――――甘い果実の半分を口にしたみたいだった。
受け渡された“奇蹟”の重さを、授けられた“奇蹟”の暖かさを、この優しすぎる“愛”を、僕はぜったいに忘れないだろうと思った。
たとえ、この体が朽ち果てて、魂が星に還ろうとも――――
――――永遠に。




