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「――――<軌跡の終点(オービタル・ピリオド)>」

 

 魔術師が手を合わせた瞬間――――

世界が、色と形を変えた。

 

 まるで、ガラアーベント・メイザースを中心に、世界そのものが塗り替わって行くかのように、空も、大地も、森も、空間の全てが――――


 夜空に投げ出されたような“濃紺の空間”に沈んだ。

 天も地もなく、左右という概念すら消失してしまったような何もない空間で、僕とマリアティア、そして魔術師は対峙していた。

 

 濃紺の空間には、幾千幾億の星々が輝いていて、その無数の星たちは、円を描く金色の軌跡をたどっている。星降る夜の中心にいるみたいだった。


 足元には“十の円からなる魔法陣”が、燦然と青く輝き続け――――そして、僕たちの背後には墓標に似た十字の碑石が、まるで空中に浮かんでいるかのように聳えていた。


「…………何だ、ここは?」


「世界を構築する<エーテル>を書き換え、魔術師の望む“世界”を創りだす魔術――――<魔術空間>」


「魔術空間? 魔術で世界を創るなんて…………そんなことが……?」


「魔術の本質とは、魔術師の魂が持つ“内なる宇宙”を形創ることにある。全ての魔術体系において一つの到達点とされるのが――――この<魔術空間>の創造だ」

 

 星々の中心に立ったガラアーベント・メイザースが告げる。


「メイザースを名乗ることが許された十六人の魔術師が籍を置く、我がメイザースの家とて、この魔術空間を創りだすことができるのは――――私と、我が師父オーギュスト・バアル・メイザース卿のみ」

 

 星は瞬き、円の軌跡を辿っている。夜空で舞踏曲ロンドを踊るように――――

 永遠にたどりつくことのない終着点ピリオドを目指すように。


「この魔術空間――――<軌跡の終点(オービタル・ピリオド)>は、全ての“奇蹟”が至り、そして永遠とわに“軌跡”を描き続ける“儀式空間”」

 

 再び、魔術師が拍手を打つように手を合わせる。


「――――<生命樹の果実(セフィラグラム)>」

 

 その言葉が“命令詞”となり、足元の魔法陣が浮かび上がり、立体的な形を持って光の碑石と化す。そして十の円からなる魔法陣が、魔術師の思考を理解したかのように大きく広がっていく――――まるで大樹が極北の星へと伸び、大地に根を張るように。

 

 そして僕たちの背中に聳え建った十字架と重なり、一つの巨大な碑石となった。


「“十の天使”の“十の加護”、そして“十のセフィラ”を持って、この世界の“奇蹟”を捕獲し、保管する。“十”を持って“一”に至り、“ダァト”を産みだす――――大魔術儀式アブラメリン

 

 十の円が輝きを放つ。


 そして縦に並んだ四つの円―――上から“二つ目”と“三つ目”の円の間に、もう一つの円、“十一番目のセフィラ”を浮かび上がらせた。


 おそらく、それが魔術師の言う――――産みだされる、ダアト


「もともとは、<赤柩の聖人>が宿した“九つの奇蹟”を保管するはずだったが、悪魔憑きの孺子こぞう、貴様が現れたことで、脚本シナリオは次の舞台オペラへと移った。捕獲した“九つの奇蹟”をもって、貴様の中の悪魔――――“ベリアル”を保管する。まずは、供物となる赤柩の聖人」

 

 ガラアーベント・メイザースの青い瞳、凍てつく氷の視線が、マリアティアを捉えて縛る。


「――――<偽聖人殺しの槍(イミ・ロンギヌス)>」

 

 危険を察知して振り返ると、マリアティアの足元から幾つもの槍が突出した。

そして、マリアティアを串刺しにする。


「――――――――マリアティアッ」

 

 僕が、彼女の名前を呼んで駆け寄ると、マリアティアは微笑みながら赤い瞳で僕を見つめて頷いた。そして、小さな手を差し出すように伸ばした。


 僕は、僕とマリアティアを別つ、無数の槍でできた柵の先に手を伸ばし、マリアティアの伸ばした手に触れた。


「ヨハン、あなたはだいじょうぶです」

 

 マリアティアの穢れなき声が響いた。


「それに、恐れるものは何もありません。あなたは祝福されています。そして、必ず私を救ってくれると信じています――――だいじょうぶ。二人を別つものもは、死ではないのですから」

 

 それだけ言い残すと、マリアティアは串刺しにされた槍にかかげられて、十の円でできた魔法陣―――――その“十一番目のセフィラ”に貼り付けにされた。


 中央に並んだ五つの円のうち、上から二つ目の円の中心で両手を広げて貼り付けにされた少女は、全てを受け入れて眠りについたように静かになった。

 

 その姿は、まるで十字架を背負っているみたいだった。

 あんな小さな少女に、いったいどんな罪があるというのか?


 僕は、静かな怒りで体を震わせたが、不思議と落ちついていた。この体も、心も、魂も――――僕の全てが、目の前の魔術師を“ブッ飛ばす”という、ただそれだけの単純シンプルな解答で一致していた。

 

 僕は首に巻いた赤い聖骸布を撫でて、魔術師と対峙した。


「次は貴様だ、無知で愚かな――――悪魔憑きの孺子こぞう

 

 魔術師が両手を広げて見せる。まるで、全能を示しているみたいに。


「貴様の右目に宿る悪魔――――“ベリアル”を戴こう」

 

 その瞬間、魔術師はすでに僕の間合いにいた。

 

 咄嗟に、僕は魔術師の魂の輝きに乱れ(ブレ)を感じ、慌てて身を捩ったが――――魔術師の細剣レイピアは、僕の皮を削いで肉を抉るように、左胸の脇を掠めた。


「――――ッ」

 

 僕はバックステップで距離を取り、魔術師の間合い(キルゾーン)から逃れたが、ここはすでに魔術師の魔術の中――――この空間全てが魔術師の狩場キルゾーンともいえる。一撃を交わしたことに、さほどの意味があるとは思えなかった。


「よく交わしたと褒めておこう。しかし、私の魔術空間の中に逃げ場はない。これならどうだ?」

 

 魔術師が掌を重ねると、僕の足元から無数の槍が芽をを出した若葉のように出現し――――そして、僕の体を串刺しにしようと天に向かって伸びて行く。


「<偽聖人殺しの槍(イミ・ロンギヌス)>――――聖人殺しのイミテーションだ。聖人に対しては傷を与えることできず、捕獲程度の役割しか果たさなくとも、貴様のような悪魔憑きには効果は絶大だろう? 触れただけで皮膚が爛れ、突き刺されば肉が焼け落ち、その痛みは無限に体を蝕む」

 

 僕は体のあちらこちらを突き刺され、肉が裂け、血が滴る――――魔術師が残酷に告げだ通り、皮膚が爛れ、肉が焼け焦げるような痛みに襲われた。


「こなくそッ」

 

 僕は姿勢を低くし、決死の特攻をかける。


 次から次に突き出す槍の大地を掻い潜り、棘の道を駆け抜けたような手傷を負いながら、魔術師に向かって行く。

 

 無謀な特攻だということは分かっていた。

 それでも、僕はこの手で――――この“右手”で、ガラアーベント・メイザースを殴ってやりたかった。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

 

 あと一歩、この腕を突き出せば魔術師の顔面に届くという距離――――

僕の必殺の間合い(キルゾーン)に至った。

 

 下半身を落とし、拳を打つためのタメをつくるが――――その間に、右足の裏を槍に貫かれる。苦痛を払いのけ、大声を上げて、あらんかぎりの力を振り絞って、右の拳から崩拳を打つ。


「―――――――」

 

 しかし、僕の拳は魔術師に届かなかった。

 僕の右腕が魔術師の顔面をとらえる寸前で、僕の腕は地面から突き出す無数の槍に貫かれて止まった。


「そんな単調シンプルな攻撃が、本物の魔術師に通用するとでも? 君は、私と出会う前に、もう少し魔術師と呼ばれる者たちを知っておくべきだった。しかし、君がどれだけ魔術師を理解しようとも、この“魔術空間”に引きずり込まれた時点で――――君は籠の中の鳥、檻の中の獣だ」

 

 魔術師が言うと、地面から突き出した槍が、四肢の自由を奪うように、僕の両手両足を貫く――――僕は地面に仰向けに貼り付けにされた。まるで標本にされた蟲だった。


「さて、これで儀式の準備は全て調った。ようやく、舞台の幕を開け―――――――魔術師の“夜会オペラ”を開催できる」

 

 魔術師が高揚した精神を抑えようともせずに、演技めいた口調でそう言った。

 

 僕は、ただ無力に星の降る夜空を見つめていた。


 僕の力じゃ、この魔術師には到底かなわない――――そんなことは、この場に来る前から分かり切っていた。それでも、僕は自分の力で||目の前の魔術師をぶん殴ってやらなければ気が済まなかった。


「くそっ、やっぱり僕一人の力じゃ…………かなわないのか?」


 もはや、そんなことを言っていられる余裕はなかった。

 僕は、龍驤琴乃とした質問を思い出していた。



 ―――――“悪魔と取引や契約なんてできるんですか?”



 僕は目を閉じた。

 そして、右目に宿る悪魔に声をかけた。

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