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「メイザースに限らず、<魔術儀礼>というのは――――魔術師、または魔術師たちが、公開で行う大規模な“魔術儀式”のことを指すのよ。<魔術儀礼>を行う“代表者”の名を冠して呼ばれる習慣があり、魔術師たちは“魔術儀礼”のことを“オペラ”という暗喩をもって表現する」
「公開で行う、大規模な魔術儀式?」
「本来、秘匿こそが魔術の本質にして深奥とは言ったけれど、このような例外も存在するのよ。魔術儀礼は―――公式、公開、公表の“三原則”をもって行われ、基本的には魔術儀礼に参加している魔術師以外の全ての魔術師は、その介入を禁じられる」
「介入が禁じられる?」
「もちろん、公式、公開、公表の三原則があるとはいえ、別に宣伝がなされるわけでも、号外が配られるわけでもないわ。あくまでも、そのような体を取っているというだけ。本番の最中に何が起こるかなんて分らないし、舞台に乱入する観客がいたっておかしくな無いでしょう?」
「その魔術儀礼に、どんな意味があるっていうんですか?」
「魔術儀式の公開とは――――すなわち、それを行う魔術師の魔術を知るということ。公開される魔術に精通していない魔術師からすれば、自身の魔術体系の針を何十年も先に進める可能性さえあり得る」
時計の針を何十年も先に進める――――その言い回しに、僕は表情を曇らせた。
僕にも、マリアティアにも、その時間がないことを思い知らされた。
「とくに、“儀式魔術”を極めたと言われているメイザースの魔術体系となれば、どんな魔術師でも、その魔術を自身の魔術体系に加えたいと思うのは、まぁ当然でしょう?」
龍驤琴乃は両手を広げて、歌うように先を続ける。
まるで、舞台の上に立った役者のように。
「“魔術儀礼”とは、素晴らしい“オペラ”と同義。舞台に上がった魔術師という役者が、その魔術の粋を披露して、観客を感動させる。昨夜の魔術儀式で描かれた魔法陣―――――――<生命樹の果実>。“カバラ”と呼ばれる教義が編み出した神秘。十の天使の加護たる“セフィラ”をもちいた“魔法陣”。あの魔法陣には、メイザースの魔術体系“百年分”の価値がある」
「あんな魔法陣に…………百年分の価値?」
今の口ぶりからすると――――少なくとも“あの森”に龍驤琴乃の“目”は合った。
そして、他にもたくさんの魔術師の目が合ったということになる。
「じゃあ、大勢の魔術師が――――あの場でマリアティアが儀式の生贄になるのを見守っていたって言うんですか? ずいぶん下種な演劇で、性質の悪い観客なんですね?」
龍驤琴乃は、蛇のように残酷な貌に笑みを浮かべてみせた。
「魔術都市の原則の一つは――――他人の魔術に介入してはいけないということ。そして<魔術儀礼>に介入するということは、自身が<魔術儀礼>の一部になるということに他ならないの。今回のヨハン君のようにね」
「…………魔術儀礼の一部になる?」
「そう、動き出した“歯車”の一部に――――あなた自身も魔術儀礼という大きな時計を回す歯車にね。それが、魔術儀礼の原則であり、この魔術世界の力学よ。これは、お互いに対価を払い合い、お互いの欲しいものを手に入れるための魔術的な“取引”でもあるのよ」
「魔術的な取引?」
「<魔術省>は盗み出された<赤柩の聖人>という供物を、この<庭都>は<禁止の森>という<魔術儀式>を行う舞台を、そして<魔術儀礼>を行う<メイザース家>は――――メイザースの魔術を公開することで、三者に利益のある魔術儀礼が行われる…………はずだった」
「要するに、くそ下らない三問芝居の舞台が整ったわけですね?」
コトノさんはことさら楽しげに微笑んだ。
「そういうこと。だけど、そこに“月臣夜半”という“異物”が紛れ込んだ。脚本には存在しない“役者”が、舞台に上がってしまった。本来、<魔術儀礼>への介入者は排除されるのが一般的なんだけど、メイザース側は台本を書きかえた。メイザース家の悲願は悪魔を召喚することだから――――“聖人の奇蹟を取り出す”という魔術儀式から、“悪魔を召喚する”という魔術儀式へと、演じる劇を変更した」
「それも、誰かが書いた台本なんじゃないですか? 例えば、僕を“異端者狩り”に向かわせた性格の悪い魔女みたいな誰かとか?」
僕は、あまりにも上手く出来過ぎた都合のいい脚本に、思わずそんなことを口にした。
「或るいは――――ヨハン君にそう思わせたい、見えざる“介入者”がいるのかもしれないわね? たとえば、六十億人を超える登場人物によって織りなされる一大抒情詩を紡ぐ――――“神”なんて言うね」
笑えない冗談だった。
普段から神をバカにしている、無神論者の代表みたいな彼女が言うと、尚更に――――
「ねぇ、ヨハン君? 魔術師が<魔術世界>で生きていく上で、何よりも大切なことの一つは――――どれだけの“後ろ盾”を得られるかということなのよ。メイザース家のように長い魔術体系を持つ家は、もちろんその家が後ろ盾になる。この<庭都魔術学園>の生徒の全ては、学園長であるレディアルバ・フォン・ホーエンハイム卿――――レディの庇護下にある」
迦具夜今日子も、庇護や後ろ盾について似たようなことを話していた。
「この学園の生徒に手を出すということは、レディに手を出すことと同義。そういう意味では、ヨハン君がこの<魔術儀礼>に巻き込まれることは防げたはずだった。だけど、あなたは私だけでなく、<異端審問会>にも虚偽の報告を行い、<赤柩の聖人>を秘匿した。言ってしまえば、自らの意思で舞台の上に上がってしまった。こうなれば、ヨハン君はメイザースの舞台の上で踊るしかない。だけど、ヨハン君が昨夜を生き延びたことで――――状況は少しだけ変わった」
「…………状況が変わった?」
「脚本を書きかえる余裕ができたということよ。いくら、ガラアーベント・メイザースが優れた役者であり、劇作家――――そして、メイザース家の魔術体系を継ぐ魔術師だとしても、二日続けであれだけ大掛かりな魔術儀式を行うには負担が大き過ぎる。そもそも<魔術儀礼>自体が突発的なものであったため、準備不足も否めない」
「準備不足?」
「昨夜の失敗で、ガラアーベント・メイザースは魔力の大半を失った。もう一度、同じよう魔術儀礼を行ったとして、それが成功する確率は高いとは言えない。そこに、付け入る隙が――――圧力をかける余地があった。言ってしまえば、“支援者”や“出資者”からの要望ね。どんなに優れた“劇作家”だって、その劇を披露する“劇場”がなければ、“劇”を公開することはできない」
ガラアーベント・メイザースは魔力の大半を失っている。
僕は、その事実を魂に刻みつけた。
「つまり<魔術省>や<異端審問会>は、“聖人”を差し出すことに異存はないけれど――――月臣夜半の<魔術儀礼>への参加は取り消してもらいたいと、暗黙に要望を突きつけてみたの」
「…………まさか、コトノさんが?」
僕は信じられず、思わずそう呟いた。
「後からこのような介入を行えば、それは後の大きな大きな“火種”になりかねない。メイザース家ほどの力をもった家となれば、その影響力は計り知れない。<魔術省>だって表立ってメイザース家と事を構えるような危険は犯したくない。ほんと、始末書や減俸だけで済めば御の字よ。異端審問官をクビになったら――――ヨハン君に養ってもらうからね」
コトノさんは甘えるような声で冗談めかした。
「本来、こんな妥協は認められないのよ? 誰だって、自分の脚本にけちをつけられたら気分を害するでしょう? だけど、<禁止の森>という舞台を提供し、生徒の庇護という大義名分のあるレディにも、それとなく圧力をかけてもらったの。ほんと高い貸しがついたわよ」
レディアルバ・フォン・ホーエンハイム卿。
まだ見ぬ、錬金術師にして――――
この<庭都魔術学園>の学園長。
「これで分かったでしょう――――この私が、ヨハン君のためにどれだけ骨を折ったのか? さぁ、このつまらない<魔術儀礼>の幕を下ろしましょう。終わりよければ全てよし、と言ったでしょう?」
龍驤琴乃は、ようやく肩の荷が下りたと言った感じだった。
しかし、僕は――――




