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桜の花が散り、並木道に桃色の斑模様を描く、早朝――――――――
僕は、<庭都魔術学園>に三つある尞の一つ、<塩の箱庭尞>を出て、魔術学校までの道程を歩いていた。
ちなみに残りの尞の名前は、<硫黄の宮殿尞>と<水銀の城塞尞>で、庭都魔術学園に入学の際に行われる“とある儀式”のあとに振り分けられる。
尞の名前につけられた“塩”、“硫黄”、“水銀”は――――“錬金術”を行う際に最も重要となる万物の<第一質量>から別れた、<三原質>と呼ばれるものからとられており、魔術を学ぶこの学園にはうってつけの名前と言えるらしい。
錬金術?
第一質量?
三原質?
正直、何を言っているのかまるで分からなかった。
尞分けにに関しては、とくに意図があるわけではないと説明されたが、生徒たちはそのことをまるで信用しておらず、それどころか尞分けに関しては何か明確な意図があると、信じきっている様子だった。
「まぁ、僕の知ったことじゃないさ」
十六歳の春、高等部の二年生からこの学園に転入し、陽のあたる魔術世界に飛び出した僕は――――今の所、後ろ指を指され、蔑まれ、貶められ、嫌われるという、かなり不遇の学園生活を送っている。まぁ、それをされるだけの理由というか、原因があるだけに、僕もがっかりと肩を落として、溜息をつくことしかできない。
「あの人じゃない、呪われた子供って?」
「獣の数字を継いだ魔術世界最悪の根源?」
「そうそう、頭のどこかに“666”の数字が刻まれているって噂だよ」
刻まれてねーよ。映画の見過ぎだ。
「何で、そんな恐ろしい人がこの学園に来たんだろうね?」
「迷惑だよね」
「でも、体中を<魔術式>で封印されていて、夜は柩桶の中で眠っているらしいよ」
眠ってねーよ。吸血鬼かよ。
「右目を眼帯で封印しているってことは、きっと昨日も食べたんだよ」
「食べだって何を?」
「知らないの? 魂だよ。あの人、右目で魂を食べるんだって。それで、魂を食べた後は魔力が暴走するから、ああやって封印の魔術式を組み込んだ眼帯で暴走を抑えているんだって」
魂なんて食べてねーよ。どんな味するんだよ。
でも、眼帯の件はあながち外れてない。
僕は庭都魔術学園の黒の制服を身に纏い、そして右目に“聖骸布のレプリカ”でつくられた<魔眼封じの眼帯>を着用している。
“魔眼”を使用した後は、こうやって眼帯していないと痛みで日常生活もままならない上に、そもそも右目がしばらく失明状態になって使い物にならなくなる。そして光を失った醜い瞳は、とても人前にさらせるようなものじゃなかった。
「でもさぁ、あの人って――――」
そして、僕は名前を呼ばれない。
僕の“名前”は、この魔術世界では言葉にしてはいけない、声に出してはいけない禁句の一つにでもなっているみたいだった。
「――――転校初日の<エーテル儀礼>で、魔術の素養“ゼロ”って判定されてなかったっけ?」
「ってことは、“エーテル”が反応しなかったってこと? それなのに、塩の箱庭尞なの?」
「噂ではね。だから、もしかしたら友達のいない、ただの落ちこぼれなのかもしれないよ」
僕は早朝から一番聞かされたくないトラウマを抉られ、今にも挫けそうな気持と体を引きずって、庭都魔術学園を引き続き目指した。ああ、学園に行きたくない。不登校になりたい。
「ヨハン、あの小娘たちと、離れたところで後ろ指を指している無知にゃ学生どもに――――ネコパンチを食らわせてやるにゃ」
僕の頭の中に、思念を共有しているセミラの怒声が響きわった。
「僕の見方は、セミラだけだよ」
猫だけど。
「まぁ、別に悪気があるわけじゃないし、いきなり僕みたいな異端者が学園に入り込んできたら、戸惑いもするさ。それより、そっちの様子は変わりないか?」
僕は寮室に置いてきたセミラに様子を尋ねる。
「変わりないにゃ」
「じゃあ引き続きよろしく」
「わかったにゃ。ヨハンもにゃんばってくるにゃ。今日の夕飯はマグロの大トロがいいにゃ」
僕はセミラの最後の言葉には反応しないで思念の伝達を切った。
そして、庭都魔術学園の門をくぐり“とある場所”に向かって行った。